ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

野鳥観察をする人々2

2017年06月10日 19時46分07秒 | ウォーキング

友ヶ島も加太も、
紀淡海峡を守り保護する
という意味で、かつては
軍事的には重要地点となっていました。



山の中に砲台を築いて、
大阪湾への違法進入を
阻もうとしていたのですね。



実践では使われたことは
なかったんでしょうねえ。
この日は、渡り鳥の展望を
見に来ていたので、
懐中電灯も持っておらず、
砲台跡には深く入ってはいきませんでした。



いまは百均で小型な
懐中電灯もあるので
やっぱり1個はリュックの中に
入れておいた方が
いいかもわかりませんねえ。

そこからさらに海の方へと
向かっていくと、ありました。



展望台です。
わりと大きく、くつろげそうな
あずま屋が一つデーンとおかれています。

もう20年くらい前にここに来たときは、
全体が芝生のきれいな広場
だったと記憶しているんですが、
今はかなり様子が変わっていますねえ。

まああんな状態を
維持するのも大変なんでしょう。

あずま屋の前の柵の所には
望遠カメラや双眼鏡をセットして
数人の集団がたまっています。



ああ、あれが鳥探索の集団ですな。

ただ単にフラフラ遊びに来ている
おっさんがあまり近づいていっても
邪魔なだけでしょうから
少し離れた大きなベンチに
doironは腰掛けます。

時間もいい時間になったので、
まずは食事しますかね。

今日はお弁当持参ですから、



先ずは湯を沸かして、
先日神戸を歩いているときに、
「沢の鶴」で買ったスープを
作成しましょう。



ラベルを見ますと、
純米酒 酒粕使用と書かれています。

く、車で来ているので大丈夫でしょうか。

まあ、doironもこの辺りで
のんびりして帰りますから
大丈夫ですな。

お湯を沸かしてっと思いましたが、
あれ?
これって渡り鳥の観察に影響しないのかなあ。

バーナーに火をつけるだけで
批難をあびるかなあ
とか思いながら、大きな石の間の
目立たぬところで着火。

視線を浴びることもなく
無事にお湯を沸かせました。

まあ、そこで展望している人達も、
鳥が来るまではベンチに
座ったりして空を眺めていますから、
そんなに焦っている様子もないですから、
のんびりされているんでしょう。

それにしてもこのかす汁風スープは
美味でしたねえ。

食べながら、みんなを見ていると、
時折、大きな鳥が飛んできたり、
背後の山から飛来してきたとき
なんかは、いろいろ話しながら
観察しているようでしたね。

遠くに友ヶ島の島々や
淡路島の海岸なんかを見ながら
doironものんびりしました。

「あれ~、今あそこに大きな鳥が
飛んでいるのに、みんな関心を示さないなあ。」



なんてことも思ったりしてね。
わざわざカメラを担いで
撮影している風にしても
関心を示してくれません。
やっぱり興味の深さは
飛来する鳥の種類に
寄るんでしょうねえ。

駐車場に止まっていた
車のナンバーには、
奈良の人なんかもいたようですから、
遠いところから来ているんですねえ。

きっと希少な種類の鳥なんかも
やってくるんでしょう。

ああ~それにしても風も
気持ちいいよいところでした。

doironもしばらくのんびりした後で
こういうウバメガシ森などを
見学しながら





車に戻りました。

さあ、ではいよいよ最初の目的である、
国道26号線の和歌山側入り口を
目指していきましょう。

車で加太の町の方へ降りてゆき、
加太の駅前を過ぎてから
さらに東向いていきます。

ああこの辺もバイクでよく来たり、
ランニングで走ったりもしたコースですね。

あ、ここのガソリンスタンドは
大変なことになっています。



天井にサメがあ・・・



旧の国道26号線で
孝子峠に上がっていくところも
越えてさらに東に向いていくと、
新国道の入口がありましたので
それに乗りました。

新しい国道はさらに右に進んで
紀の川を超え和歌山城近くまで
行ってるようですね。



まあdoironはそこでもう
だいたい雰囲気わかったので
南下せず北上し始めました。

孝子の山の中に入っていき、
朝方下りた深日ランプ抜けて、



なるほどなあと感心しながら
大阪へと帰っていったのでありました。

しかしまあ、あちこちと
よく遊びに行くもんですな、
まるで渡り鳥のような
doironなのでありましたとさ。おしまい。


野鳥観察をする人々1

2017年06月09日 21時30分42秒 | ウォーキング

この頃和歌山方面に関する交通網が
とても充実してきている。

例えば、京奈和道関連の
自動車専用道も阪和道と
開通しているし、
先日行った鍋谷トンネルも開通している。

また国道26号も和歌山まで開通し、
一般道も和歌山方面行は
とても便利になっている。

まあ、和歌山という方面は
とても好きなところだから、
こういう動きはdoironにとっては
大歓迎である。

先日は鍋谷トンネルを抜けてみたが、
きれいなトンネルを超え
旧道もたまに横切りながら
進んでいくと道の駅が
あったりしてなかなかの
楽しいドライブコースで
あったりもしました。

で、今回は新しい国道26号線が
和歌山まで延伸された
というのでそれを確認に行くことにしたのです。

でもねえ、ただ行くだけ
というのももったいないので、
この日は野鳥観察の人々が
絶えないという「加太」の方も
回って見ていくことにしました。
少しは山も歩けるしね。

まずは、新たに開通した区間まで
頑張って進んでいきましょう。

まずは淡輪ランプまで
国道を走っていきます。



ここで降りるのは
新しくできたという道の駅
「みさき 夢灯台」を訪ねるためです。



一般道に出てぐるりんと回っていきますと、
そこに到着です。
それにしても「夢灯台」とか
「丘の上岬食堂」とかは、



ええとこなんですよ。

でも何となく海辺の生活に
疲れた高齢者夫婦が
ため息つきながら現れるような、
そんな夢芝居的な雰囲気を
感じさせますよねえ。

倉本聡のドラマが出来そうです。

お店には地元の特産品
みたいなのも売られてましたねえ。

doironは何となく
キッコーマン風なこんな地元の
こいくち醤油を買いましたよ。



ブラリンと歩きながら
岬町の案内なんかも
確認しておきました。



再度26号に入りましたが、
和歌山まで行ってしまうと
どのあたりまでとなるのか
わからないので、
とりあえず深日ランプで降り、



加太を目指しました。

ああこの岬町役場の前の道は
自転車でもよく走った道です。

ここはほとんど景色が変わりませんねえ。

とっとパークを超え、



多奈川小島の港を超えたあたりが



大阪府の最西端ですねえ。
この先には大川峠から下りてくる
道がありましたが、
いまはこの道は通行止めです。

自転車で和歌山から加太をまわり、
大川峠を最後の難関として
頑張って超えたものですねえ。

ちょうどここから自宅まで
フルマラソンくらいの
距離がありましたねえ。

今は大川トンネルが通っています。



そのトンネルを抜けて
すぐに右に曲がっていく道が現れます。
これが国民休暇村紀州加太へと
上がっていく道です。

以前はねえ、全然平気で
この登り道を自転車で
上がっていったのにねえ。

もうレースに出なくなってからの
数年前は途中までしか上がれませんでした。

ゴールの休暇村入口の手前の
駐車場で心拍数が
警戒ラインを超えたので停車です。
車もこの道を上がっていき
その駐車場で停車です。

そう、今回加太の渡り鳥観察の
展望台へと続く山道の入口でした。



ではここで荷物を降ろし
歩き始めましょう。
あ、ここに案内板がありますねえ。



え~っと、展望台まで
歩いて10分かあ。

え~っと、渡り鳥の展望台ではなくて、
友ヶ島の展望台なんですねえ。
昨年冬の友ヶ島の
ドジ旅を思い出しますねえ。

レンガの敷き詰められた道を



歩いていきますと、
道端にはこの森の様子の
案内看板とかも立っていますが、
かなり古くなってますねえ。

そろそろ整備した方がいいかもねえ。



山の中をうぐいすの
鳴き声なんかを聞きながら
進んでいきますと、
その先に何やらレンガの壁の
ようなものが見えてきます。




これが砲台跡ですね。

あの友ヶ島にもたくさんありましたねえ。

続く


GW 日本海沿いを行く2

2017年06月08日 21時11分23秒 | 最近の出来事

立山は何度行ったでしょうか。

学生の頃には3回、
働き出してから3回は行ったかなあ。

北アルプスの入門地
のようなところですねえ。

アルプス初心者もよく一緒に
連れていきました。

働き出して、この山に初めて
登ったときに体力の低下を感じたので、
この時以来トレーニングとして
走り始めたのが、
人生の大きなターニングポイントでしたねえ。

それ以来、山以外に走ることが
大きな趣味になったもんね。

でもこの時は黄砂のおかげで
山は見えずでした。
あの時の黄砂はきつかったな。

さて車は富山県を通過中です。

富山といえば、立山のほかにも
思い出すのが「蜃気楼」「ホタルイカ」。
そして意外に知られていないのが、
日本で唯一氷河が存在するところなのだ。
しかも3本も。

これは2012年に氷河名が設定され、
世界の氷河の南限が
カムチャッカから一気に
富山県へと移動したらしいという、
由緒ある氷河なのだ。

立山内蔵助カール内の
永久凍土がそうらしい。

このことはもう少し世間に
提供されてもいいのになあ
と思うなあ。

さあ、ではもっと進んでいきますと、
こんどは金沢を通過です。

学生時代の4年間を過ごした場所です。
一人暮らしを始め、
いろんな知り合いにも会いました。
ここで得たいろんなことが、
いまもまだ心の中の栄養として
生きていることがいっぱいありますね。

書き出したらきりもないし、
さっぱりと通り過ぎましょう。

道は福井の方へと入っていきます。

この福井というのが、
どうも過去のあやふやな記憶を
たどっていくと、
doironのルーツが鯖江のあたりに
ありそうなのです。

それをしきりに言ってた親父がなくなり、
もうあやふやなままになっていますがね。

まあ、とはいえ今さえしっかり
楽しんでいたら、
ルーツはどうでもいいんですけどね。

さて、道はいよいよ日本海沿いを離れて、
琵琶湖沿いへと入ってきます。
で、琵琶湖が見えてくるぞ
と思ったその時です。

なにか普段目に入っているものが
見えなくなっているような
そんな違和感を感じました。

あれ~とおもってふと目の前の
ナビを見ると・・・地図が消えています。

なんぼ何でも琵琶湖の中を
ナビが間違えて走っている
表示間違いかといっても
琵琶湖はまだ遠すぎます。

ラジオは聞こえているのになあ。
試しに、画面タッチはどうか見てみると、
これは生きていそうでした。

では、その感触を頼りに、
画面を開けてみたり、
電源を切ってみたりしてみたが、
やはり画面表示が
直るはずもなさそうだ。

長野で変なローマ字表示
とか出てたしなあ。



ちょっと変調をきたし始めて
いたのかもなあ。

いったん車をSAに入れてストップ、
再生をしてみたが、
やはりそれでも直らないから、
これはもう修理のようですねえ。

まあdoironの頭の地図も、
そこまで来たらだいたい
わかるからいいけど
もっと先の群馬とかやったら
帰れなかったやろなあ。

ここから先で一番ややこしいのが
京滋バイパスに入る辺りかなあ。
怪しい記憶をたどりながらですが、
まあなんとか思い通りの道を
とることができたようです。

よかったよかった。

ふだんは何気なくついているナビですが、
こうして画面がなくなると
やはり不安なものですなあ。

それにこのナビはバックモニターも
ついているので、
バックの距離の取り方も
それに頼っていたから、
実際ないとなると
後ろを見ながらバックするので
首の筋が変になりそうです。

なんとか家に帰って、
翌日車屋に連絡するとお休みでした。

うう~GWのあと休みやねえ。

人生の地図を見失いそうになりながら、
その後何とか連絡がついて、
引き上げてもらったところ、
どうも基盤交換になるとのこと。

保証はないのかあ。
車両保険はきかんのかなあ。

調べたけど両方無理でしたね。

で料金は、な、なんと48000円。
うひゃあ、これは意外な出費でしたねえ。
こんな年金前のおじさんには大金です。

もっとdoironも、しっかり働ける人に、
基盤交換してもらわないと
いけませんかねえ。

本州の半分くらいの距離を、
あちこちうろうろしたGWでしたが、
最後にヘナヘナが待ってたのでしたとさ。

やれやれ。
GWは終わりです。


GW 日本海沿いを行く1

2017年06月07日 21時24分48秒 | 最近の出来事

連続で萩、長野、群馬と回ってきた
そんなGWも終盤となってきました。

長野からの帰りは上信越道で
上越まで行き、北陸道に出てから
日本海沿いを西へ移動し、
大阪へと向かっていくコースを行きます。

今回はこんなコースをまわって、
大阪へ帰りますと
花嫁のお父さんに話していたら

「ああそのコースやったら
約150kmほど距離が長くなるなあ」
と言ってました。

実はそのお父さんというのは
doironと同じ年で、
若い時から運送の仕事をしており、
今も続けているとのことなので、
移動の距離に関しては
非常に敏感なのです。

そんなコースは昔、息子が
長野県東御市の企業に就職した時に、
彼の働く会社や住んでいる町を見るために、
ミセスと旅して通ったコースでもあります。

あの時は、氷見に一泊して
帰りましたが今回はもうまっすぐ
大阪へと向かいます。

季節もよく似ている時期でしたねえ。
朝早くにホテルを出て、出発しました。

もうこの日は月曜日となり、
GWも終わっていたので、
道には会社勤めの通勤者が
いっぱいいる感じでしたね。
仕事に行った息子には
メールで別れを告げて
高速に向かいます。

この辺りは山も大きくて
道を北上していきますと、
いろんな山が見えてくるようです。

ミセスが持ってるアプリで
山の名前を検索していると、
なんか冬に聞くスキー場の
そんな名前がほとんどです。

携帯でカメラ越しに山を見ると、
山の名前が地図上に出てくるソフトで、
これはなかなかの優れものですよ。

途中、上信越でサービスエリアに入りました。

いぜんはここでのっぺい汁を
食べたんやなあ。



そうそうあの時は大きな地震の
あとやったので山古志村の
でっかい錦鯉が袋に入って
売られてましたねえ。



今回は、向こうのご両親に聞いた
名前の山菜が青空で
いっぱい売られていたので、
これは今後のお付き合いのためにも
買ってみて食べてみなくては
と決意し、いくつか買ってみることにしました。

その後、てんぷらにし
コゴミやアケビの新芽は
おいしくいただきましたよ。

向こうの親の実家にはこういう山菜は
いくらでもあるとのことでしたので
それは楽しみですねえ。
ぜひとも早くいってみたいですねえ。

ただ、ざざ虫やハチの子はいただけませんがね。

上越ジャンクションから左に曲がって、
高速は北陸道に入ります。
北陸道は北は新潟中央JCTから
米原JCTまでで、意外に長いんです。

日本最長は東北自動車道、
2番目は中国自動車道で
なんと北陸道は国内3番目に
長い高速なんです。

これを西向いて走っていきますと、
ところどころで日本海沿いとなります。

今の季節は気持ちいいのですが、
冬なんかは「浪の華」なんかが
飛んできたりするんでしょうねえ。

友達が住んでいる「糸魚川」をぬけると、
よく聞く名前が出てきます。

「親不知」ですねえ。

北アルプスの山脈がここまで続いてきて、
ここで日本海に浸食されている
というところですね。

なぜ「親不知」なのかは
二種類あるそうで、
ひとつはここの道を通過するときに、
厳しい海沿いを歩かないと
行けなかったので、
親は子を、子は親を見守ることなく
必死で歩かないと行けなかったことから来た名前。

もう一つは昔の偉い人が
ここで子供を波にさらわれたことから
ついたという説があるそうですねえ。

決して、道のりが悪く、
くそーと口の奥の虫歯が騒いだから
というわけではなさそうです。

そこを過ぎて、黒部川を渡ったころから
左の山奥の方に立山などが
見えてくるそうですが、
この日はなんと黄砂が飛び交っており、
山頂付近が雪に覆われた山々は
黄色いガスの中にいるようでした。

続く


GW 長野から群馬へ2

2017年06月06日 21時10分37秒 | ウォーキング

長野市から平地を走っていると、
途中の地名がローマ字で出ています。



あれ~変な表示やなあ
とおもいつつ走行。
もしかしたらナビも故障しそうやなあ
とか思いながら写真撮影しておきました。

で、再び上信越道を上田方面に向かっていき、
その上田も通り過ぎてどんどん走り、
関越道に合流してすぐに北関東道へと
入っていくコースで群馬の
目的地に向かうことになります。

いずれも初めて走るコースです。
周りの景色なんかも眺めながら、
のんびり行くことにしましょう。

まずは上田を過ぎてから、
左手に浅間山の山の景色などを
眺めながら小諸の方へと
進んでいきましょう。

この時期だと山も山頂近くには
まだ雪が残っていますねえ。



あ、ああ浅間山からは
煙が出ていますねえ。



さすがに元気な活火山であります。

お腹がすいてきたので
「佐久」サービスエリアの食堂で
ご飯にしましょうかねえ。

さすがにここはこれでしょう。



キムチが溶岩を表して
いるんでしょうかねえ。
そして白ネギが噴出した火山の煙?
食べてみるとピリッと辛かったですねえ。



うう~ビールが飲みたいですけど、
SAなのでできません。

佐久を出て、しばらく走っていると
右手に奇妙な形の山が見えてきます。



これは、妙義山ですかねえ。

知らない土地に行くと、
いろんな山の形が
印象に残ったりしますよねえ。



左手には遠くに軽井沢の
町が見えているはずです。

その辺は二度ほど来てるのですがねえ。
こうしてみるとかなり自分の思い出
とかからは離れて見えます。

で、そこからしばらく進むと、
世界遺産のひとつ富岡製糸場のある
富岡市の方をぬけて行きます。

広い平地が広がっていましたね。



この辺は実業団駅伝でも
走るところかなあ
などと考えてしまいます。

やがて道路は上信越道が終わりとなり、
関越道に入ります。

何となく今まで山の中の道を
走っていたので、いきなり
都会の道路という感じになりますね。

で、しばらく進むと、
今度はさらに北関東道へと入っていきます。

おりるインターである
伊勢崎ももうすぐです。

伊勢崎市というと同じ地名で
有名な横浜市の伊勢佐木町が
ありますがこちらは

「いせざき」町で

今高速を下りようとしているのは

「いせさき」市です。

もともとかつて所領の一部を
伊勢神宮に寄進したところから
こういう市の名前になっている
とのことだそうです。

しかし、群馬の地名や地形は
普段なじみがないだけに
何かよくわかりませんね。
今までの記憶といえば、
谷川岳に触れたくらいですもんね。

北関東道を降りて
結構広い平地の一般道を
北向いて進んでいきます。

ああ、進んでいく地形の標識に
「日光」なんかが入ってきますねえ。
思えば遠くまで来たものです。

ナビに従ってずんずん進んでいくと、
そやなあ上田から3時間近く
たったでしょうか、
渡良瀬川の奥の草木湖のところに





その美術館がありました。



四季折々の作品を集めて
展示するというその美術館。

今回のテーマは「春うらら」でした。



作品の大きさや絵の具の使い方も
よく見ましたし、ホワイトで
訂正している修正箇所なんかも
新鮮でしたね。

口に筆を加えて書いているという
作者の苦労がよくわかる絵画展でしたね。

じっくりとすべての作品を
眺めてきました。

いやー、遠かったけど
来てよかったです。

僕もまた帰ったら
しっかり絵を描こうと思ったものでした。

来た道を再び帰っていき、
長かった半日を
いい感じで過ごしました。

息子の結婚の準備、
doironの趣味の充実もできた
いい一日でしたね。

上田まで帰り、夜はミセスと
上田駅近くの居酒屋で
宴会をしたそんなGWの夜でした。

さあ、ではあすはここから
日本海を経由して帰っていきましょう。


GW 長野から群馬へ1

2017年06月05日 21時13分51秒 | ウォーキング

上田に泊まり、息子の結婚相手の両親と
無事に初顔合わせをすました翌日は、
長野市にある結婚式場へ
doiron夫婦の服の衣装合わせに出かけました。

新郎の父親はモーニング、
母は留袖を切るので
その服を借りるための衣装合わせです。


モデルはdoironではありません

この日式場へ入るのは午前10時です。
上田から長野だと車で
40分くらいでつくようです。

だからそれまでゆっくりしてから
出かけましょう・・・となるはずもなく、
早めにホテルを出て長野市内の
善光寺へと出かけることにしました。





西国三十三カ所のいわゆる
番外札所のようなところです。

「遠くとも一度は詣れ善光寺」
「牛にひかれて善光寺参り」



とか慣用句でいわれている
長野の名刹であります。

裏口の方にある駐車場に車をとめて
歩いて入っていきます。

ここには「迷子郵便供養塔」
というのもありますね。
どんな郵便でしょうか。
宛名が変で、差出人もしっかり
書かれていない郵便かなあ。
それはまた悲しい郵便ですね。
供養しておきましょう。



善光寺はこれまで3回来たことがあります。

1回は北アの山の帰り、
2回目は親子で来たことがあります。
そして3回目は息子の入学の時です。
で今回が4回目。

中に入っていきますと、
これが国宝の本堂ですな。



ここには真っ暗けの回遊路も
中にはあるそうです。
親子で来た時には
そこを回ったような記憶があります。
そしてこれが山門ですね。



ここまで延々と歩いて回ってきた人の
わらじなんかが昔から
干されてあったのでしょうねえ。

四国のお寺にもいっぱい
ぶら下がっていたなあ。

そしてその外にはみやげもの屋や
食堂が並びます。



かつては賑やかなところだったのでしょうねえ。
ここですこしお土産でも
買っておきましょうか。

doironは、この地方の名物のひとつである
八幡屋の唐辛子を購入しました。

とまあそうして善光寺のあたりを
うろうろしていますと、おっ
もうあっという間に
衣装合わせの時間が近づいてきました。

まあ、この善光寺辺りは
これから孫ができたりすると
なんども来ることになるでしょうから、
今日はこの辺にしときましょう。

では結婚式場であります
長野駅前のホテルへと向かいます。



さあて、息子が結婚式場に
選んだのはどんなところかなあ。
ナビに連れられて行ってみますと、
ふむふむまあ息子らしく
それなりの所を選んでいるようです。



でもまあ結局地元の彼女の
意見が多いんでしょうけどね。

そこでモーニングの衣装合わせですが、



ミセスの留袖もあわせて



15分くらいで終わってしまいました。

まあ、それまでには着れなくなるほど
ダイエットでやせることはないでしょう
(実際そうでしたが)。

着替えて、モデル用に撮影会とか
握手会とかあったら時間かかるだろうなあ
と思っていたら、着替えをちょろっとしただけで
こんなに早く用事が住んでしまいました。

時間がもったいなくて仕方ないですねえ。

え~っと、ここまできたから
行っておこうというところは
ないだろうかと地図を見ていたら、
意外に群馬の方も近い
ということがわかりました。

ということは、前から行きたいなあ
と思っていたけど遠いなあと
躊躇していた場所が一つあります。

そこへ出かけてみることにしましょう。
それは、「星野富弘美術館」です。

仕事を辞めて、ハードな
ワーキングスケジュールから解放されてから、
ひょんなことで始めた絵手紙風の趣味に
はまり込んでしまいました。
そんな趣味の絵手紙に会う一人の作品が
この人の詩画集でした。



運動選手が事故で頚髄を損傷して
手足が動かないと自由を失い、
口に筆を加えて絵を描くところから
始めた人です。

最初はつたない絵でしたが、
いまはもう見事な絵を描いてはります。
そこに添えられた言葉も
心を動かすもので、すごい人だなあ
と思います。

その人の作品を展示する美術館が
群馬にあるというので、
長野からだと近いので、
ではこの際だからと
行ってみることにしたのです。

続く


GW 長野へ行った2

2017年06月04日 21時12分28秒 | ウォーキング

今日の結婚式は無事に終わりました。
内容は、また別の日に書きましょう。
ブログは昨日の続きです。

長野上田の城跡で
ビールを飲みつつそばをいただきました。



いやあ、もうこんな歴史のある場所で
こんな幸せな昼食をしただけで
来た甲斐があるってもんですな。



と言いつつも今夜は
初顔合わせの食事会ですから
ビールでふらふらになって
参加するなどはいけません。

帰りには上田市立博物館により



いろいろと眺めたり、
市役所の横を通りつつと





目を覚ましながらホテルへと戻りました。


ここで時刻は午後二時です。
フロントでいうと
もうチェックインできましたのは、
ラッキーでしたな。

そして待ち合わせは、
息子の手配でこのホテルの
一階レストランで行うことになりましたので、
これもまたラッキーでした。

ということは時間的にも余裕ができました。

ミセスは朝早かったし、
途中で仮眠もしなかったので、
ベッドでチョット寝とく
というのでdoironは
ここまで来たらもっとしっかり
遊ばなくちゃと、
ひとりで上田の町中を
もう少し歩いてみようと、
またまた出かけたのでありました。

ちっともじっとしてませんね。

まずは駅に行き、そこから歩き始めます。




第三セクターの上田駅

北国街道が通るという、
市内の山の方へと歩いていきましょう。

真田幸村には10人の
すぐれた部下がいたといいます。



まあ俗にいう
「真田十勇士」という連中ですな。

架空の人物たちとされていますが、
中には史実を持ったメンバーも
いるようです。

有名なのが「猿飛佐助、霧隠才蔵」の二人かな。
あとまあ名前だけでいえば
「根津甚八」もある意味知られている。

これらの十勇士の人形が、
駅から北国街道へと続く道に
次々と置かれているそうだ。

例えばこれが「霧隠才蔵」ですな。



あ、途中の広場には
こういうところもありました。



まあいろいろやっているようです。



池波正太郎の真田太平記館
などもあるようですが、
入らずに進んでいきますと、
こういう石も立っていました。



そうやねえ、長野県内でも
この辺りはかなり
日本海に近い様子です。

今回の帰りは日本海周りを
通って帰ることにしましょうかね。

そしていよいよ北国街道の
通りに出てきました。

「柳町通り」といいます。



様々なお土産屋さんなどが並ぶ、
ちょっとした昔通りです。

カフェなんかがあったり、



こんな酒屋があったりもします。



そして通りの中ほどには、
こんな「保命水」と書かれた井戸が。



もともと上田には良質な
飲料水が少なかったので、
町民の負担でこういう井戸があったそうです。

これは唯一のその残りの
井戸なんだそうです。
横から湧きだしていたので
いただいておきました。



そんな遺物なんかを見て回り、
この地域のことをいろいろと
観察をしてきました。

では、ぼちぼち時間も迫ってきましたので、
ホテルへと向かいましょう。

部屋に入って準備をしていると、
息子から電話がありました。
もうすぐ着くよ、とのこと。

さあ、今回のメインイベントの開始です。

う~む、初めて見る向こうの両親は
どんな人でしょう。
写真も見たことがありません。
プロレスラーみたいな人だったらどうしよう、
などと思いつつ
一階ロビーに座って待っていると、
やってきました。

優しそうなご両親でよかったですね。

はじめましてのあいさつを交わして、
さあでは食事でも致しましょう。

座っていろいろ話を聞いてますと、
もう生粋の長野県人でしたね。

アユ釣りが好きで、
ハチの巣狩りをしたり、
ざざ虫食べたりと話は驚きでした。

息子が紹介するdoironの話の方が
すっかり異常なオヤジでしたな。

でもまあ大変向こうのご両親には
かわいがられ喜ばれているようで
安心しました。

18歳で親元を離れ、
長野に行ってしまった息子ですが、
こうしてこちらでも
親しくしていただける身内がいる
というだけでもこちらは大喜びでした。

御両親4人もいろいろ盛り上がり、
来月の結婚がうまくいきますようにと、
心からねがった初顔合わせとなったいい時間でした。

さあ、でもGWの遊びは
まだまだ続きます。


GW 長野へ行った1

2017年06月03日 20時49分27秒 | ウォーキング

今日は長野に来ています。
河内長野とちゃいますよ。
長野県長野市です。

実は息子がこちらの
長野県上田市に住んでいて、
彼が明日6月4日に結婚するので、
それへの参加のためなのです。

二人はもう一緒に住んでいます。
でも結婚式はこの日だと
決めていたようです。

最近の若い人ですから
まあ良くあることなのでしょう。

その娘さんの両親との顔合わせが、
結婚式の1カ月前、
なんと萩から帰ってきた翌日なのでした。

今日はそのときのことを書きましょう。

結婚相手のご両親とお会いするのは、
今彼らが住んでいる長野県上田市でした。

ほんというともっと前に
お会いするつもりだったのですよ。
でもなかなかお仕事をされている
向こうさんとは都合があわず、
こんな1ヵ月前という
結婚直前になってしまった
というわけです。

で、長野へは車で向かいました。

向こうでの顔合わせ、
結婚式場での衣装合わせなど
移動の機会が多かったからです。

でもねえ、GWです。
道の状況がどうなるかわかりません。

夕方6時に待ち合わせですから、
その時刻は守らなければ
なりませんからねえ。

渋滞で遅刻など、
「向こうの親は何考えてんねん」
なんてならないように
こちらは万全の態勢で
行かなくてはなりません。

なので、萩から帰ってきた晩の
2時には起きて、3時ころに
家をスタートという
ハードスケジュールで
出かけていったのでありました。

京奈和道から名神に入り中央道へ。

名古屋を過ぎて雪のかぶった
中央アルプスにかかったところで、
まあこれで行けるだろうと
しばらく「仮眠」しましたよ。



まあこういう時は、
どこでもいつでも眠れるという
特技がいきますねえ。
眠れずにうろうろしている
ミセスが気の毒ですな。

そんな風にのんびりしながら
約7時間半で、目的地の
ホテルの駐車場へと到着し、
まあこれで約束はきちんと
守れるなあって感じとなりました。

でもこんな昼前の時間に
チェックインはできませんから、
車に荷物を置いたまま
先ずは上田観光です。

とりあえず上田城へ行こうと
歩き始めました。
あのNHKの大河ドラマ
「真田丸」で有名になったお城です。



上田駅前のホテルから、
ああ~息子は今はこんな町で
過ごしているのかあ
とか思いながら坂道を
少しのぼって行きますと、
ああ、ありました。



ここが上田城跡です。



結構な観光客が来ていますね。



ここは1583年にあの真田幸村の
お父さんである昌幸が建てたお城です。
徳川軍を破るなど、
様々な歴史を刻んできたお城ですね。
残念ながら今は三の丸は
市街地に代わっていますが、
本丸と二の丸には土塁や石垣などが
残っており、特に本丸の東西の虎口には
隅櫓が残っていて
有料で見学できたりしますね。



せっかくなので入って行ってみましょう。

中には、真田城の歴史案内や



遺物の紹介、六文銭の盾や旗



などの展示もありました。



建物の木もかなりしっかりしたものを
使っているようです。



そしてその先には
真田神社もありましたね。



そこには巨大な六文銭のかぶとや



真田井戸なる抜け穴のあるという
井戸などがありましたねえ。



広さ的にはそんなに
巨大なところではなかったのですが、
石垣の方に立つと
上田の町も見渡せる
なかなかのところでした。



きっちりとお参りもし、
さて、お腹もすきましたので
先ほどの広場にあったお店で
ソバでも食べましょう。

ここで一人前を注文したら
かなりの量のソバが入ってましたよ。



ほかの店でもそうでしたけど、
ここのソバは一人前で、
大阪の1.5倍のソバが入ってますねえ。

これはもうそばをつつきながら、
ビールも注文しなきゃね、



と続きます。


GW 萩へ行った2

2017年06月02日 21時32分17秒 | ウォーキング

ここで今回の応援の一人で、
唯一の250km完走者である
アガシ君が佐々並にやってきました。

おかえりなさい~。

「はあ、何とかいけそうやあ」
という感じです。
よかったですねえ。
ごくろうさんです。

彼のあとも我々は何人か見送って、
ではぼちぼちまたゴールに向かいましょう
と車で走っていると、
寝ながら走っているアガシ君を発見。



もう少し~頑張れ~。

その後ゴールで待っていると、
babiさんはじめ、
いろんな人が返ってきます。
もちろんアガシ君も



そうそうここでゴールの案内をしている
女性とアナウンスの合間にお話しをしました。



なんでもフリーのアナウンサーだそうです。

いやあ、こんな役割も大変ですねえ。
アイスクリームを差し入れしておきましたあ。

このあと70kmに参加している
仲間が続々と帰ってきました。







最後は、ラン子さんと応援貝さんの
仲良しゴールでしたね。



いやあ皆さんお疲れさんでしたあ。

さあ、疲れてはいるかと思いますが
この後はお風呂と宴会ですよ。

宿は湯田温泉の中にセイゾー君が
手配してくれました。
そこまで車とタクシーで向かいます。

一日全然走ったりもしなかったけど、
応援しているだけでも疲れましたねえ。

ああ~そうか
生ビールをいただきすぎましたかねえ。

お風呂に入ってさっぱりし、
では予約してある居酒屋まで
歩いていきます。

初めて萩を走ったときは
もう体がボロボロでした。

でもその後飯屋まで歩いて行ったりするので、
もうバテバテでしたなあ。

今のみんなはとても元気です。

と思いつつも居酒屋で写真を撮ったときは、
さすがに250を観想したアガシ君は
もうふらふらでしたので
目隠し付きであります^^。



この日はさすがに飲みすぎましたね。

夜は選手並みに熟睡しました。
まあ、いつでもですけどね。

で、翌朝はまずはひとりで
湯田温泉の町を散歩しました。
ここではマンふたでいろいろと
アピールをしておりましたな。

まずはこの七夕提灯のマンふたと



萩往還道のマンふたです。



まあこれが共通のマンふたのようでしたが、
温泉の中には様々なマンふたが
置かれてありました。











どうも湯田温泉を見つけた
という白狐がこの辺りでは
メインキャラのようですねえ。

駅にもこんな大きな狐が置かれています。



このあとさらに帰路に入ったみんなで
再度散歩です。

足湯に入って・・・



子どもの日で入場無料の
「中原中也」の記念館に入り、



その前の店ではこんなお酒の
試飲メニューをいただいたりしておりました。



湯田温泉駅はつつじが満開です。

記念撮影しておきましょう。



帰りは新山口から駅弁と
ビールを買って新幹線へ。



え~しゃべる声がうるさすぎて
駅員さんに車内で
起こられてしまいましたよ。

まあ、でも何はともあれ、
スポーツを楽しみ、観光を楽しんだ
萩2日間でした。

皆さんお疲れ様でした。

doironのGWはまだまだ続きます。


GW 萩へ行った1

2017年06月01日 22時11分50秒 | ウォーキング

先日も書いたように、
これまで250kmを
4回完走した萩のウルトラマラソンへ
仲間の応援に行ってきました。

この萩往還のレース
ゴールが5月4日の夕方なので、
その日の早朝に新幹線に飛び乗っての応援だ。

GWもミセスの発熱とやらで
しばらく遊べなかったので、
ここから突入です。

え~っと、電車に飛び乗って
朝から食事はこれです。



のんびりと楽しみつつ
出かけて行きましょう。

GWだから電車も満員と思っていたら、
自由席はガラガラ。
ますますのんびり致しました。

新山口についたら、
ここから在来線に乗り換えて
山口駅へと向かいます。

ああ、昔はこんなコースを通って
大会会場へ行ったなあ。
初めての時は山口駅が
近づいてくるごとにドキドキしたし、
大会会場に行くと
どんな人間がうろうろしてるんやろ
と思ったら緊張したなあ。

ま、実際スタートゴール地点である
瑠璃光寺について周りを見たら、
イカにもすごそうな
ランナーばかりに見えましたな。

え~あんな真っ黒なおじさんがいる。
もうビール持ってるおじさんもいる。

と思っていたら、自分自身も当時は
真っ黒でしたなあ。

そんな懐かしい山口駅から、
応援のためにゴール会場の
瑠璃光寺に向かっていく途中、
オーちゃんと彼の帰り道に出会いました。



彼は残念ながらゴールできずでしたが、
まあ次に期待しましょう・・・
といっても来年でこの大会が
終わるそうですけどね。

お二人で仲良く観光して
帰ってくださいね。

瑠璃光寺に行くとまだ選手が
続々と帰ってくる時間ではないので、
ひっそりしています。

何も知らない観光客の人たちは、
歴史豊かなお寺だなあとおもいつつ、
ここにこれからどんな人が
返ってくるのか想像もつかないでしょうねえ。

そういえば、応援も含めて
これまで5回もここに来たのに、
瑠璃光寺の事は何も知らないので
ちょっとうろうろしてみましょう。

ここは、周防国の守護代を務めた
陶市の菩提寺です。
ちょっと有名なのが五重塔ですが、



少し離れたところにある
毛利家墓所の石畳が有名です。

墓所の前にある石畳に立ち、
手をたたくとその音が
美しい音になって響きます。



「うぐいす張りの石畳」
というのですが、
実際にほんとに奇妙な音が
返ってきましたね。

そんなことをしつつさあ、
ゴールの前に陣取りましょう。

250kmに参加していた貝さん、
濱ちゃん、140kmのジェイさんは
残念ながらリタイヤなのでその後、
ここで合流。(写真は湯田温泉駅)



瑠璃光寺前でみんなを
迎えることになりました。

次々に帰ってくる選手たち。
途中経過の報告メールや
その時間を考えたら、
少し余裕もあるようですから、
途中から佐々並のエイドまで
借りてあったレンタカーで向かいました。

ゴール前のコースを車で走っていきますと、
前から走ってくる人たちの顔は、
もうゴール目前で輝いていますね。

ああ自分もここではそうだったやろなあ。

初めてのゴールの時は
「ああ、自分のマラソン人生も
ここまで来たんやあ」という
感慨があふれてきましたな。

道を詳しく覚えている濱ちゃんの運転で
佐々並に到着。

ここのエイドでは
「豆腐」が名物なんですよねえ。



毎回食べたけど、もう意識も薄く
あまり覚えていない状態でした。
スタートして三日目だもんね。

こういう応援という普通の
からだの状態の時に食べたかったけど、
まあ選手のものなので
そんなことはできません。

とまあそう言ってるうちに、
このエイドにbabiさんが到着です。



もう11回目の萩250kmの完走ですね。
高野山の110キロでお会いしてから
彼女のウルトラ人生は続いてますねえ。

途中大阪国際も走ったけど、
仕事の激務の中でもう
考えられないくらいタフですねえ。
もうそれだけでも超人なんですよねえ。

続く