ドライに割り切って、ものごとに対処する人は、良さそうにみえる。ビジネスの世界ではそうでなくてはならない、とされているようにもみえる。
これは、しかし、人間として、立派であるとは言い難い。こんな人間ばかりになるとしたら、そんな世の中は生きるに値しないつまらない世界である。
では、お互いが、深い絆をもって、支えあっていくことが最善だろうか。やりにくいことに、それも息がつまりそうになりかねない。
どないせいちゅうねん!とつっこまれそうだが、時に、親しくつきあい、時には個別に過ごしたいと思う。結構きまぐれであり、自分で自分がわからなかったりする。
心の奥底に、人間は、深いものをもっていて、そのものに、自覚的に確信をもっているようでありたい。どんなことがあろうとも、動じることなく、自分自身の世界をもっているとすれば、それは、ほぼ、満足のいく人生となるのではないだろうか。
長年付き合ってきた人が、ドライで、人間関係の機微にまったく関心のない人物であり、学歴とか就職した会社であるとか、そんなものを背景にしながら、人を軽くみていることが判明した。
いままで、気づかなかったのは、ただただ、恥じるほかないが、これからは、よくよく観察しなければならない人物であることがわかったことは、幸いである。