空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

強欲資本主義はどこまではびこるか

2014年04月24日 11時49分20秒 | 思考試行

残業代ゼロの話が出されてきた。当該労働者の同意が必要ならいいのではないかということだ。同意しないものは、雇用者は雇わないし、嫌ならやめてくれと言われるのだから、同意なんてなんの意味もない。当然ながら、同意しないと労働者は生きてはいけないのだ。

奴隷社会の到来である。儲けのためならなんでもする、誰かが儲けて、そのおこぼれが庶民の方に流れてくるのだから、それでいいというわけだ。

そんなおこぼれを、頂戴しなければやっていけないなんて、おかしい話である。生きるために必要なものを作り出し、もっとも苦労して、働いている人々を、おこぼれの対象だというのか、バカタレが。

労働者は、極限まで追い込まれ、ヨーロッパで、ついに闘いに立ち上がった、その結果獲得できたのが、労働時間の短縮であり、その他の労働基準法制なのである。それが、世界の常識となった。だが日本は違う。先の大戦で敗戦となって、まさに外から与えられたのである。

日本の労働者の自らの力で、こうした権利を勝ち取ったわけではない。ここにひ弱さの根本がある。人間的に生きるとはどういうことなのか。最初から勉強しなくてはならない。泣いているだけでは、問題の解決はないのである。

バカタレどもは、資本を左右に動かし、世界の紛争を作り出し、武器を売り込み、とにもかくにも、最終的には自己利益を目的とし、ありあまる財産を確保することが、かれらの人生目標となっている。

その犠牲者が、若者、学生、弱者であり、さらに雇用条件を悪化させられれば、弱者層はひろがるばかりである。公教育の破壊、博打場の建設、この世の中をどう変えていくのか、ここは、政治の力しかないが、そのためには、庶民の力を政策化し、政治権力をにぎりながら、この構造を根本的に変革しなければならない。

以前から、マスコミに登場する労働者代表のような顔をしている労働組合など、言葉は、勇ましいが、資本の別働隊であり、子分にすぎない。

本当の闘う組織ではない。目くらまし、欺瞞、策略、こうした現状のなかで、労働者が、どう戦っていくのかが問われている。