(英題:No 0ne Knows About Persian Cat)
----ん?これってフォーンと関係ありそう。
だけど、なんでペルシャ猫ニャの?
「いやいや。
確かに猫が出てこないわけでもないんだけど、
(しかも親猫が子猫の首を加えてね…)
ここで言うペルシャ猫とは広くイランのこと。
でも個人的には、このタイトルは嬉しかったね」
----どうして?
まさか、猫が好きだからってわけじゃあ…。
「(笑)。そういうことじゃないんだ。
この監督バフマン・ゴバディは、
『酔っぱらった馬の伝説』ですい星のごとく映画界に現れ、
『わが故郷の歌』に続く『亀も空を飛ぶ』で、
その名声を確立した監督。
ただ、ぼくは以前からフォーンにも話しているように、
この中近東を舞台にした映画は
その知識不足から、思考がストップしてしまう。
そこで描かれる、ぼくから見たら超現実的にしか見えないできごと、
それらが、見慣れぬ地形によって増幅され、
どこまでがほんとうで、どこからが寓話かが見分けつかなくなるんだ。
ところが、この映画は、まさにイランの“現在”を描いている。
それも、世界共通の若者たちの表現手段、
音楽を使ってね」
----へぇ~っ。イランって音楽にも厳しそうに思っていたけど、
そうでもないってこと?
「いや。
ポップ音楽に対しては、
やはり当局は厳しく目を光らせている。
政権が変わるごとに、その規制の中身は異なっているので、
一口では言えないけどね。
でも、監督の言葉を借りれば
『この映画はイラン映画史で初めて、
反体制的な若者に対する政府の厳しい対応を
公然と批判した映画』ということらしい。
それを踏まえてこの映画を振り返ると、
少し複雑な気持ちになる」
----???
「つまりこういうこと。
この映画の中で、自分たちのやりたい音楽への渇望から
地下での活動を余儀なくされている若者、
彼ら彼女らが服装の違いこそあれ、
西洋の、あるいは日本の若者とほとんど変わりがないんだ。
あっ、ここで物語をかいつまんで紹介しておこう。
ネガルと、そのボーイフレンドのアシュカン。
彼らインディー・ロックを愛するふたりのミュージシャンは、
演奏許可が下りないテヘランを離れてロンドンで公演することを夢見る。
しかしそのためには、違法にパスポートやビザを取得しなければならない。
ふたりは、一緒にグループを組むメンバーを探す傍ら、
音楽のためなら、なんでもござれの便利屋ナデルを頼るのだが…」
---ニャるほど。そこでイランのいろんなミュージック・シーンが出てくるわけだ。
「そういうこと。
しかも、このふたりを含め、
ミュージシャンたちは自分自身を演じているだけに、
生々しいリアリティがある。
そのおかげでぼくらは
ロック、フォーク・ロック、リズム&ブルース、へヴィメタル、
はてはラップまで、イランのさまざまな
アンダーグラウンド・ミュージックを見聞きできるわけだけど…」
----それは音楽ファンにもたまらないね。
「実は、ぼくはこの映画を観ている間、
アメリカン・ニュー・シネマを思い出していた。
あの頃のアメリカの映画は反体制とロックが結び付き、
カウンターカルチャーとしての輝きを放っていた。
この映画にも似たところがある。
彼らは圧力を受けながらも
いやそれだからこそ音楽という共通の神の下、
ある種の連帯感で繋がっている。
『いちご白書』『…you…』あたりの空気といえば
分かりやすいいかな」
----となると、ラストもハッピーエンドと言うわけにはいきそうにないニャあ。
「さあ、どうだろう。
さすがにそこは、ぼくの口からは言えないけど、
かなり衝撃的であったことは間違いないよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「世界は同じことを繰り返しているのニャ」
※だからかなあ。なんだか懐かしかった度
父の日には、こちらのお花屋さんもよろしく。
噂のtwitterを始めてみました。
「ラムの大通り」のツイッター
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
----ん?これってフォーンと関係ありそう。
だけど、なんでペルシャ猫ニャの?
「いやいや。
確かに猫が出てこないわけでもないんだけど、
(しかも親猫が子猫の首を加えてね…)
ここで言うペルシャ猫とは広くイランのこと。
でも個人的には、このタイトルは嬉しかったね」
----どうして?
まさか、猫が好きだからってわけじゃあ…。
「(笑)。そういうことじゃないんだ。
この監督バフマン・ゴバディは、
『酔っぱらった馬の伝説』ですい星のごとく映画界に現れ、
『わが故郷の歌』に続く『亀も空を飛ぶ』で、
その名声を確立した監督。
ただ、ぼくは以前からフォーンにも話しているように、
この中近東を舞台にした映画は
その知識不足から、思考がストップしてしまう。
そこで描かれる、ぼくから見たら超現実的にしか見えないできごと、
それらが、見慣れぬ地形によって増幅され、
どこまでがほんとうで、どこからが寓話かが見分けつかなくなるんだ。
ところが、この映画は、まさにイランの“現在”を描いている。
それも、世界共通の若者たちの表現手段、
音楽を使ってね」
----へぇ~っ。イランって音楽にも厳しそうに思っていたけど、
そうでもないってこと?
「いや。
ポップ音楽に対しては、
やはり当局は厳しく目を光らせている。
政権が変わるごとに、その規制の中身は異なっているので、
一口では言えないけどね。
でも、監督の言葉を借りれば
『この映画はイラン映画史で初めて、
反体制的な若者に対する政府の厳しい対応を
公然と批判した映画』ということらしい。
それを踏まえてこの映画を振り返ると、
少し複雑な気持ちになる」
----???
「つまりこういうこと。
この映画の中で、自分たちのやりたい音楽への渇望から
地下での活動を余儀なくされている若者、
彼ら彼女らが服装の違いこそあれ、
西洋の、あるいは日本の若者とほとんど変わりがないんだ。
あっ、ここで物語をかいつまんで紹介しておこう。
ネガルと、そのボーイフレンドのアシュカン。
彼らインディー・ロックを愛するふたりのミュージシャンは、
演奏許可が下りないテヘランを離れてロンドンで公演することを夢見る。
しかしそのためには、違法にパスポートやビザを取得しなければならない。
ふたりは、一緒にグループを組むメンバーを探す傍ら、
音楽のためなら、なんでもござれの便利屋ナデルを頼るのだが…」
---ニャるほど。そこでイランのいろんなミュージック・シーンが出てくるわけだ。
「そういうこと。
しかも、このふたりを含め、
ミュージシャンたちは自分自身を演じているだけに、
生々しいリアリティがある。
そのおかげでぼくらは
ロック、フォーク・ロック、リズム&ブルース、へヴィメタル、
はてはラップまで、イランのさまざまな
アンダーグラウンド・ミュージックを見聞きできるわけだけど…」
----それは音楽ファンにもたまらないね。
「実は、ぼくはこの映画を観ている間、
アメリカン・ニュー・シネマを思い出していた。
あの頃のアメリカの映画は反体制とロックが結び付き、
カウンターカルチャーとしての輝きを放っていた。
この映画にも似たところがある。
彼らは圧力を受けながらも
いやそれだからこそ音楽という共通の神の下、
ある種の連帯感で繋がっている。
『いちご白書』『…you…』あたりの空気といえば
分かりやすいいかな」
----となると、ラストもハッピーエンドと言うわけにはいきそうにないニャあ。
「さあ、どうだろう。
さすがにそこは、ぼくの口からは言えないけど、
かなり衝撃的であったことは間違いないよ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「世界は同じことを繰り返しているのニャ」
※だからかなあ。なんだか懐かしかった度
父の日には、こちらのお花屋さんもよろしく。
噂のtwitterを始めてみました。
「ラムの大通り」のツイッター
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)