ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大学講座同総会 熱海編5

2017年06月20日 21時05分55秒 | ウォーキング

もうポロシャツの脇の部分が
汗で白くなっています。
それほど暑い日でした。

フェンスを越えて海辺の
あまり人が来ないあたりに
入っていくと、

おお~、ここはなんという
楽園なんでしょう。
ビキニを着たお姉さんが二人、
思いっきり寝そべって
日焼けしてはりましたな。

写真はこれ・・・って、
とってませんよ。

おっさんがこんなん採ってて通報され、
同窓会前にdoironが痴漢で
警察に連れていかれるなんてなると、
もうミスド会がビキニ会と
名前が変わってしまうじゃないですか。
それはいけません。

でもここがこんな状態だったら、
ほんとの浜の方は
どうなっているだろうかと喜んで・・・
いや、心配してしまいます。

まあ観光者がやってくるような
ビーチ、砂場のあたりは
ごく普通でしたがね。

え~っと、doironが40年前に
やってきたときの記憶から行くと、
どうやらあの寛一、お宮の銅像は
この先のようです。

ではこの辺で先に昼ご飯を
食べておきましょう。

といってもどこも結構人で
いっぱいです。
さっきの伊豆山神社と違って、
この辺は熱海の観光中心地ですから、
大勢の人がいるんで大変ですね。

仕方ないのではいれそうな
交差点のところにある
でっかいファミレスに入って
おくことにしました。

夜はこの日は豪華宴会ですがねえ、
こんなけ汗をかくほど
歩き回ったので、
ここでもしっかり食べておきましょう。

こんな料理です。



意外に安かったですよ。
そばをつつき、かつ丼いただきながら
生ビールをクイッ。

プハー、これはもうどこで
食べてもいいですねえ。

で、外の景色を見ながら
食べていると、隣のテーブルに
なんかテレビスタッフと
女優さん二人が入ってきました。

ああ、撮影なんですねえ。

女優さんは水着です
てなわけではありません。
それにしても女優さんて
すごいオーラが出てますねえ。
名前は全然知らん若い女性ですけどねえ、
まあええもん見させてもらいました。
先ほどのビキニといいこの女優さんといい
関東はおっさんにも
優しい場所ですなあ。

doironも負けないように
ほっつきおっさんオーラを放ちながら
ビールを飲みましたけどね。

で、ふと外を見ると
近くの海にそそぐ山の上に
城が見えています。



結構立派な城ですねえ。
え~っと、領主は誰やったっけ
わからんなあ。
この熱海歩行の最後に
行ってみますかと思い、
手元の観光案内所でもらった
資料を見てみると、
これがどうも歴史的な施設ではなく
観光施設なんだそうです。

人形美術館やお土産が並ぶところ
のようで、これは却下ですね。
おっさんはヘロヘロと
もうちょっと町中を
歩いてみましょう。

とりあえずは、女優に別れを告げて
このレストランのおあいそです。

レジで寛一お宮の人形の場所は?
と確認して聞くとどうも先ほど
近くを歩き回っていた方角のようです。

へ~、昔来たときは
そんな雰囲気じゃ
全然なかったのになあ。

広い砂浜があって、
ビーチの片隅に松が並んで
その中にあったのになあ。
そんな雰囲気は全然なかったぞ
とか思いながら歩いていきますと、



ありましたこれが



寛一・お宮の像です。

そこにあった案内を見ると、
昭和61年に寄贈されたそうですから、
doironが見たであろう
昭和40数年頃の人形とは
全く違うものですねえ。
だいたい公園の周りには
ビルもいっぱい立っているし、
旅館もハトヤだけではありません。
あ、あれはイトーか。
40年以上たてば
下手したら松も枯れるかもしれません。
もう全く雰囲気が変わっていますねえ。

逆にそんなに自分が
生きてきた年月が長く
世の中が大きく変わったのか
と思うと、そっちの方が
びっくりするくらいです。

観光地にきて年齢を感じるのも
近々は全然珍しくありませんけどね。
まあ、ここは熱海観光の目玉でしょう、
しっかり撮影しておきましょう。



その人形の近くには
初代「お宮の松」の切株が
置かれてました。





まあこれがもしかしたら
doironが目にしたものの
ひとつなのかもしれませんね。

さあ、では時刻は現在2時です。
待ち合わせ時間に
近づいてきましたが、
まだもう少し時間がありますね。



伊豆の町中をもう少し歩いて、
駅へと戻っていきましょう。

続く


大学講座同総会 熱海編4

2017年06月19日 21時21分05秒 | ウォーキング

この伊豆山神社は
海を見下ろせる高台にあります。
展望台から眺めた景色がこんな感じです。



この神社の標高は約170m。
そこまで海岸から階段が
何段あるかを5年ほど前に
近所の皆さんで図ったそうです。

国道を超え、市道も超えて



全部で837段あったそうです。



海からずっと階段が続いて
参道に入るというのは
なかなかのものですなあ。

この階段をdoironは
下っていくことにしました。

人生、下り坂がピッタリです。

その階段はずっとまっすぐに
一直線に続いているものでは
ありませんでした。



ところどころはこんな風に
みどりの中に階段が消えていきます。

あ~人生と一緒ですね。
二度ほど消えそうになりましたしね。

石段にはところどころに
こういう案内が貼り付けられて
いたりします。



「下り坂人生最高」ではなくて
段数が刻まれています。

中にはこんな風にのぼって行く人も
いますが、大変そうですねえ。



階段脇には石像があったり、



トキワツユクサが咲いていたりします。



テクテクと下っていきますと、



おお~かなり海も近づいてきたようです。



そしていよいよ湖岸道路に
おりようとするときに、



こんな看板を見つけました。



「走り湯源泉」と書いてあります。

奈良時代に発見された、
全国で唯一の横穴式源泉
なんだそうです。

案内にひかれて入っていきますと、
左に横穴が見えてきて、
そこから蒸気が上がってきています。



夫婦連れの人が中から出てきて、
「ふつうに中まで行けますか?」
て聞いたら
「熱いけど行けるよ」
というご返事です。

これはもう入って見なくては
いけませんね。

「写真は無理かも」
というアドバイスもあったので、
大きなカメラをカバンに入れて
ポケット型の方を持って入りました。

15mくらい入ったところで、
奥の方に浴槽のようなものが
みえそこにお湯が沸いているようです。

そこにはきれいなおねいさんが
湯あみを・・・てなことはありません。

これは写真を撮らなきゃと
急きょポケットから取り出した
カメラで撮影してみたら
こんな感じでした。



ウヒャ―何も映っていませんねえ。
これはもうなんという
温泉蒸気の湿り気か。

撮影できないどころか
カメラまで壊れそうです。

すごいパワーを感じます。

この走り湯というのが、
この辺りの神社の
大きな力の源となっていたようですね。

先ほどの仁王院も
山号を走湯山というのも、
そういう宗教のもとに
なっているんですねえ。

そのすぐ近くに、
走り湯の展示会がありましたので
ちょっと覗いておきました。
む、無料です。

う~ん歴史のある所なんですねえ。

これが昭和2年頃の熱海駅です。



う~ん、昔doironが来た頃も
ここまで古くはなかったですね。

なかに、風呂の前で一緒にいた
老夫婦もはいってきてはりました。

「写真撮れましたか?」
と聞かれて「無理でした」と
答えたら笑ってはりました。

東京から日帰りで遊びに来られている、
doironくらいの年齢夫婦でしたね。

最近歩いている人たちをみても
「ああ~、このひとは定年初心者やなあ」
とか感じますね。

世の中、こういう世代の
増加をあちこちでひしひしと感じるのです。

さてそこから、
今度は有名な浜の方へと
向かっていきましょう。

海岸を走る自動車道は
歩行者はいけないので、
海沿いを歩いていくと・・・

あれ?先に進めないですよ。
山に道をふさがれています。
そこにいた人に聞くと
「こっちは行き止まりだよ」
との関東弁がかかりました。
「ほうでっか~」と返しておきました。

あちゃー、仕方ないので
再度山へと細い急斜面を



のぼって行きますと、
ああ、どうも上の方で
道がつながっているようです。

自動車道の横につけられた歩道を
テクテク歩いていきますと、



おお~賑やかそうな浜方面が
見えてきましたよ。



ああ、あのあたりが
寛一お宮の場所かとか思いながら
下がっていきます。



道はどんどん海辺の方へと行きますが、
ある所から先は自動車有料道路に阻まれて、
海の方へと入っていけません。

へ~こんなん不便な道やなあ
とか思いながら、
フェンスを超えたりしてようやく浜辺へ。

太陽光の降り注ぐ暑い暑い一日です。

続く


大学講座同総会 熱海編3

2017年06月18日 21時19分20秒 | ウォーキング

え~っともう三話になっているのに
まだ駅から歩いていません。

とにかく手持ちの荷物を
減らさないとどうにもなりませんね。
こんなに荷物を持って歩いていたら
家出おっさんと間違われます。

「あ~、あのひとは家追い出されて
荷物担いでうろうろしてるから
あんなに日焼けしてるんや。
あんなんになったらあかんよ」などと
家庭のしつけ話に登場しそうです。

「ぼく、大きくなったら何になりたい?」
「ああ、僕は立派なおっさんになるねん」
などという立派な子供を育てないと
あきませんね。

観光案内所に行き、
「すみません。駅のロッカーは
いっぱいなんですけど、
他にありませんか」
と聞いてみると、
きれいなおねいさんが
こちらにもありますよ
と案内をしてくれました。

日焼けおっさんには
きれいなおねいさんは優しいです。
きっとこうおもっているんでしょうねえ。
「ああ、私は今日は世の中の
不幸を一つ救ったんだ」みたいにね。

指示通りに
駅ビルの前のビルの地下に行くと、
ロッカーが大量に並んでいましたね。
もう、なんか悪いことに
使われそうなくらいです。

まあしかしきれいなおねいさんには
聞いてみるもんですな。
ここで、あらかじめ
持ってきていた小バッグに、
地図、カメラ、飲み物、
筆記具なんかを入れて、さあ、
いよいよおっさんは放浪に出発です。

再び駅前に戻り、



ポロシャツに着替えて
まずは海の男風に変装です。

「あ~、熱海の海は
俺に似合うぜ」

で、ナビをセットし、
あらかじめ考えていたコースに
向かってさあやっと
歩き始めましょう。

時刻は午前11時でした。

バッグや服装など歩くための
用意はちゃんとしていたのですが、
一つだけ靴がいつもの靴と違いました。
オッサン連中の同窓会に向けた
服装だったので、
ちょっと固い靴でした。



それでいつもとちょっと
違った雰囲気での歩行となりましたが、
まあこれは想定内だったので
仕方ありません。

後刻、足を見てみたら
中指の指先なんかに、
大きな血豆ができていましたね~。
250キロマラソンを走っても
こんな血豆はできなかったのに~

さて、熱海散策といえば
やはり海岸なんですが、
時間調整がしやすそうなので
そこへ行くのは後にして、
今回はまずは伊豆山神社の方へと
向かっていくことにしました。



駅を出て、しばらく山道を
歩いていますと、先ずは

「池田満寿夫と佐藤陽子の創作の家」

というのがありました。



残念ながらdoironはあまり
二人の作品には馴染みはないのですが、
創作環境がどんなところなのかは
ちょっと興味があります。

でもねえ、ちょっとこの時は
時間的にもどれくらい歩きに
かかるか不安定なので、
ここは入口の雰囲気だけを
写しておくだけにしました。
入館料もこれなら大丈夫でしょう。

伊豆山神社は
結構山の上に方にある
神社のようです。



車道を歩きつつ、
もうおっさんには汗が拭き始めます。

「ああ~可哀そうなおっさんが
歩いてるで。めぐんどいたり」
ってなれへんでしょうか。

ああ、後を考えて着替えを持って
きててよかったなあ。
はあはあと息を弾ませながら
道をのぼって行きますと、
まずはこういう弘法大師霊場
というところがありました。



ああ、間もなく四国も結願ですから
ここには寄っておきましょう。

これが空海さんですね。
お久しぶりです。
先月四国であって以来ですね。



六地蔵なんかも並べられています。



ここのお寺は
「走湯山般若院」
と書かれてありましたねえ。
この山号の「走湯山」のところが
変った名前ですねえ。
その正体はというと・・・
ふふ、これは後ほどわかるのです。

ぐるっと回って、
さあ次に行きましょう。

この山の上には、
こんな魚屋さんも並んでいますねえ。



でその向こうについに見えてきました、
伊豆山神社です。



ここの特徴は、
長い長~い参道が
ずっと海岸まで続いている
ことですねえ。



まずは社殿へと
階段をのぼって行きましょう。



階段の横にはいろんな
神社も置かれています。



そのうちのひとつが
「役の小角社」です。



ああ、ここでも彼かあ。
と思ってはなりません。
そうなんです。
彼は葛城の神に謀反の恐れがある
といわれ、伊豆の方に
流されたという過去があるのです。

その時に彼は富士山に登り、
初めての富士登山者である
といわれたりしていますねえ。

この地方にそんな過去を残し、
あちこち山をうろうろと
歩いたおかげで名前を
たくさん残しました。

doironおっさんも
名前が残らんでしょうか。

たぶんこの伊豆山神社にも
役の行者の洞があるのは、
かつての彼のそんな過去から、
この地域の人々の信仰を
得ていることの証なんでしょうねえ。

ほかにも結明神の社(縁結び)、



雷電社のやしろが



この神社の参道階段の周りに
多く祀られていました。

さあではいよいよ最後の
伊豆山寺にたどり着きました。

ではdoironもいろいろと
お参りしておきましょう。

「あんまり変なおっさんに
間違われませんように」

ちゃいますねえ。

いまなら、そうですねえ。
「再来週の息子の結婚式が
幸せに行われますように」
みたいなのがおっさんらしくて
いいですねえ。

続く


大学講座同総会 熱海編2

2017年06月17日 19時57分14秒 | ウォーキング

早朝に家を出たので、
朝食抜きで新幹線に乗車しました。
まあ、こういう車内の朝食を
期待していたわけです。うひひ



ふわ~、いい旅ですねえ。
熱海に停車するという
新幹線の便はかなりすいています。

二人掛けの椅子に一人で座り、
もう景色を見ながら
朝から宴会気分です。

天王山、京都市内、琵琶湖、
醒ヶ井などこの数年で
行った場所の横を
新幹線は走り抜けていきます。

そうかあ、いっぱい行ったなあ。
5年でもう数えきれないほど
あちこちうろうろしました。
地図だけでもためてあるだけで、
でかいファイル3冊になっています。

ブログ記事や写真を合わせたら
巨大なデータになりますねえ。

名古屋につくまでには約1時間
自分の小宴会が続きました。

でもここからまだ
1時間以上ありますねえ。

で、そうそうこの電車の中で
残っていた仕事を片付け
なければならないと、
持ち込んでいたことが
ひとつありました。

実はセーフコミュニティで
この夏に子ども相手の
交通安全教室を開くのですが、
その時の原稿案を作ってやろう
と考えていたわけです。

ビールで気持ちよくなった頭で
持ち込みのノートを広げながら
書いていきます。

時折景色を眺めながら、
ふと思いついたことなんかも
入れつつ原稿用紙7枚ほどを
書き上げました。
新幹線で執筆作業なんて、
なんか売れっ子作家みたいですねえ。

電車で酒飲みながら
考えた原稿なんて
なんていう原稿で
交通安全なんてどういうことですか。

ああ、でもこれで少し前から
気になっていたことも終わらせて、
さらに気持ちよく遊べますねえ。よしよし

途中、浜名湖なんかも眺めつつ、



さていよいよ静岡が近づいてきました。

さあて見えるでしょうか、富士山。

天候は晴れで、
今日はなんかとても暑そうな感じです。
遠くの方の山をみると
少しもやがかかっているようですが、
まあ何とか視界は悪くなさそうです。

どの辺から見えるのかなあ、
と思いつつ外を見てたら、
あれ?向こうの方に大きな山の
すそ野のような場所が
あるではないですか。

あれが富士のすそ野なんかなあ
と思いつつ眺めていたら、
おお~上空の雲の中から
雪に覆われた山の姿が
グワーっと見えてきました。



見えました、富士山です。



もうあの山は3回のぼったけど
やっぱりこうしてみてたら
また行きたくなりますねえ。

あそこはもうdoiron家の
近所の山々のように
蜘蛛の巣が大量にぶら下がっていたり、
ムシムシ攻撃があったりなんかは
なさそうですしねえ。

それにしても静岡、
特にここは富士市あたりですかねえ。
毎日富士山を眺めながらの
暮らしっていいやろなあ。

見上げたら日本一の山がある、
それだけで気持ちが
大きくなるような気がしますねえ。

もしdoironがこの辺の住人だったら、
トライアスロンの練習なんかも
なかなか雄大だったんでしょうねえ。

え~今回の同窓会は
静岡の仲間が幹事をし、
選んでくれた宿なので、
窓から富士山を眺めながらの
宴会となるんでしょう。

天気の予報も悪くなさそうですから
今夜はたのしみですねえ。

日本一の山を眺めながら、
日本一楽しかった学生時代の
思い出にいっぱい花を咲かせましょう。

とまあそうしているうちに、
電車は熱海に到着しました。



少々かさばる荷物をもって
降りていきましょう。

改札を出ると、
おお~なんか人がいっぱいです。



掲示板やタオルをもって
案内のような人も立っています。



その掲示板には、多国語も。
おお~ここも外国人が
いっぱいなのかあと
思いつつ眺めていましたが、
まあ大阪や京都みたいに
わんさかあふれているんじゃ
ないようです。

で、荷物をコインロッカーに
預けて歩けるような荷物に
しないといけません。
ロッカーに行くと、
うわーどこも開いていません。
待ちの行列まであるくらいです。

これは難儀だぞーと思いつつ、
観光案内所に行ってみることにしました。

続く


大学講座同総会 熱海編1

2017年06月16日 21時01分57秒 | ウォーキング

昨年、北陸金沢で
大学の同窓会がありました。
懐かしい顔がいっぱいあったなあ。
もう髪の毛もdoiron同様と
なってる人もいたなあ。

でも一番驚いたのが、
大学の学科の同級生や
先生たちが全員ご存命で
しっかりしておられたことでした。

なので、みんな集まっても
あの人は・・・なんて湿った話はなく、
昔の楽しかった話ばかりで
大わらわとなるのです。

そんな同級生の馬鹿話の中に
いつも登場する
あのミスTドーナッツで
doironがやらかした馬鹿話は
半世紀近くたっても
お腹を抱える大笑いのネタでした。
(昨年の10月12日のブログ参照)

化学工学課全部で5講座ある中で
第3講座というのが、
doironが所属していた部署でした。

勉強の中味はというと「超微粒子」です。

そんなものの物性を研究したり、
フィルターで捕らまえたりしていましたな。

おかげでdoironの研究室は
粉だらけでしたねえ。

今でいうPM2.5なんてのも、
もうその頃からすっかり研究対象でしたねえ。

でもまあもうそんな
勉強の話はいいでしょう。

面白いのはこの講座にいた人間の話です。

この3講座同級生は全部で
9人いたのですが、
秋の同総会にはその9人全員が
エントリーしていました。



一人はゴルフ明けですっかり疲れて
急きょ出れなかったのですが、
講座全員がエントリーというのは
我が3講座だけでした。

もうそれだけでも驚きなのに、
なんと前夜祭をやったりと
とっても大盛り上がりだったそうです。

で、同総会後もすっかり盛り上がり、
そしたら今度は3講座だけで
同窓会をやろうという話が
持ち上がりました。
で、その結果このたびの講座同総会
となったのです。

今回は静岡にいる二人が幹事を
やってくれたおかげで、
開催場所も静岡県内となりました。

うわ~、静岡まで行くの?
息子の結婚前やしなあ、
忙しいなあと思っていたら、
その幹事の一人が

「この会を“ミスドの会”と名付けよう」

と提案してきました。
ふわ~、もうこうなっては
ミスド事件を起こした本人としては
不参加というわけにはいきませんよね。

日程の方も、僕が唯一行けるだろう
と返事した日付に確定ですし・・・。

そんな事前のやり取りがあった中で
ついに5月20日~21日の土日に
全員開催及び先生付きで
3講座同窓会が
開催される運びとなったのでした。



萩、長野に行きあちこち旅した後の日付で、
そして3日後には四国結願旅を迎え、
二週間後には息子の結婚式
というハードスケジュールの中での
旅となりました。

集合は土曜日の午後4時に
湯河原温泉駅に集合です。
最初は熱海といってたのですが
変更となったのです。

でもせっかく行くのだから、
それだけのために新幹線に乗って
静岡まで行くのは惜しいぞと考え、
早朝の新幹線で湯河原駅手前の
「熱海」まで行き、
歩き回ってみることにしたのでした。

地図を見てみますと、
熱海は静岡を超えて、
清水、富士市、沼津と駿河湾も
越えていきます。

そしてまだ伊豆半島の根元を横切って、
相模湾に面したところにあるのです。

もう隣は神奈川県ですね。

そういえば昔、ここには
行ったことがありますね。
修学旅行だったかなあ。
緑の海岸線を歩いて、
寛一お宮の像を見た記憶があります。

もう40年以上前ですねえ。
あの頃は、許婚であるお宮が
他の富豪のところに嫁ぐ
という話なんかピンとこなかっただろうな。

寛一が「今月今夜のこの月を
僕の涙で曇らせて見せる」
といいつつ、お宮を蹴り飛ばした
という話で見てたんでしょうねえ。

大人って怖いなあとか
思っていたのでしょう。

作者の尾崎紅葉はこれを描いている途中で
亡くなってしまい、
未完に終わったそうなので、
謎の残った作品ですが、
明治30年から35年の読売新聞の
連載記事は人気だったそうです。

そうかあ、熱海に行ったのは
もう半世紀近く前なのか。

それだったら、同窓会の集合前に
ここをいつものようにしっかり歩いてみよう
と固く決心したdoironなのでした。

続く。


内田をぶらりと歩いた5

2017年06月15日 21時35分22秒 | ウォーキング

さあ、では空飛ぶ人たちの
集団から離れていきましょう。

ま、doironも野原を
飛ぶように歩いていきます。

ここからしばらくは
河川敷の道を歩いていきましょう。





ここにはコバンソウが大群落です。



そしてあちこちに樋門が
気づかれています。






川は水をどんどん運び、
こういう田舎の人々は
その川を最大限に生かして
暮らしているんですね。

あっ、向こうの川原の上の
堤防に鳥居と六地蔵が並んでいます。



なにか力を感じる地蔵ですねえ。



そしてこれが1体の地蔵、



これが何かレンガに掘られた
ような地蔵さんです。



あぜ道の雑草の中に隠れて
しまいそうになっています。

ふむ~なにかこの辺りには
地蔵さんでおまつりしそうな
水害や事故があったのかも
しれませんね。
といいつつ、あぜ道を歩いていますと、
1羽のケリがけたたましく
威嚇してきます。



この辺に巣でもあるのかなあ。

ふと油断すると頭を
つつかれそうな感じです。
写真を取ったらこの辺りから去りましょう。

この辺りに流入してくる
「佐川」という河川に近づいたころから、
紀ノ川から離れていきます。



それにしてもこの辺り、
河川敷は広くて気持ちよさそうです。
さあではここから佐川に沿って
町中へと入っていきましょう。



この辺りは巨大な鯉や



でっかい亀でもう川中にも



命があふれています。

少し歩くたびに、
亀やカエルなんかが
ズボズボと水の中に
飛び込んでいきますねえ。

それにこんなけのたくさんの鯉ですから、



少し前の産卵期の頃なら
川中は大賑わいだったでしょうねえ。

そうして田園地帯の中をとおる
のんびり道を進んでいきましょう。



植物も元気で、
こういう交通表示も
草に覆われそうになっています。



あ、田んぼを隔てた道の向こうに
大きな木も生えていますよ。



これはなんか鎮守の森に
なっているかもと思い、
見に行ってみると只の空き地でしたね。

立派なイチョウとクスノキでした。
木の根元近くにこんな
サボテンの花も咲いていましたねえ。



このあたり、ちょうど水が
あちこちにあふれるように
流れています。



田んぼに水を入れる時期なんかなあ。
たくさんの水が流れ、
こんな水路もあったりして
面白いですねえ。



さらに田んぼの中の
あぜ道を進んでいきますと、



地元の小学校前に出てきました。



え~っと校門にいる巨大カエルは
子供たちを「無事にかえる」
と見守っているんでしょうねえ。

さあ、道はもう内田の
にぎやかな?道に戻ってきました。

線路を渡ると向こうに
駅が見えていますので、
ちょっと立ち寄っておきましょう。



これが「内田」の駅です。



営業時間は6時半から
朝の10時半までの四時間で、
それ以外は無人駅です。

地方のJRも頑張っているけど、
人件費が大変なんでしょうねえ。
頑張ってほしいと思います。

さあ、これでまあ内田町の
南側の主要部分は回りましたかね。
今日はこれくらいにして
市役所の車に戻りましょう。

途中、こんな毘沙門堂もありました。



地域の公民館風の建物も
ありましたので

saato

この地方の人たちは
毘沙門天を熱心に祀って
いるんでしょうねえ。

ちなみにdoironが住んでいる地域では、
空海さんが祀られています。

市役所の駐車場について、
ナビを見てみると、
この日は12.5kmを歩いていました。



まあまああの虫の中の
山道とかも考えたら、
いい距離ですねえ。

さあ次はどこ行こうかなあ。

あ、そうそうまずは
明後日から同窓会で
静岡へ行ってきます。

富士山は見えるかなあ、と
内田をぶらりと歩いた旅は終わりです。


内田をぶらりと歩いた4

2017年06月14日 20時48分46秒 | ウォーキング

百合山遊歩道の中も、
こんな休憩所があったり、



こんな霊所跡があったりと





普通だったら楽しい山なんでしょうが、
どうも来た季節が悪いようでしたね。

もみじが輝く秋ごろが
いいのかもしれません。

道を下っていきながら、
どの辺に出るかなあと、
遠くの景色を見ながら
少しづつ登山口の方へと
修正していきます。



しかし、この辺は果物などの
栽培が盛んですねえ。



桃に布がかぶっているようだし、



ミカンの花なんかもいっぱい
咲いていました。

とまあ、そんな風に山歩きと
札所巡りを虫のおかげで
中途半端にして過ごしてきた



遊歩道を終えて、
最初の紀ノ川沿いの
登山口辺りまで
何とか戻ってきました。



はあ~虫のいない空の青い色が
気持ちいいねえと見上げたら、
パラグライダーが5基ほど飛んでいます。

ちょうど時間もお昼頃ですし、
紀ノ川の川原におりて行って
弁当を食べましょう。

川名の掲示板から、



パラグライダーの着陸目的地点の
横あたりの階段を下りてゆきます。



ああ突然の濃霧とかを
意識しているんでしょうねえ。
パラグライダーの着陸地近くの
階段の手すりには、
大きなベルがついていますから



それで音を鳴らして
場所を示すんでしょうねえ。

そこを降りて、
紛れてグライダーが飛んでは来ないだろう
というもう少し奥の川原に
場所を取ることにしましょう。

え~っと、シートを広げてっと。



あ、このシートいいでしょ。
地元紙の広報モニターをしていたら、
そのお礼にといただきました。

これを広げて弁当食べてたら、
あ、あいつは泉O津の奴や
とバレバレですなあ。

今日はコンロも持ってきておりますので、
あの白鶴の日本酒スープも
入れましたよ。



まま、おっさん、
日本酒のスープをいっぱいどうですか。
へいへい毎度いつも
ありがとうございます。
とまあおっさん一人で、
こんな子芝居しながら
弁当を食べ、そらを眺めております。

あっ、これはニアミスです。



パラグライダー同士がぶつかったら
どえらいことになるでしょうねえ。

おもわず口からこんにゃくが
飛び出しそうでした。



それにしても空を積んでいる人は
悠々と遊んでいます。
あんな空の上だと、
ムシムシ攻撃に襲われることも
ないだろうし、
道だって間違うはずもない。

ただ、技術の低い人は、
道路や川の中に落ちないように
その点は注意しないと
いけないでしょうねえ。

カメラなんかも
持っていたりするのかなあ。

そんな風に漂いつつ、
もう一気に着陸地点に
おりてきそうなとこまで来ても、
再度上昇気流で空中へ
舞い上がっていく人もいます。

それでももう耐えられず、
ようやく着陸したなあ
と思ったら、そのゴール地点から
離れてグライダーを片付け始めます。

最終的にはグライダーは
一つのザックみたいな
形になって背中に背負われて
一段落終わりということに
なるようですね。

そうして空から下りてきた人は、
しばらくは河川敷で
ポカーンと座ってはりますねえ。

あの空の抑揚感を思い出して
放出状態のように
なっているのでしょう。

で、さらに続けて飛びたいなあ
と思う人は、ここからまた
車にグライダーを乗せて、
基地の人に山の方へと
舞い戻っていきはります。

上空にはだいたい3~4基は
飛んでいるようです。

あ、パラグライダーの数え方を
「~基」とするのかどうかも
よくわかっていませんので、
間違っていたら悪しからず。

でも今の季節だったら桜もないし、
ちょっと景色はさみしそうですねえ。
やっぱり、桜の季節、
もみじの季節なんかは
気持ちよさそうですね。

さすがにここでこういう遊びを
している人に、
doironくらいの年齢の人は
あまりいませんね。
もう少し中堅クラスの人が
多いようでした。

続く


内田をぶらりと歩いた3

2017年06月13日 21時13分01秒 | ウォーキング

橋を渡ったところにある道が



「県道和歌山橋本線」。



そういえばこの道は、
doironが昔、鍋谷を超え高野山にいき、
そこから加太へと抜けた
最長自転車練習コースの
一部ですねえ。

いまは「サイクリングロード」
となっているようです。



その道のところにあったのが、
この百合山案内図です。



昔から続いた弘法大師信仰は、
手軽に回れる四国八十八カ所霊場を
各地につくり続いてきました。

doironもこれまで、
宝塚、京都仁和寺、
御坊など各地の巡礼地を
まわりましたが、
そんな霊場がここにもあるようです。

「百合山遍路道」という名前で



市の指定文化財になっています。

地図を見ますと、
ここの霊場をとおって
最初が峰への登頂ができるようですから、
そんな風に進んでいきましょう。

入り口のあたりには、
弘法大師の像が置かれ、



「百合山新四国八十八箇所
創建百五十周年記念費」
が建てられていました。



ここは150年の間に
何度か荒廃したそうですが、
先ほど渡った竹房橋が架けられたときに、
あらたに整備されたようです。

では回っていきましょう
と思ったら、お、ここには
餓死人塚の碑が立っています。



度重なる飢饉の中で、
農民は草根木皮を食べて
過ごしたが多くの人が
餓死したそうで、
その怨念が餓鬼となって
災いをなしたので
鎮魂のためにつくられた石です。

こんなにみどりも多く、
川には魚も泳いでいそうなのに、
飢饉というのは本当にひどいんやねえ。

doiron家も飢饉にならぬように
お祈りしておきましょう。

まあこんなに太ってたら
1週間くらいの飢饉くらいが
いいかもしれんけどね。

では百合山へと進んでいきましょう。



最初はこういう一般道を
上がっていきます。

山頂近くにパラグライダーの
発着場があるので、
この道はその運搬に
使われるのでしょう。

ここが一番の霊山寺のところです。



来週、逆回り結願で
訪れるお寺ですねえ。
先ほどの県道や竹房橋を
見下ろしながら進んでいきますと、
ここに12番の焼山寺があります。



あれ?だったら2番から
11番はどうなったの?
と思ったらここの焼山寺跡は
旧跡だそうです。

で、そのあとでみてたら
現れるのが8番です。



うむ~どうやら札所は
何となく車道をあちこち
それたりしながら
続いているようですな。

もうこの時点で一番から
順番に回ることをあきらめました。

みちを歩きながら
コース取りの参考に
眺めていきましょう。

途中から車道を外れて
山道に入りますが、ここは
ミツバがたくさんある山ですねえ。


で、徐々に山中に入るにつれ、
蚊なのかコバエなのかが
顔の周りにまとわりついてきます。

こういう霊場の写真なんかも
撮影していると、
カメラにまで虫が
たかりにやってきます。

うひゃ~、もう
ムシムシ警戒警報
が大発令中です。

顔、首筋、腕なんかに
最大限の注意を払いましょう。

ところどころで写真を撮りますと、
ああこのお寺は仏足跡の
絵を描いたなあ、



ここは多宝塔と空海像の絵だったなあ



とか思い出してきますねえ。

あの88の札所の絵を
描いたのはとてもよかったです。
自分なりの札所像が
きっちりできていますもんねえ。

しかしそれにしてもすごい虫です。

谷間の湿った場所
なんかはすごいです。



おっ、これは大家族樹木ですねえ、



ここには夫婦杉も
生えていますと



何とか気持ちをごまかしながら、
ようやく明るい場所に出てきたら
顔の周りも静かになりました。



地図もあまり詳しいものもなく、
そんな景色の中を



最初が峰の展望地に
上がっていく道を探すのも
どうも気持ちがなえてしまい、
こりゃもう一刻も早く
普通の虫の乱舞しない世界へ
行かねばと日寄ってしまいました。



山道から一般道に出たら、
もうひたすら下山方向に
進んでいってしまいましたとさ。

続く


内田をぶらりと歩いた2

2017年06月12日 21時16分57秒 | ウォーキング

ここのマンふたは、
紀の川市の市の花などを
生かしたものです。



紀の川が流れる横で
うぐいすが鳴き、
桃ときんもくせいの花が咲いています。

これは紀の川ではありませんが



小さな川の流れるところを
さくさく歩いていきますと、



おおこんな生活橋もかかってますねえ。



ここを自転車で渡ったりする人もいるのかなあ。
そしてバックには、ああ見慣れた山ですねえ。
「龍門山」がそびえています。



そして小さな子橋を渡ってから、



道は昔からの村の中を
通っていくことになります。





昔の家の庭には大きな木が植わってますねえ。





ここなんかもう村のお寺に
入っていくみたいな感じですが、



実は森の奥にあるのは
「歯医者」さんなんです。



ウヒャ―、何となく存在感のある
歯医者ですねえ。
痛いなどと無理を言ってはいけませんね。
なんかどんな治療をするのか
体験してみたいような気がします。

それにしても何かと
緑の濃い村でしたな。



で、その先にあったのが「東田中神社」です。



鎌倉時代からの古社で、
神社の階段には文化9年、
1810年頃の年代が刻まれています。



ここは昨年の大和街道を歩いた時に
通った神社ですねえ。
神社の外にはこうして
「大和街道」の道標が立っていました。



今回の道とは一部ちょっとだけ重なるだけで、
再度すぐに離れていきます。
お参りだけ済ませて進んでいきましょう。

しばらくのどかな道を行きます。





ああ、梅の木にも実がなっていますねえ。
田んぼの中の道を歩いていきますと、
ああ田舎の県道沿いにポツンと
銅像が立っています。

「西行法師像」です。



西行の名前は「佐藤義清」です。
その佐藤氏というのが
旧内田町の在地領主です。
その子供である西行は、
当初は武士として鳥羽上皇を
支えていましたね。

「上皇」ですよ、いま話題の。

それが23歳で突如出家したんですねえ。
天皇家との関係なんかが
いろいろと影響したんだろう
といわれています。

ここの銅像はそんな西行を
たたえてのものですねえ。

この春、京都の四国八十八御礼に、
京都の仁和寺に行きましたねえ。
あそこが西行や平清正の
小さな活躍の場だったんですねえ。

で、ここと二カ所、
また一つ西行の活動がつながりましたねえ。
今度は彼が没したという
弘川寺にも行ってみないと
あきませんねえ。

それにしてもここの銅像は、
ちょっと寂しいなあ。



佐藤氏の城があった竹房という地区の
端っこの方とは言え、
ちょっと寂しい感じでした。



さあ、歩き続けましょう。

その銅像の前の県道を
さらに歩いていきますと、
阿弥陀高架橋という橋で、
道が高くなっていきます。



そう、紀ノ川の堤防へと
上がっていくわけですね。

そこにかかっているのが「竹房橋」。



ああ~、懐かしい場所です。
かつてこの橋の堤防のところにある
「カヌー教室」に長O君と来たなあ。
彼はもう少しで教室チン記録を
上回るところだったもんなあ。

そして少しカヌーに乗れるようになってから、
何回か芦屋の方で行われる
カヌーアスロンにも出て、
doironはその大会の初チン記録者に
なったもんなあ。

いやあ、若い時は楽しいことを
一杯やりましたな。

そしてなんとここはもうひとつの
スポーツの場所でもあります。

パラグライダーです。

これからのぼって行こうかなあ
という山を見ると、
おお~飛んでいるではないですか。



果てしない春の空をバックに、
ふうわりふうわりと空に浮かんで、
景色を楽しんでいるんでしょうねえ。
これは面白そうですが、
ちょっとdoironにやれと言われても、
無理ですねえ。

地に足がついているスポーツは
たいがいやりますが、
パラグライダーとか落下傘おりとか、
スペースシャトルの運転とかは
どうもついていけませんな。

脳こうそくにもなんかわるそうですしね。

続く


内田をぶらりと歩いた1

2017年06月11日 20時59分57秒 | ウォーキング

doironの部屋には、
歩きに行きたいところシリーズが
壁にポストイットメモに書かれて
貼り付けられている。

その中から、さあて今度行きたいところは
どこにしようかといろいろ
考えてみるのだが、
今回は、そのうちのひとつで、
先日桃山町とかに遊びに行ったときに、
ああ、ここは是非早く歩いてみよう
と考えたところがあったので
そこに行くことにしたのだ。

それが紀の川市の

「内田」

の方面である。
もともと那賀郡内田町だったところが
2005年に桃山町などの
近隣4町との合併で
紀の川市となったところです。

ここの見どころはというと、
田園の広がるのんびりした
雰囲気と山手のほうにある
百合山四国八十八カ所と
いうことになるでしょうかねえ。

もう少し細かいところを言えば、
大和街道が一部通っていることと、
西行の法師像があること、
パラグライダーのコースが
あることなんかも
歩くコースに彩りを
添えてくれるのでしょう。

それに、この辺りは一時よく
遊びにも行ったところでもあります。

カヌー教室参加や、
河原でのBBQなんかもしたなあ。

電車で行くと、かなり遠回りになるので
ここにもいつものように
車で行くことにしました。

が、地図やグーグルのチューブを
見てみても駐車場はあまりないようです。

最悪は以前車をとめた
神社の無料駐車場なんかも
考えたのですが、
まあたまたま何かの神事の
邪魔になってもいけません。

で、思いついたのが
「某市役所」の駐車場です。

まあ、この辺りをせっせと歩いて、
観光の宣伝をこうして
ブログに乗せるのですから、
邪魔にならんところに
止めれたら許されるでしょう
という魂胆です。

実際に行ってみると、
広大な駐車場が設けられて
いるようですから
まあこれなら許されるでしょう。

来庁者の邪魔にならないように
ひっそりと車をとめ、
そこからナビをセットして
歩いていきましょう。

ここが市役所で、駐車場は
左側の奥の広いところです。



まずはJR和歌山線の
内田駅の方に向かって
進んでいきましょう。

ここが内田中学校です。



先ほどの市役所といい、
この中学校といい、
ここはなかなか財政豊そうですねえ。

平成の大合併で、
大きなお金が落ちたのかも
しれませんねえ。

目をあちこちに動かして
景色を眺めてみますと
駅前のいろいろと飾られた
この家はこの辺りでは目立ちます。



きっといっぱい遊ぶ人なんでしょうなあ。



おっ、これはこの辺の人々の
親切な性格が表れているんですかねえ。



でもまあ100回も聞くような
質問もなかなか思い浮かびませんから、
どちらかというと、
この辺のしつこさの方が
もしかしたらこの地域の人々の
性格なんでしょうか。

ふーむ、きっとそんなことはありませんでしょう。

こんなやすらぎ地蔵尊を見ながら、



内田の駅の東側の踏切を
渡って進んでいきます。



ここのJR和歌山線は
まだ元気そうですねえ。



最近はねえ、ちょっと田舎に行くと
JRも第3電鉄や私鉄に代わっていたりする。
四国もそうだったし、
ちょっと前に行った東北や中国地方、
長野県なんかでも意外な名前の
鉄道を耳にするようになりましたねえ。

そんな線路の向こう側では
下水管の設置工事をしていました。

ふむふむどんどんこの辺りも
都会になってくるんですね。

え~っと、ここに工事の内容が
記されてあります。



その中に、安全工事のための
心構えなんかが記されてあり、
それを見てまあ何とも言えない
温かさを感じてしまいましたね。

工事の危険のポイントは
「交通事故」と「つまづき転倒」ですと。

そしてそのために何をするかというと
「場内徐行」と「あわてない」こと。

ワンポイント指差呼称は
「周囲よし」なんだそうです。



ちょっとゆっくり工事の様子を
見ていたい感じですねえ。

続く。