ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

十三から縦走 危うくハリポタに

2015年06月30日 21時38分29秒 | ウォーキング

十三大橋南詰の上流側にはこんな石が立っている。



「淀川」と書かれた横の面には、



少し消えかかって見にくかったのを解読すると
「河口まで7キロ」とある。

へ~まだ7キロあるんや。

ということは瀬田川から始まって
河口まで75キロであるから、
ここまで68キロということか。
淀川完歩のときはここまで来ても
頑張って歩かねば~

上流から下流に向かって左側の岸、
つまり左岸には河口のところに

「淀川距離標0.0キロ」

という標識があるそうだ。

その写真を撮るのはいつになるでしょうかね~。

そして今度は南詰の下流側を見ると、
目についたのが、この「水防碑」。



「災害は忘れた頃にやってくる」
と書かれてある。

どこかで同じような石を見たぞ
と思い記憶をたぐってみると、
大阪の都心を流れる大川沿いにも
同様の石が立っていたのを思い出した。

これ。



「・・忘れた頃に・・」かあ。
てことは・・・

近頃は、日本列島が何となく蠢いている。
昨年の御嶽山以来、口永良部島、
箱根、浅間山など各地の火山が
噴火傾向にあるし地震も多発している。

それにあの未曾有の大惨事
東北の大震災もまだまだ記憶に新しい。

災害が本当に忘れた頃にやってくるというのなら、
忘れてないから
まだ安心と言えなくもないよなあ。
なあんて偏屈なことを考えてしまった。

そんな水防碑の横には、
こんな大きな道標が立っている。
近くで確認してみようと、
堤防にたてられた車止めの二本の鉄パイプの間を
すり抜けようとしたその時だ。

何が起こったのか一瞬わからないほどの
衝撃を「ガイ~ン」とおデコに受けた。

あたりに火花が飛び散り、
しばらくの間、頭の周りを黄色い小鳥が
回っているように見えたぞ。

しばらくして冷静になってよく見ると、
その車止めの直径10cmほどの二本のパイプは、
ちょうどdoironのおでこの辺りの高さで
「コ」の字を左に90度倒したような形になるように
同じ太さのままつながっていたため、
その部分が帽子で目に入らず、
思いっきりおでこをガンッ!
としてしまったのだ。

全くその瞬間があまりに唐突にやってきたため、
落ちてきた隕石が当たったのか、
あるいは水の詰まった2リッターのペットボトルが
どこかから飛んできて頭に当たったのか
と思ったほどであった。

原因が鉄パイプとわかった瞬間、
恥ずかしさがこみ上げてきたね。

だって、すぐ横の176号を
車がいっぱい走っていたからね。

口笛を吹きながらそっと石碑の影に行き、
携帯の鏡アプリでおでこを確認したら、
赤くなっているだけで傷はなく、
幸い流血の事態は免れたようである。

ああ~、危うくハリーポッターになるところだったわい。



それにしてもこんなにひどくおでこを打ったのは
久しぶりやなあと思ってハタと気がついた。

そうまさに、「災害は忘れた頃にやってきた」のである。
人の言うことは素直に聞くものだ。

落ち着いてから、道標を確認した。

一番上に、東西南北の方角が刻まれている。



道路に面しては「往来安全」と大きく刻まれ、
その下に、向かって右を指す掌の浮彫とともに

「池田四里 伊丹二里半」

と刻まれてある。

台座の石にも、左向きを指す掌と一緒に
「高麗橋 一里」とある。



「高麗橋」とは言うまでもなく、
当時の里程元標、
今で言う道路元標があったところを指している。



そして十三大橋に続いて、
すぐ横を淀川と並行して流れる旧中津川には
十三小橋もかかっている。



小さい橋だが、
橋柱は大橋と同サイズの立派なものだったなあ。

渡り終えたらそこから中津を越え、



梅田へと向かって歩いた。



途中、あの御坊にあった
日本一短い私鉄の紀州鉄道が営むホテルを発見。



房総半島に続いて2軒目の
紀州鉄道のホテルである。

意外なところで旅はつながるもんじゃな。

その後、書店で注文してあった地図を受け取り、
合計7キロ弱の歩行を終えて



無事に帰宅したdoiron。

いやあ、ゴルゴやハリポタも登場して
思ったよりなかなか楽しいプチ歩行でした。

おでこを冷やしつつ終わり。