(原題:The Imaginarium of dr. Parnassus)
----おおおっ。これは噂の映画だニャ。
テリー・ギリアム監督の新作と言うよりも。
ヒース・レジャーの遺作ということで話題に。
確か、撮影途中でヒース・レジャーは亡くなったんだよね。
よく完成したよね。
「そうだね。
一時期は、『The Man Killede Don Quihote』の悪夢再びかと…。
ところが、それを救ったのが
監督、主演の関係で、その悪夢を共にしたジョニー・デップ。
最初は制作を中止にしようと思ったギリアムだったが、
プロデューサーで娘エイミーの『この映画を終わりにするなんてありえない』や
撮影監督のニコラ・ペリーニの
『ヒースはもういないが、死亡者を二人、
つまり、彼と映画の二つを亡くすのは食い止めよう』の言葉に押され、
ジョニー・デップに電話。
彼は協力を約束するものの、スケジュールの関係上、
ひとりで代役をこなすことは不可能なことが発覚。
そこで、ヒースの友人であるジュード・ロウと
コリン・ファレルを使うことに。
その参加によって、映画の大筋は変わらないものの
この映画にふさわしい発展を遂げたってわけだ」
----この映画にふさわしいって?
「じゃあ、その前に簡単にストーリーを…。
この映画は、1000歳になるパルナサス博士(クリストファー・プラマー)の物語。
ロンドンで旅芸人の一座を率いている彼は、かつて、
娘ヴァレンティナ(リリー・コール)が16歳になったときに悪魔に差し出すという約束をしていた。
タイムリミットは3日後。
そんな中、一座に記憶喪失の青年トニー(ヒース・レジャー)が加わる。
彼の協力を得て、博士は最後の賭けに出るというもの。
さて、このパルナス博士の出しものというのが、
人が密かに隠し持つ欲望の世界を、
鏡の向こうに映し出して見せる『イマジナリウム』。
実はヒースは、こちらの世界の撮影は撮り終えていたものの、
特撮を使う、鏡の向こうのパートを撮り残していた。
そこで、ギリアムはここに新たな発想を加えたわけだ。
それは、鏡の向こうでは、
中に入った人の想いによって
トニーの顔までも変わってしまうというもの」
----ニャるほど。それはスゴいアイデアだ。
映像的にもオモシロくなるよね。
でも、この映画、思ったよりもストーリーがシンプルだね。
2時間超えるはずでしょ?
「いや。それはこうして端折っているから。
実は、この映画、
テリー・ギリアム自身のことを言おうとしているらしく、
それをパルナス博士に投影している。
博士は悪魔との賭けで永遠の命を得ているんだけど、
長く生きているうちに、それがかえってつらくなる。
そこで、次に彼はその命を終えようと、
悪魔とまた新たな賭けをする。
その代償となったのが娘というわけ。
ところが、そこにトニーという男が加わり、
さらには、アンドリュー・ガーフィールド扮する
曲芸師のアントンのヴァレンティナへの想いまで加わり、
話があちこちに拡散していく。
そのため、せっかくのイマジナリウムの映像が
さあ出てきたぞというときには、
『待たされすぎで、もう疲れてしまったよ』という感じになってくる。
まあ、これはぼくだけの感想だけどね」
----でも、その映像は見ごたえあるんでしょ?
「うん。これまでのギリアムの集大成と
いってもいいかも。
思うにCGというのは
彼のような作家のためにあるのではないかという気にさえなってくる。
これまでのハンドメイドなSFXでは、
あの壮大なイマジネーションを生み出すのには限界があったのではないかと…。
あっとえばリリー・コールが空を舞う映像は、
あの『バロン』をはるかにしのぐ。
なんて、それらを一つひとつ、言っているときりがないけど…」
----じゃあ、その中で一つを取りあげるとしたら?
「そうだね。
ゴンドラかな。
今回は、このゴンドラがなぜか多く出てくるんだ。
で、そのゴンドラが行く川が黒くなって蛇と化した悪魔の胴体に。
そこから悪魔を演じるトム・ウェイツの顔がニュッと盛り上がってくる。
あるいは、あたり一面、金平糖のようなきらびやかな世界。
その川をいくゴンドラの前に死んだ牛が流れてきて、
あたり一面、黒死病の世界に変わるとか…。
まあ、これはほんの一例だけどね。
いずれにしろ、ここまでの映像を生み出す監督は
いまの時代、そうはいない。
ぼくはこれを3Dで観てみたいなあ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも、これはヒット間違いなしだニャ」
※う~ん。あれもこれも言おうとしているから、
観ていて少し集中力がそがれてしまう度
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お花屋さんもよろしく。
----おおおっ。これは噂の映画だニャ。
テリー・ギリアム監督の新作と言うよりも。
ヒース・レジャーの遺作ということで話題に。
確か、撮影途中でヒース・レジャーは亡くなったんだよね。
よく完成したよね。
「そうだね。
一時期は、『The Man Killede Don Quihote』の悪夢再びかと…。
ところが、それを救ったのが
監督、主演の関係で、その悪夢を共にしたジョニー・デップ。
最初は制作を中止にしようと思ったギリアムだったが、
プロデューサーで娘エイミーの『この映画を終わりにするなんてありえない』や
撮影監督のニコラ・ペリーニの
『ヒースはもういないが、死亡者を二人、
つまり、彼と映画の二つを亡くすのは食い止めよう』の言葉に押され、
ジョニー・デップに電話。
彼は協力を約束するものの、スケジュールの関係上、
ひとりで代役をこなすことは不可能なことが発覚。
そこで、ヒースの友人であるジュード・ロウと
コリン・ファレルを使うことに。
その参加によって、映画の大筋は変わらないものの
この映画にふさわしい発展を遂げたってわけだ」
----この映画にふさわしいって?
「じゃあ、その前に簡単にストーリーを…。
この映画は、1000歳になるパルナサス博士(クリストファー・プラマー)の物語。
ロンドンで旅芸人の一座を率いている彼は、かつて、
娘ヴァレンティナ(リリー・コール)が16歳になったときに悪魔に差し出すという約束をしていた。
タイムリミットは3日後。
そんな中、一座に記憶喪失の青年トニー(ヒース・レジャー)が加わる。
彼の協力を得て、博士は最後の賭けに出るというもの。
さて、このパルナス博士の出しものというのが、
人が密かに隠し持つ欲望の世界を、
鏡の向こうに映し出して見せる『イマジナリウム』。
実はヒースは、こちらの世界の撮影は撮り終えていたものの、
特撮を使う、鏡の向こうのパートを撮り残していた。
そこで、ギリアムはここに新たな発想を加えたわけだ。
それは、鏡の向こうでは、
中に入った人の想いによって
トニーの顔までも変わってしまうというもの」
----ニャるほど。それはスゴいアイデアだ。
映像的にもオモシロくなるよね。
でも、この映画、思ったよりもストーリーがシンプルだね。
2時間超えるはずでしょ?
「いや。それはこうして端折っているから。
実は、この映画、
テリー・ギリアム自身のことを言おうとしているらしく、
それをパルナス博士に投影している。
博士は悪魔との賭けで永遠の命を得ているんだけど、
長く生きているうちに、それがかえってつらくなる。
そこで、次に彼はその命を終えようと、
悪魔とまた新たな賭けをする。
その代償となったのが娘というわけ。
ところが、そこにトニーという男が加わり、
さらには、アンドリュー・ガーフィールド扮する
曲芸師のアントンのヴァレンティナへの想いまで加わり、
話があちこちに拡散していく。
そのため、せっかくのイマジナリウムの映像が
さあ出てきたぞというときには、
『待たされすぎで、もう疲れてしまったよ』という感じになってくる。
まあ、これはぼくだけの感想だけどね」
----でも、その映像は見ごたえあるんでしょ?
「うん。これまでのギリアムの集大成と
いってもいいかも。
思うにCGというのは
彼のような作家のためにあるのではないかという気にさえなってくる。
これまでのハンドメイドなSFXでは、
あの壮大なイマジネーションを生み出すのには限界があったのではないかと…。
あっとえばリリー・コールが空を舞う映像は、
あの『バロン』をはるかにしのぐ。
なんて、それらを一つひとつ、言っているときりがないけど…」
----じゃあ、その中で一つを取りあげるとしたら?
「そうだね。
ゴンドラかな。
今回は、このゴンドラがなぜか多く出てくるんだ。
で、そのゴンドラが行く川が黒くなって蛇と化した悪魔の胴体に。
そこから悪魔を演じるトム・ウェイツの顔がニュッと盛り上がってくる。
あるいは、あたり一面、金平糖のようなきらびやかな世界。
その川をいくゴンドラの前に死んだ牛が流れてきて、
あたり一面、黒死病の世界に変わるとか…。
まあ、これはほんの一例だけどね。
いずれにしろ、ここまでの映像を生み出す監督は
いまの時代、そうはいない。
ぼくはこれを3Dで観てみたいなあ」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも、これはヒット間違いなしだニャ」
※う~ん。あれもこれも言おうとしているから、
観ていて少し集中力がそがれてしまう度
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