今日の判決は、お粗末にすぎる。事故原因を、本当に追究する姿勢は、微塵もみられない。検察、JR経営陣、ひいては、日本の政治状況、これらをみながらの、裁判官の保身の故の判決だ。
この裁判官は、本当に正義を貫いたといえるだろうか。追究すべき、問題の本質から、目をそらして、会社の責任、個人の責任、と分けてみせ、無罪判決にした、言い訳を述べているが、これは、かろうじて残っていた良心の呵責だろう。
なぜ、若い運転士が、あんなに、スピードを出さなければならなかったのか。問題の本質はここにある。労働者をしめあげ、過酷な懲罰をかすことで、職場支配をつよめてきた企業体質。悪名高き、「日勤教育」。ここに真の事故原因がある。
余裕のないダイヤのために、必死の遅れを取り戻そうと、焦る若い運転士。懲罰を恐れ、制限スピードを40km/hもこえて、カーブに突っ込んでいったのである。
企業の労務管理の実態、企業体質、ここにメスをいれないで、問題の究明など、できるわけがない。
ここに触れないで、個別のカーブの安全性を、知っていたかどうか、など、問題の本質を、まったく無視したものである。深刻なのは、誰の目にも、明らかなこの不当性を、報道がまったくといって、ふれていないことである。世の中腐っている。
それでも、朝日夕刊に、少しではあるが、この点に触れた立命館大学の先生のコラム記事がでているのは、救いである。ただ、扱いが小さい。