歩き地図作成の興味も加わって、
家を出てハードに歩き回る
運動がここんところ続いています。
足の故障も完全に治りましたので、
どんどん出てゆきますよ。
もうこんなに燃えているのは
初めてロングトライアスロンに
出ようとした時以来の燃え方でしょうか。
首筋はもう鉛色に焼けていますし、
腕も真っ黒です。
若い時なら赤銅色というような
どす黒い腕なんですが、
年取って表面にも張りが亡くなったので、
中途半端に焼け焦げた
老杉の枝みたいになっています。
そしてさらには、顔の半分が
日焼けしてトンネルを抜けて出てきた
炭鉱夫のようです。
まあこれは、コロナ架による
マスクの日焼けなんですけどね。
もう全身がそんな感じなんですが、
それでも懲りずに
「さあて今日は摩湯山古墳だあ」
とかいいながら、耳に
ワイヤレスイヤホンを付け、
ナマケモノの柄の手作りマスクをし、
さらに白内障予防のための
サングラスもつけながら
出かけていくのでありました。
もうなんか無人島の宝物探しの
海賊のような感じです。
まずは曽根神社にお参りしていきます。
「今日も楽しく歩けて、
無事に帰ってこれますように」
と唱えておきます。
あ、この撫牛にもお祈りしていきましょう。
脳が大丈夫でありますようにっと。
今日は信太山の駅前から、
熊野街道に上がっていきましょう。
以前から気になっていた
こんなうどん屋のある
V字型交差点の左の道に入っていきます。
そしてこんな交差点を
右に曲がって街道に入っていきます。
こんな古い建物があったり、
なんか入りにくそうなお店を過ぎたら、
左に自衛隊が現れます。
ああ~もしかしたら自衛隊員以上に
行進しているかもしれませんな。
左が槇尾と書いてある
道標のあるを交差点を右に行きます。
これが熊野街道ですね。
伯太小学校の横を通り、
伯太高校も過ぎてゆきます。
こんな道標を見つつ街道を進んでいくと、
井ノ口王子に出てきます。
まあもうこの辺はジムの近くなので
毎日といっていいほど
やってくるところです。
あ、ジムは車で行きますけどね。
たまに自転車で行ったりもします。
和気町から街道を離れ、
各地の道標でよくあらわれる
妙泉寺へと向かいます。
そこから小田町へと進んでいきます。
これは久米田池に行った時に
通った道ですね。
田舎道を歩いて行くと
松尾川を越えてゆきます。
その川の横に、なんか歩きやすそうな
道がありますね。
この川は泉北1号線を越え、
松尾寺の少し上流を水源とする川です。
これはもう近々さかのぼって
いかなくてはいけませんね。
道は大きなスーパーの裏側を通り、
牛滝街道を横切って、
多治米忠岡線に出たら、
久米田池はまっすぐですが、
今回はその道を山の方へと進んでいきます。
ここをどんどん進んでいくと、
道の突き当りにバイク屋さんのある
交差点に出てゆきます。
実はそのバイク屋さんは、
ジムの知り合いのお店でした。
でも残念ながらご主人がなくなり、
今はもう店を閉めてはります。
人生はいろいろですねえ。
その交差点を左に曲がると、
すぐに府道40号線に出ますが、
今日の目的地はその府道を突き抜けて
さらにまっすぐ行ったところにある、
大きな池に囲まれてる
摩湯山古墳です。
ここは、摩湯町というところ。
昔山から温泉が湧いていた
ことによる地名だそうです。
この町内に入っていくのは
初めてですねえ。
近くは何度も通っているのにねえ。
まわりにこんな大きな池があり、
中に古墳がたたずんでいます。
意外に大きな古墳です。
丘陵の先端を利用して
作られた前方後円墳。
今回の歩きでここが
再遠方地点になりますね。
古墳の中身を見たいなあ
とは思うのですが、事前に
ネットで調べた情報では
立ち入りは制限されているようです。
被葬者もよくわかりませんしねえ。
まあ今回はすぐ横に来たということで、
古墳を右に見ながら下を流れる
松尾川の方に降りてゆきましょう。
この日もいい天気で、
空には太陽がギラギラしています。
ああ日焼けもますます
きつくなりますねえ。
松尾川も渡り、道はまたまた
弥生町の方に登ってゆきますから、
松尾川は谷底を作っていたんでしょうねえ。
結構な登りの道を
えっちらおっちら登ってゆきます。
和泉中央からの道に出たら
そこを下ってゆきます。
六地蔵を抜けて、
泉井上神社にも寄って
やっと帰宅ですね。
この日歩いたのは22325歩で
距離は18.6キロです。
またまた地図にプロットを
増やしておきましょう。
どんな地図ができるかなあ
楽しみです。
では明日は海の方へと向かいましょうか。
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