ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『必死剣 鳥刺し』

2010-05-26 23:58:07 | 新作映画
----また藤沢周平
ほんと人気だね。
「うん。でも、その理由は分かる気もするな。
原作こそ読んでいないけれど、
『たそがれ清兵衛』に始まり、
最近の『花のあと』に至るまで、映画化された作品を観る限り、
そこに貫かれていているのは“ある運命”。
それもその多くは権力者によって弄ばれることが多い。
つまりは、
自分の人生を自分で決めることができない。
そのことへの静かな怒り。
我慢に我慢を重ね、
やがてそれが沸点に達し爆発を見せるんだ。
今回のこの映画にしてもそう。
『隠し剣 鬼の爪』も映画化された“隠し剣”シリーズの中でも、
傑作との誉れ高いい一編だけど、観てみて納得。
これは“死ぬことさえ、許されない”男の話なんだ」

----死ぬことさえ許されない?
よく意味分からないニャあ…。
「じゃあ。
ストーリーをかいつまんで…。
話は、主人公の兼見三佐ェ門(豊川悦司)が、
藩主・右京太夫(村上淳)の愛妾・連子(関めぐみ)を殺すところから始まる。
以後、映画は回想シーンを交えつつ、
連子の口出しにより藩が窮状に陥っているさまを映し出していく。
最愛の妻・睦江(戸田菜穂)を病で失った三佐ェ門にとって、
連子刺殺は自らの死に場所を求めての、覚悟の刀傷沙汰であったわけだ。
ところが、意外にも彼には寛大な処分が下される。
それどころか、一年の閉門後、
彼は藩主の近くに仕えることになる。しかし…」

----へぇ~っ。そのお殿様も分からないニャあ。
権力者であり、しかも愛人を殺されながら、
なぜ、彼を斬首しなかったんだろう?
「斬首か…。
難しい言葉を使ってきたね。
もちろん、これには裏がある。
そこが、いまの現代社会とも通じていて、空恐ろしい。
人というのは、自分の身や地位を守るためには、
平気で他の人を踏み台にする。
それどころか、その命など虫けら程度にしか考えていない…。
なんて、これ以上内容を話すと、
ネタバレになるので、映像の方に話を移そう。
実はこの映画、始終空気が重い。
それもそのはず、主人公の三佐ェ門にしてみれば、
今回の自分への処分は納得いかないことばかり。
もとより死を覚悟の振る舞いなのだから…。
心は半分死んだようなもの。
さて、その生と死のはざまを描く手法として
監督・平山秀幸が選んだのはフィルムでの撮影。
しかも、50~60年代の東映時代劇を思わせる濃青を基調とした映像。
これは、ぼくには懐かしかったね。
子供のころ、映画館にもぐりこんで観た時代劇の記憶を掻き立てられた。
そして訪れる、ラスト15分の壮絶な殺陣。
雨の中で繰り広げられるこの大立ち回りには息を飲んだね。
斬られても斬られても、また斬りかかる。
実際にはありえない」

----ということはリアルな映画じゃないということだニャ?
「血しぶきとかはリアルなんだけどね。
でも、それは鮮血の美学というのとはまた違う。
それどころかもしかして、このシーン、笑う人もいるんじゃないかと、
実はそれをぼくは危惧しているんだ。
というのも、髷を切り落とされた満身創痍の三佐ェ門が、
じりじりとにじり寄る姿は、
誤解を承知で言えば、一種のホラー。
ぼくなんかは一瞬、貞子の姿がダブったもんね」

----それ、言いすぎ(笑)。
「でも、実際にはありえないはずのそのシーンを観て、
ぼくは、平山監督は“伝説を作ろう”としているんだなと確信。
どうせ、映画を作るなら、
そういう“伝説を作る”気構えでやってほしい。
この映画の、壮絶なラスト。
これさえあれば、もう多少のことには目をつむってもいい。
そういう気持ちにさせてくれる、
これは稀有な、いや貴重な映画だったね」



         (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「その必殺剣はどういう剣なのニャ?」おっ、これは

※それは、必死必勝の剣だ度


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