ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼五十七番栄福寺

2016年11月23日 22時58分37秒 | ウォーキング

仙遊寺は天智天皇の勅願により、
伊予の国主によって
開基されたお寺だそうです。
ある時阿坊仙人が
40年間ここに住んで
寺を整えていったらしいのですが、
この仙人があるとき
突然姿を消してしまったそうです。

仙遊寺という名前は
この仙人の行動による
といわれています。

う~ん、今の時代だったら
老人の突然の行方不明と
騒がれるニュースだったかもね。

バスを降りて、山中の道を
傘をさして上がっていきます。



そんなに強い雨ではないんですが、
まあ後のバス中のことを考えたら、
あまり濡れたくはないですからね。

子安地蔵に迎えられて入っていきます。



それにしてもこの辺りは、
子安信仰が強いですねえ。

また道のわきには
こんなにたくさんの石像が立っています。



ああ、八十八番の大窪寺で見た
石像群を思い出しますねえ。



そして本堂に行きますと、
おお~拝所のあたりの天井には
「千社札」がいっぱい貼られていますねえ。
ここまでのお寺は、
たいていは「千社札おことわり」
の感じでしたがね。
ここはまあそうでもないようです。



この千社札の愛好家も結構おられるようで、
ネットを見ますと
貼るときのルールも開設されているし、
貼るための専用道具なんかも
あるようです。

これからこの大阪近辺のお寺では
「doiron」なんていう札が
あったりするかもしれませんよ。

まあ、こんな景色なので
ここではこの部分を絵にしておきました。



そして、ここが大師堂です。



狭いからねえ。
こんなところでお経をあげる
ときなんかにはやっぱり
傘が必要となりますね。

でもこの時はたまたま読経時には
雨も上がっており、
ま何とかお参りも無事に
済ませられました。

さあ、これで今回のお寺も
あと残り2寺となりました。
雨がひどくならないうちに
回りたいものです。

次は、57番「栄福寺」です。

ここは嵯峨天皇の勅願により、
弘法大師が開基したお寺
と言われています。

当時、瀬戸内海で海難事故が
起こることが多く、
それを嘆いて海神供養の
護摩を修したところ、
そこに海の底から阿弥陀如来が現れ
それを安置しているといわれています。

う~ん、大師様もここでも
何かしたようですね。
空海に関しては、
司馬遼太郎の「空海の風景」(前・後)
を読んだし、今は夢枕獏の
「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」(全4巻)
というのを読んでいます。

司馬さんは空海の行動を
理論的に分析するものだし、
夢枕さんは空海の行動を
催眠術的な行動で描いているようですね。

いずれにしても空海の行動は
常識を超えたもので、
こういったお寺に残っている話には、
当時彼はどんな仕組みをしたんだろう
といろいろと考えてしまうのです。

山道を上がって、
お寺にはいっていきます。

本堂のお寺にろうそく、線香、
納札、賽銭を挙げているときに
先達さんから説明がありました。

「いま皆さんがおられる本堂の
左横のほうに大きな車いすが
置いてありますね。
これは昭和8年の当時
15歳だった男性がこれに乗って
ここにお参りに来たそうです。
お経をあげて熱心にお参りしたところ、
霊験で歩けるようになったので、
ここにこの車を奉納していったそうです。」

この話もどこまでが本当で
どこまでが作り物なのかは
よくわかりません。

いろいろとやった挙句、
病気が治って歩けるようになったので
ここに奉納しに来たというのが、
まあ本当なんでしょうね。
ここはまあ、この車いすを
絵にしておきましょう。



ここまで車で来て歩けるようになったから、
突然車椅子を奉納して帰る
というのも、ちょっとねえ~
という感じです。

しかしまあ、お寺参りが
そういう病気の回復を進めた
というのならありがたい話ですよねえ。

いいほうに考えて
しっかりお祈りしておきましょう。

続く