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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

何が正しくて、何が変なのか

2013年09月11日 23時37分25秒 | 思考試行

バランスをとって、生きてきたのかどうか。利己主義に凝り固まって、他者のことを、思いやることができない。自己中心の発想で、すべての言動、行動は、そのときどきの状況により、手のひらをかえすように、簡単に変化させる。

問いただされ、都合が悪くなれば、あれは、その時そう言ったが、チャラだと言い放った。耳を疑うような、悪意の発言である。自分が自分でどうにもできなくなったことを、残念がりながら、怒ってみせる。

そんな状況になることは、客観的に明らかであり、それは、身近にいる者にとって、時間の問題であり、自明のことであった。周囲のもの、に助けられなければ、やってこれなかったし、それが現実であった。

それをみないようにして、自分がしてきたように、広言してきた。人の助けを、自分の命令で、差配で動かしてきたように錯覚してきた。したがって、感謝などしないし、全ては当たり前のようにふるまい、そう思ってきた。

身近で助けてもらっている者を、貶め、無視してきた。軽んじ、奉仕させてきた。人の道として、弱い者を見捨てるわけにはいかないから、相手がどうであるかに関わらず、やるべきことをやってきた者を、愚弄してきた。

本人の前では、決して、感謝のことばを口にすることなく、日常関係のない、離れたものに言う。そのことで、人の道に外れない、いい人になる。してくれているものに感謝の言葉をいうことには、自分が支配者であるかのようにふるまい、考えてきただけに、絶対にできないとでも考えている、としか思えない。

悪意の塊である。この実態を明らかにしていく。自分のもっとも身近なものを悪者にし、自身をいいものに仕立てあげる。精神構造のアウトラインは、そうなっている。