ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

内田をぶらりと歩いた2

2017年06月12日 21時16分57秒 | ウォーキング

ここのマンふたは、
紀の川市の市の花などを
生かしたものです。



紀の川が流れる横で
うぐいすが鳴き、
桃ときんもくせいの花が咲いています。

これは紀の川ではありませんが



小さな川の流れるところを
さくさく歩いていきますと、



おおこんな生活橋もかかってますねえ。



ここを自転車で渡ったりする人もいるのかなあ。
そしてバックには、ああ見慣れた山ですねえ。
「龍門山」がそびえています。



そして小さな子橋を渡ってから、



道は昔からの村の中を
通っていくことになります。





昔の家の庭には大きな木が植わってますねえ。





ここなんかもう村のお寺に
入っていくみたいな感じですが、



実は森の奥にあるのは
「歯医者」さんなんです。



ウヒャ―、何となく存在感のある
歯医者ですねえ。
痛いなどと無理を言ってはいけませんね。
なんかどんな治療をするのか
体験してみたいような気がします。

それにしても何かと
緑の濃い村でしたな。



で、その先にあったのが「東田中神社」です。



鎌倉時代からの古社で、
神社の階段には文化9年、
1810年頃の年代が刻まれています。



ここは昨年の大和街道を歩いた時に
通った神社ですねえ。
神社の外にはこうして
「大和街道」の道標が立っていました。



今回の道とは一部ちょっとだけ重なるだけで、
再度すぐに離れていきます。
お参りだけ済ませて進んでいきましょう。

しばらくのどかな道を行きます。





ああ、梅の木にも実がなっていますねえ。
田んぼの中の道を歩いていきますと、
ああ田舎の県道沿いにポツンと
銅像が立っています。

「西行法師像」です。



西行の名前は「佐藤義清」です。
その佐藤氏というのが
旧内田町の在地領主です。
その子供である西行は、
当初は武士として鳥羽上皇を
支えていましたね。

「上皇」ですよ、いま話題の。

それが23歳で突如出家したんですねえ。
天皇家との関係なんかが
いろいろと影響したんだろう
といわれています。

ここの銅像はそんな西行を
たたえてのものですねえ。

この春、京都の四国八十八御礼に、
京都の仁和寺に行きましたねえ。
あそこが西行や平清正の
小さな活躍の場だったんですねえ。

で、ここと二カ所、
また一つ西行の活動がつながりましたねえ。
今度は彼が没したという
弘川寺にも行ってみないと
あきませんねえ。

それにしてもここの銅像は、
ちょっと寂しいなあ。



佐藤氏の城があった竹房という地区の
端っこの方とは言え、
ちょっと寂しい感じでした。



さあ、歩き続けましょう。

その銅像の前の県道を
さらに歩いていきますと、
阿弥陀高架橋という橋で、
道が高くなっていきます。



そう、紀ノ川の堤防へと
上がっていくわけですね。

そこにかかっているのが「竹房橋」。



ああ~、懐かしい場所です。
かつてこの橋の堤防のところにある
「カヌー教室」に長O君と来たなあ。
彼はもう少しで教室チン記録を
上回るところだったもんなあ。

そして少しカヌーに乗れるようになってから、
何回か芦屋の方で行われる
カヌーアスロンにも出て、
doironはその大会の初チン記録者に
なったもんなあ。

いやあ、若い時は楽しいことを
一杯やりましたな。

そしてなんとここはもうひとつの
スポーツの場所でもあります。

パラグライダーです。

これからのぼって行こうかなあ
という山を見ると、
おお~飛んでいるではないですか。



果てしない春の空をバックに、
ふうわりふうわりと空に浮かんで、
景色を楽しんでいるんでしょうねえ。
これは面白そうですが、
ちょっとdoironにやれと言われても、
無理ですねえ。

地に足がついているスポーツは
たいがいやりますが、
パラグライダーとか落下傘おりとか、
スペースシャトルの運転とかは
どうもついていけませんな。

脳こうそくにもなんかわるそうですしね。

続く


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