主義、主張を持って生きるのか、それとも、妥協をしながら、主義主張を抑えながら、極端にいえば自分の意見をもたずに、誰かの意見を自分の意見として、周囲の顔色をうかがいながら生きるのか。
力の強いものにさからわず、これに従って、行動するのか。人が生きるにあたって、物心がつくまでは、周辺の環境に順応しながら、マネながら生きていくほかない。
そのまま、それを続けていくならば、マネる対象がいなくなった時には、自分の判断がどうしても必要となる。自分が尊敬していた人ならどうするかと考えて、選択するのか、状況のなかで、もっとも安全と思われる方策を選ぶのか。
人生を生きるなかで、自分の意見、方向、思想がうまれ、自己主張が体系的になっているならば、これは、強い。信念に従い、行動するのみである。こうなりたいものだが、卑屈になったり、信念を曲げれば、際限なく矛盾にみちた人生とならざるを得ない。
だが、そうなったとしても、そこで、また、立て直すことも可能だろう。あらたに、やり直して人生に立ち向かう。七転び八起きだ。