日々の暮らしを、大事にしながらも、明日を見据えて、今日を生きることも捨てるわけにはいかない。今日が大事だといって、刹那的に、今日だけ生きるというわけにもいかない。明日からのことも考えたい。遥か先立って、できれば見通して、今を生きるということでありたい。
しかし、当面は瞬間、瞬間を生きるということであり、過去も未来も、今の瞬間にはないのであって、「今を生きる」ことを実践するのみである。
さて、金正日は、死後も日に三回の追悼を指示していたという。支配体制の維持に、心を配っているのだろうが、相当無理がある。
人間社会の不都合は、たくさんある。北朝鮮だけではない。ことの本質はどこにあるか。本当に庶民の暮らしを大事に考えているかどうかである。とりわけ、支配し、力を持っている人々がどう考えるかである。同時に、庶民の側が、どう考えているか、それを力とするには何が必要か。
それは、自分のことばかりではなく、他者のことを考えられるかどうか、真剣にそれができるのかどうかである。でなければ、統制され、支配され、いいようにされても致し方ないのである。