2万5千分の1の地形図は
大型書店に売っているとこの前書いたけど、
実はそんなにすんなりと手に入るというわけではない。
数々の案内本に乗っているような
メジャーな山を含む地図なんかは、
品切れになっていることが多いのだ。
案内本の地図では心もとないし、
かといって地元市町村のパンフレットや
山と高原地図にもないとなると、
地形図がやはり頼りになるわけだ。
書店で尋ねると、
随時補充はしているそうだが、
たいてい全域が揃っているわけではない
とのことであった。
ではそんなときはどうするか。
ネットでアマゾンを繰ってみても
手に入らないようだから、
その書店に取り寄せてもらうのがいいようである。
先日も、梅田での用事が色々たまってきたので、
地形図のまとめ買いも含めて
梅田まで電車でのこのこと出かけて行った。
しかし、案の定目的の何カ所かの地形図は
半分ほどしか在庫がない状態だったので
しかたなく取り寄せを依頼して帰ってきたところ、
後日入荷した旨の連絡があり
再び買いに行くことにした。
その時は、他に梅田に用事がある
というわけでもなかったので、
散策と組み合わせてみることにし、
いろいろと検討した結果、
今回散策地に選んだのは「十三」だった。
13日に十三だあ~
関西の人にはわかるだろうけど、
関東圏の人には珍地名じゃろね。
梅田から淀川を渡ったところにある繁華街だ。
イメージ的には上品な北摂の玄関口にあるというのに、
歓楽街のあるこてこてな街といった感がぬぐえない。
かといって怪しげというわけでもなく、
親しみのある胡散臭さや
ディープさ加減を漂わせているように思う。
そんな十三だが、
これまでここは電車で通過することはよくあっても、
下車してじっくり歩いたことがない。
本当にそんなイメージが正しいのか、
それを確かめるべく街歩きをし、
やがて淀川完歩で通過することになるであろう
橋をてくてく越えて梅田に地図を受け取りに行くという
十三から縦走するコース設定で出かけていったのであった。
前置きが長くなった。
早速歩きはじめよう。
十三には阪急神戸線と宝塚線と京都線が乗り入れている。
駅を降りて西口に出ると、
工事現場の囲いが目に入る。
そう、この西口を出てすぐのところにある、
通称「しょんべん横丁」が
2014年3月7日早朝に火事になり、
ネットから
今もその焼け跡は更地のままで
工事塀に囲われているのだ。
復興に向けて動いているものの
土地の権利関係がややこしく、
また復興案の意見もなかなかまとまらず
1年以上たっても更地のままになっている。
トラ柵の間から写した写真がこれ。
駅の石垣に立ちション防止の赤い鳥居が見える。
戦後しばらくこの飲み屋街には
トイレがほとんどなく、
駅の石垣に向かって
立ちションをしていた人が多かったため、
こんな名前で呼ばれていたそうだ。
赤い鳥居はその時の名残だろう。
火事の原因はタバコのポイ捨てともいわれている。
けが人、死人の出なかったのが
せめてもの幸いだった。
駅周辺には、このしょんべん横丁の他、
この地下道を挟んで
多くの商店街が今も軒を連ねている。
これらを見て回るだけでも1日たっぷりかかりそうなので、
スナップショットをいくつか紹介だけしておこう。
そんな数々の商店街のひとつ
「十三本一商店街」に「見返りトミー」君がいた。
この十三あたりは昭和20年の大空襲で
焼け野原になったそうだ。
その後「しょんべん横丁」を中心に
復興が進んできたそうだが、
そういった歴史の継承や
今後の十三の発展を願って、
作られたシンボルがこの見返りトミー君。
「トミー」は「十三」のごろあわせなんでしょう、きっと。
そうそうブリュッセルにいる
世界一有名な小便小僧のジュリアン君とは、
親戚になるそうだ。
doironもたまに山で辛抱たまらん時には
親戚になったりするけどね。
それにしても発展の末に
というか発展したがゆえに、
酔客で賑わい、酔っ払いに
ポイ捨てられたタバコで再び
一部が焼け野原になったというのは皮肉なものだ。
そういう歴史もまた継承されていくべきなんだろうな。
コテコテの街というイメージから
脱却を目指しているという印象を強く受けた。
今後のさらなる復興を願いつつ続く。