橋を渡ったところにある道が
「県道和歌山橋本線」。
そういえばこの道は、
doironが昔、鍋谷を超え高野山にいき、
そこから加太へと抜けた
最長自転車練習コースの
一部ですねえ。
いまは「サイクリングロード」
となっているようです。
その道のところにあったのが、
この百合山案内図です。
昔から続いた弘法大師信仰は、
手軽に回れる四国八十八カ所霊場を
各地につくり続いてきました。
doironもこれまで、
宝塚、京都仁和寺、
御坊など各地の巡礼地を
まわりましたが、
そんな霊場がここにもあるようです。
「百合山遍路道」という名前で
市の指定文化財になっています。
地図を見ますと、
ここの霊場をとおって
最初が峰への登頂ができるようですから、
そんな風に進んでいきましょう。
入り口のあたりには、
弘法大師の像が置かれ、
「百合山新四国八十八箇所
創建百五十周年記念費」
が建てられていました。
ここは150年の間に
何度か荒廃したそうですが、
先ほど渡った竹房橋が架けられたときに、
あらたに整備されたようです。
では回っていきましょう
と思ったら、お、ここには
餓死人塚の碑が立っています。
度重なる飢饉の中で、
農民は草根木皮を食べて
過ごしたが多くの人が
餓死したそうで、
その怨念が餓鬼となって
災いをなしたので
鎮魂のためにつくられた石です。
こんなにみどりも多く、
川には魚も泳いでいそうなのに、
飢饉というのは本当にひどいんやねえ。
doiron家も飢饉にならぬように
お祈りしておきましょう。
まあこんなに太ってたら
1週間くらいの飢饉くらいが
いいかもしれんけどね。
では百合山へと進んでいきましょう。
最初はこういう一般道を
上がっていきます。
山頂近くにパラグライダーの
発着場があるので、
この道はその運搬に
使われるのでしょう。
ここが一番の霊山寺のところです。
来週、逆回り結願で
訪れるお寺ですねえ。
先ほどの県道や竹房橋を
見下ろしながら進んでいきますと、
ここに12番の焼山寺があります。
あれ?だったら2番から
11番はどうなったの?
と思ったらここの焼山寺跡は
旧跡だそうです。
で、そのあとでみてたら
現れるのが8番です。
うむ~どうやら札所は
何となく車道をあちこち
それたりしながら
続いているようですな。
もうこの時点で一番から
順番に回ることをあきらめました。
みちを歩きながら
コース取りの参考に
眺めていきましょう。
途中から車道を外れて
山道に入りますが、ここは
ミツバがたくさんある山ですねえ。
で、徐々に山中に入るにつれ、
蚊なのかコバエなのかが
顔の周りにまとわりついてきます。
こういう霊場の写真なんかも
撮影していると、
カメラにまで虫が
たかりにやってきます。
うひゃ~、もう
ムシムシ警戒警報
が大発令中です。
顔、首筋、腕なんかに
最大限の注意を払いましょう。
ところどころで写真を撮りますと、
ああこのお寺は仏足跡の
絵を描いたなあ、
ここは多宝塔と空海像の絵だったなあ
とか思い出してきますねえ。
あの88の札所の絵を
描いたのはとてもよかったです。
自分なりの札所像が
きっちりできていますもんねえ。
しかしそれにしてもすごい虫です。
谷間の湿った場所
なんかはすごいです。
おっ、これは大家族樹木ですねえ、
ここには夫婦杉も
生えていますと
何とか気持ちをごまかしながら、
ようやく明るい場所に出てきたら
顔の周りも静かになりました。
地図もあまり詳しいものもなく、
そんな景色の中を
最初が峰の展望地に
上がっていく道を探すのも
どうも気持ちがなえてしまい、
こりゃもう一刻も早く
普通の虫の乱舞しない世界へ
行かねばと日寄ってしまいました。
山道から一般道に出たら、
もうひたすら下山方向に
進んでいってしまいましたとさ。
続く
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