今日12月8日は、アメリカ、イギリスなどとの戦争に突入した日である。戦争の呼び名も、思想、立場によって違ったり、その呼称が占領軍により禁止されていた時代もある。
この戦争のすべてが、解明されているとは言えず、隠されていることも多いのではないかとも思える。そしていまなお、戦争の傷跡は癒えることはない。
以後、「アメリカに押し付けられた」という憲法のお陰で、アメリカの戦争路線に引きずりまわされることはなかったが、この状態を不満とする隠然たる勢力があって、憲法を変えて、普通の国になりたいとする動きがとまることはない。少しずつ、その歩みは続いているし、足場を作ってきている。
国や民族、宗教などのセクトがその主張を掲げて、貫徹するとすれば、最終的には、武力がどうしても紛争解決の手段になる。その悲劇を回避するには、新しい哲学がいる。軍需ビジネス産業や資本の論理など、人間社会の弱点がどのように克服されていくのかどうかで、人間社会の行く末が決まる。
まずは、戦争の悲惨さ、庶民がどんなに犠牲をこうむるのか、しっかりと知ることが重要である。その意味で、その政治家がどのようなことを言ってるのか、その言葉のなかに、どういう真意を持っているのかに注目しなければならない。BSフジの番組で、石破議員は、憲法を変えることについて、自民党の結党まで、さかのぼり、なみなみならぬ意欲を示した。まさに、戦争を辞さない姿勢なのである。