そう、ここ藤井寺の本尊は
釈迦如来として作られたのですが、
いつの時代からか左手に
薬壺が載せられており、
それ以降は薬師如来として
信仰されてきたそうです。
ここで勤行を行うときには
薬師如来の真言
「おんころころまとうぎそわか」
をあげるのだそうで、
われわれもそうしました。
でもその仏像はなんと四国霊場中
最古の仏像(1148年)として
重要文化財に指定されているそうですが、
名称は「釈迦如来坐像」なんだそうです。
作ったときと、信仰の対象が
変ったということなんですねえ。
いやいや複雑ですね。
で、このお遍路さんには
まだもう一つの話があります。
実はこのお寺、天正年間(1573~92年)の
兵火ですべて焼失したのですが、
本尊だけは焼け残ったそうで、
さらに天保3年(1832年)の火事でも、
本尊だけは災難を免れた
ということがあったそうです。
いやあ、人々の想いが
本尊を火から守ったということなんですね~。
だったらさあ、この本尊は
防災の守りの本尊でもよかったかもね。
で、本堂の天井に書かれてある
龍の絵は迫力があるものですが、
ちょっと写真は撮れなかったです。
最後にこじんまりした
大師堂でお参りをし、
川でたまっている
大量のオタマジャクシに驚きつつも
さあつぎは10番の切幡寺を
目指しましょう。
順周りをしている遍路の人たちに
とっては、1番から9番と
いわゆる平地の寺をまわってきて、
ここ10番にきてようやく
山寺へと入っていきます。
なので、最初の難所といわれる
お寺となるわけです。
われわれがツアーで利用しているバスでも、
かなり手前で大型通行止めとなりますので、
長い道を歩いていかねばなりません。
最後は急な階段が333段あり、
これがまあ年寄りにはつらいそうだ。
でもねえ、こんなところでも
タクシーは利用できます。
ぐいぐいと階段も使わなくていいほど、
かなり上まで行けるとのことなので、
ここでは希望者のみ
有料でタクシーで行くことになりました。
まあ、遍路の最初の方なので
疲れが出てはいけないからと
首Dさんはタクシー乗車となりました。
doironはテクテクと歩いていきます。
途中、こんな掛軸屋さんが
表層をされていました。
やすそうなので、要チェックです。
徳島自動車道の高架下で
センダンの花の咲く山道を
のぼって行きます。
写真を撮りながらうろうろと
歩いていると先達さんが
早く来んかなあみたいな感じで
先で待っていたりします。
「すみません!般若波羅蜜多」
と心の中で謝っておきましょう。
そしてここにあるのが
「杖無し橋」です。
そのむかし、大阪市の人が脚気で
入院しましたが歩行困難になりました。
これはいけないと、
四国遍路を始めましたが、
1番、2番と回るにつれ、
ますます歩行困難になったそうです。
どうしようと迷いましたが、
それでも弘法大師にすがろうと
遍路を続け、この10番の
切幡寺に来た時に、
この橋のところで急に体が軽くなり、
杖無しでも歩けるようになった
という逸話があるそうです。
お遍路をやってる中で
こういう話はよく聞きます。
急に歩けるようになって
車いすがいらなくなったとか
そういう話です。
ああ~そしたらdoironも
四国遍路をランニングで回っていたら、
フルで3時間も切れたし、
こんな体にならずに
済んだのかもしれません。
大変入り組んだ変な祈願ですがね。
まあ走って四国遍路してたら
それくらいの力は
ついていたかもしれませんがね。
でも実際、結願とともに
アトピーが直ったということを
実際の病気の本人から
聞いたこともありますしねえ。
まあとにかく、
すべての遍路寺で納札に書いてきた
願いがちゃんとかなうことを
しっかりお願いしておきましょう。
333段の階段をのぼったところで、
こういう観音さんが置かれています。
ちょっと特徴のある観音さんなので、
ここではこれを絵にしておくことにしました。
どんな特徴かというと・・・続く。