ものごとは、軽重はあるが、全体の構成からみれば、どれも要素として捨て去ることができない。ただ、条件として、どこでも手に入るものは、要素として大事であっても、価値としては認められず、大事にはされないだろう。
ところが、核心となるもので、おいそれとは手に入らないものは、求められ、大事にされる。そのものの存在が、全体の成立要件になっていて、それがあることによって、全体も成立するという関係にあるから、絶対的に尊重されることとなる。
核心でもなんでもないものが、核心的に扱われることもある。時代によって、変遷していく場合もあるし、その本質が、価値のないものとなったとき、捨て去られ、見向きもされなくなる。
今の時代には、核心の顔をしているが、本質はそうではないもの、そんなものが、まだ、ゴロゴロと転がっているのではないだろうか。捨て去るべきものを、後生大事にしていることはないだろうか。
さっと、きりすてたなら、実にスッキリと晴れやかな世の中になる、そんな急所を攻めなければならないのに、的外れなことばかりを堂々めぐりしているようだ。