(あくまでも僕の認識です。)
先行する集団やライダーから自分が離される状態を
オートバイ→「千切られる」、自転車→「千切れる」
例えば、オートバイ:「林道でぶっちぎられちゃった~」、自転車:「上り坂でちぎれちゃった~」
と表現しますが・・・
この「ら」でずいぶんと意図が違うように思います。
同じ状態を、自分と相手のどちらを主体に表現するかの違いで・・・
オートバイ→「離れていく相手がすごい」 自転車→「離される自分が未熟」
という思いをそれぞれが強調しているように受け取れます。「千切れる」はいかにも自転車らしいストイックな表現(?)だと思いませんか?
自転車に乗り始めの頃は「千切れる」という言い回しに違和感がありましたが、皆さんはどうなのでしょうか・・・ 当たり前なのかな?
どうでも良いことにこだわりたい親父の独り言でした・・・
先行する集団やライダーから自分が離される状態を
オートバイ→「千切られる」、自転車→「千切れる」
例えば、オートバイ:「林道でぶっちぎられちゃった~」、自転車:「上り坂でちぎれちゃった~」
と表現しますが・・・
この「ら」でずいぶんと意図が違うように思います。
同じ状態を、自分と相手のどちらを主体に表現するかの違いで・・・
オートバイ→「離れていく相手がすごい」 自転車→「離される自分が未熟」
という思いをそれぞれが強調しているように受け取れます。「千切れる」はいかにも自転車らしいストイックな表現(?)だと思いませんか?
自転車に乗り始めの頃は「千切れる」という言い回しに違和感がありましたが、皆さんはどうなのでしょうか・・・ 当たり前なのかな?
どうでも良いことにこだわりたい親父の独り言でした・・・
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