今日は職場の歓迎会第2弾を
開催していただいた。
普段あまり話の出来ない若い人たちとも
この機会を捕らえて
コミュニケーションを図る。
日頃のコミュニケーション不足を
一気に解決しようと
座席回り。
そのたびに、ビールを飲まされるので
今日はさすがにダウン寸前。
と、ここまで打つのに30分かかって
しまったほどだ。
詳細は、後日にでも。
とりあえず、おやすみなさい
明日は二日酔いやろなあ
電力不足が叫ばれる中
doiron家でも、節電を心がけている。
まず、電気はこまめに消すし
使用していないときの
無線ランルーターは消しておく。
これはセキュリティにもつながるから
当然の行動だろう。
夜にはポットの線も抜いておく。
便座の暖房はとっくに消した。
ただ、電気が足りないといってるのは
関東だけじゃなかったっけ。
そこで足りないからといって
西日本と東日本の電力の
やり取りはいかほどなのか。
その辺のところはよくわからない。
それにあんなに叫ばれていた
計画停電は、今はどうなっているのか
その辺も西日本にいると
ほとんど情報がない。
というより、自分のことではないことによる
関心の薄さかも知れないけど・・・
もしそうだったら、反省
ただ今回の一連の節電事情の中で
関心を抱くのは
関西にも数多く点在する
原発のことだ。
今、たけなわの選挙戦で
エネルギー行政の
あり方を見直すべきだと
声高に叫んでいる候補者も
散見する。
しかし、人類は繁栄のために
悪魔に魂を売ったのだ。
”核”という悪魔に。
それを今さら、転換だなどといっても
虫のいい話である。
魂を取り戻すなら
繁栄のために、という
お題目は、取り消さねばならない。
今さら自然エネルギーに
戻らねばといったところで
一度売った魂を還してくれるはずもない。
不便を承知で
エネルギー消費を抑える覚悟が
まず全人類に必要だろう。
それにしても、人類の
知恵には幻滅した。
放射線なんて
チェルノブイリやスリーマイルなど
何度かの事故を経験しているから
完璧に制御できると
思っていたのにな。
これほどてこずるとは
夢にも思いませんでしたわ。
今年の夏は、週に一度くらいは
ステテコにうちわと
蚊取り線香で
金鳥の夏、レトロな夏を
じっくり味わうことにしようかと
思っているdoironだ。
最近の生活の中で
気持ちをチョロっと刺激した
掲示物が二つある。
ひとつは、施設に仮入所している
スーちゃんを、気分転換にと
海に連れて行ったときだ。
入り江との境界に設けられてあった
防災用の看板がこれ。
普段なら何気なく見逃しそうな
看板が、今の時期だけに妙に
ナマナマしい。
こんなに清清しく気持ちよく
豊かにさんざめく海も
一旦牙を剥くと
あんなに恐ろしく豹変するんやね。
今日、カンさんが国会で
「津波の想定が甘かった」旨の
発言をしていたが
どこまで行っても想定外なのが
大自然だもん。
すべてを想定していたら
地球には住めなくなるってもんさ。
よもや災害時の、
人々の知恵と勇気と頑張りまで
想定外とは思っていませんよね。
もうひとつの気になる掲示が
夕食の買出しで行ったスーパーの
売り場のあちこちに
掲示されていたポスター
普段から、カップめんを
そんなに大量に買い込む人も
珍しいだろう。
doironだって、手抜きめしの
ためにたまに買うが
5個も一度に買うことはない。
それが、こんな風に書かれていると
逆に、「こんなことを書いてあるくらいだから
品薄なんだろう。じゃ5個ほど買っておくか」
ってなりかねないじゃないか。
買いだめを抑制しているのか
奨励しているのか
よくわからないポスターじゃ。
むしろ
「カップめん、買い放題」と書いて
値段を少し高くしておくほうが
買いだめ抑制につながるのではなかろうか。
目に入るもの、耳にするもの
口にするものすべてが
震災にからむ今日この頃。
ちょっと気になったふたつの
掲示物を紹介してみましたあ。
陽気に誘われて
朝の自治会掃除を終えてから
少しバイクに乗った。
まだ山は行かない。
平地のみをタラタラ走るわけだ。
しかし、バイクがトレックで本格的
ウェアももそこそこ。
メットにグローブまでつけて
平地をチンタラ走っているのは
なんだか気はずかしい。
やたら道具やウェアにこだわるくせに
走りが伴わない
お坊ちゃまライダーみたいなね。
抜いていくマウンテンライダーが
あいさつしながら
「ケッ!」みたいに思ってるんではないだろうか
などという妄想を抱いてしまうんだよね。
う~ん、あまりにも器の小さい
了見だ。
それはそれでめげそうだが
負けずに強く生きるのだ~
たけなわの春を味わいながら
サイクリング、サイクリング、ヤッホー
と走ってきました。
走っていると、今日は陽気も素晴らしく
あちこちでBBQの準備をしていたので
友達に電話をして
GWの焼肉を呼びかけちまったわい。
昼食をちゃちゃっと済ませて、
午後からは、2病院(実父と義父)と
1介護施設(実母)を巡ったよ。
こちらは車でね。
現地では
実父母を車椅子に乗せて
サイクリング、サイクリング、ヤッホー
あかんあかん。
卒倒してしまいますがな。
終わりかけの桜を少しだけ
見せてあげました。
ちなみに
義父は看護婦詰所に監禁中ですわ。
帰りには三途の川・・・ちゃうちゃう
大津川の河川敷で
少しだけランをし、
夕飯の買出しでスーパーへ。
このときのdoironの服装は
ジャージにトレーナー。
忙しく動き回るのに
これが一番やね。
着替えも楽で、
トランジッションタイムも稼げるしね。
ただね、今日思ったんだ。
ジーンズ柄のジャージってないかねえ。
おしゃれと実用が
両立するのになあ。
スーパーの服屋さんでチョコッと
探したけど見当たらなかったぜ。
ナイキとLeeがコラボ
みたいなジャージパンツ
「あるといいと思いますっ!」
そんなスーパーの帰りに
再度実父の病院に寄って、
オムツとパジャマ替え。
あちこち回って介護して
買物して、見舞いして、
これって、ほんまに動きが
在宅介護の訪問ヘルパーさん並みじゃ
あーりませんか。
我ながら自画自賛ものやなあと
自分で自分をほめる
doironなのであった。
今年は原チャリでも買って
走り回ってみますかねえ。
そして夜は、夜で自治会の組長会議で
公民館へ。
終了後、役員と公民館で
缶ビールで歓談して、先ほど
帰宅してきたdoironだ。
春たけなわ、用事もたけなわ。
平日は新しい仕事のお勉強、
休日はヘルパーdoironで
あっという間に今年の春は終わりそうじゃな。
車が新しくなって半月が過ぎた。
早く運転に慣れようと、
通勤時にいつもと違う道を
わざと遠回りなんかしながら
乗る時間を増やしている。
時は春。
巡るコースによっては
様々な形の春を目にして楽しい。
トヨタのアイシスから
日産のX-TRAILへと乗り換えたわけだが
新しい車の走りの印象は、
というと、そうさな
ちょうど、バイクを
LOOKからTREKに
乗り換えた時のような
感触かな。
ん?マニアックすぎてわからん?
そらそうですな。
LOOK→TREKと暦乗してきた人
って、そんなにはいませんわな。
つまり、よりキビキビ動くように
なったって感じかな。
細かいところでも
トヨタと日産は微妙に違う。
小さな装備をひとつひとつ比べてみると
日産はある部分で
完成度が高いのだが、
トヨタは全般によく考えられていたって
印象だ。
乗車シーンの中で
あれ?トヨタだったら
こういうことに細かい気配りが
あったのだが、
日産にはないということが、ままある。
また逆に、さすがに日産は
こんなところがトヨタよりすぐれているな
ということもある。
例えば、トヨタの場合
ガソリン給油のときに
ボディのふたを開けると
そこに「レギュラー」と書かれてあったが
日産にはそれがない。
代わりに、タンクのキャップホルダーが
ついてあったりする。
レギュラーであることはわかっているのだから
そんなことに手間をかけるんだったら
キャップホルダーの方が
ヘビーユーザーには便利だろうということだろう。
また、収納スペースは
日産のほうがルームスペースを
活用して、たくさん作ってあり、
とてもありがたいのだが、
用途別に収納スペースの形状が
工夫されているのがトヨタだ。
そういった側面から考えると
技術者が車を機械として
すぐれたものにしようとしているのが日産で
車をパートナーとして
ドライバーよりに作ってあるのがトヨタだ。
そのような感覚が
走りにも微妙に現れていて
技術的にすぐれた走りをするのが日産で
万人向けに無難な走りをするのがトヨタだと
いえるのではないかと思う。
これまで乗ったトヨタは3台
日産は2台
たかだか、そんな経験で
世界のトヨタと
技術の日産を比較するのは
おこがましいが、
いちユーザーとして
そういう印象を持っているdoironなのじゃ。
今日は楽器を自在に演奏する
先生と話をする機会があった。
自分の頭に浮かぶメロディを
思い通りに表現できることは
素晴らしいことで、
音楽の先生で心を病む人は
少ないのではないか。
見事なピアノ演奏、
そして名前は何か知らないが
管楽器の吹奏を聞かせてもらって
本当にそう思った。
自分の思いを、きちんと表現できる。
思えばdoironはそんな思いで
ずっと暮らしてきた。
学生の頃は、
当時のフォークブームもあいまって
ハシカにかかったみたいに
ギターに夢中になった。
アルペジオ
スリーフィンガー
を憶え、コードも
概ね憶えたら
ほとんどの曲を演奏することができた。
友達と下宿で
演奏会をしたりもした。
今にして思えば、そのときはきっと
初めて自分を表現できた喜びを
感じていたんだと思う。
その後、趣味はカメラに移り
今度は、山や自然の中で
自分が感じた感動を写真に残すことに
夢中になっていった。
友達と写真を見ながら
山、そして大自然の素晴らしさを
熱く語り合ったりしたものだ
仕事を始めるようになって
今度はマラソンに夢中になっていった。
身体を作り、心を作り、仲間を作り
走ることで自分を表現することを
ライフワークのように思い込んで
全力で打ち込んだ。
トライアスロンもウルトラマラソンも
すべてその延長だ。
思えば、自分を表現することに
夢中だったことばかりだ。
人事異動で
広報の仕事についた時には
仕事がすべて表現となった。
話すこと、書くことで、
いかに人にものごとを伝えるか。
この仕事は
表現好きのdoironの心を
激しく揺さぶった。
6年間、世間に発信を続け
もうまさにこれは天職じゃないかと
思ったほどだ。
あのとき書いた数々の文章は
確実に残り、
伝えたかったことは
脈々と社会に息づいている。
表現者としては、これは無上の喜びである。
そして今、こうしてブログで
自分の気持ちを文字にして
表現することも
とても楽しんでいる。
それに付き合わされる読者の
皆さんには申し訳ないが
ひまーな時の時間つぶしにでも
読んでもらえたら幸いだ。
表現するということは
裏を返せば
表現の受け手があってこそだ。
音楽にとっては、聞いてもらう人。
写真にとっては、見てくれる人。
マラソンにとっては一緒に走ってくれる人。
文章は読んでくれる人。
表現というのはひとりでは
決して成就しない。
そういう気持ちも
常に忘れずに持ち続けなくては
いけないことだと思っている
今日この頃だ。
両親が入院と介護で不在となり
生活のリズムが狂っているのは
doironだけではない。
愛犬「グー」も近頃行動がなんだか
穏やかではない。
そもそも、グーは
昼間は必ず親父に寄り添っていた。
また、夜は夜とて
親父とひとつ布団で寝てもいた。
もちろん、その隣にはスーちゃんも寝ていたわけだ。
それが今は、一日中
ひとりで家でじっとみんなの
帰りを待ち、
夜は、寝る習性のついたベッドで
ひとり寂しく寝ている。
そういう暮らしが始まった頃は
doironやミセスdoironが帰宅した時には
気も狂わんばかりに喜んだ。
かといって、doironと寝る習性を
つけたら
ずっとそうなってしまいそうなので
相変わらず夜はひとりで寝ているのだ。
朝、起きていくと
これも最初の頃は
喜んで「おはよう」と態度で
示してきた良い子だったのだが
近頃は、ひとり寝がよほど
寂しくなってきたんだろう。
doironがいる2階に
しきりに上がってこようと
するのだ。
なので
階段に簡易な扉をつけて
それを阻止している。
元々、主に似て腰の悪いグーなので
階段を登るという行為は
腰に負担がかかるのでさせたくない
という思いもあったし、
そんな習性をつけてはいけないという
しつけの面もあった。
そしたらようやく
最近は2階に上がるのは
あきらめたようなのだが、
起きていったときの態度にも
異変が見られるようになった。
以前は尻尾をふって甘えてきたのに
近頃は、あごを床につけて
「おはよう」と声をかけても
プイと横を向くようになった。
つまり、すねているわけだ。
やがて朝食を摂るころになると
ようやくトコトコと台所にやってきて
足元にゴロンと座りはするんだけどね。
あきらかに態度は
すねているとしか言いようがない。
グーのいじけた態度が
募ってきた頃の昨日、
家に帰ると、階下に姿が見当たらず
どこに行ったかと探していると
2階からクンクン声がしてきた。
やりおったか!と
おそるおそる二階に上がってみると
すねた態度は一変し
しきりに甘えてくる。
これはおかしいぞと部屋に入ってみて
びっくり
服は広げまくり
ティッシュは中身を箱から引っ張り出して
部屋中に散乱している。
「こらっ!これはなんや?」と
起こると、首を垂れて
申し訳なさそうにすると同時に
顔は半分笑っている。
もうそんな姿を見ていると
起こる気にもなれず
黙って二階から下へ
抱いて降りた次第だ。
犬も構ってもらえず
つまらない毎日なんやろな。
リズムが狂って、
どうして良いかわからず
不安定になって、とりあえず
何とか気を引きたかったんでしょうね。
そこで今日は
階段の扉も強固に閉じて
出勤した甲斐あって
階下でおとなしくしていた様だった。
そうかあ、犬でさえ
一人でいるとこんな反応を
示すんやと思ったら、
一人でいるスーちゃんが心配になってきたので
今夜、ショートステイの
スーちゃんに面会に行ってきた。
飼った犬に教えられって、感じかな。
そこで幸いにも楽しそうに寛いでいたスーちゃんに
「今、何がしたい」って聞いたら
「グーにあいたい」だと。
飼い犬も飼い犬なら
親も親である。
桜が咲いたら、今年も夜桜を見に行こうと、
スーちゃんと約束をしていた。
記憶力の乏しい老いた頭でも、
昨年一緒に見に行った夜桜のことは
忘れていないようでした。
しかし、運命は無情なもので、
今年は両父親の入院があり、
これまでのように不安を抱えながらも
家で過ごす春盛りの日々を、
今年は施設で迎えることになったため、
夜桜花見の約束は果たせなくなった。
親父の入院にともなう緊急の措置とはいえ、
離れて暮らす不安はいかばかりだろうと思うと、
心が震える。
普段のショートステイでも
1週間も行くと、QOLが低くなる身で、
2週間の滞在に耐えられるだろうか。
行けるときには顔を出してあげようと
思っているものの、
それもなかなか病院めぐりや
義母のお世話でなかなかままならない。
願わくば、
ひたすら強く耐えてくれることを
願うばかりだ。
夜もそんな親たちのことを思うと、
不安が募る。
子としてしてやれることはしてやれているだろうか。
生かされた身で、
こんな程度のことしかしてやれなくて
これでいいのだろうか。
もっと火だるまになって、
介護と向き合わなくていいのだろうか。
自責の念が次々と押し寄せてくる。
せめて夜桜の下で、
「今年もきれいに咲いたな」
「来年もきっと見に来よう」
と声をかけてあげられたら、
気持ちも少しは軽くなるのにな。
急に寒くなったり、
雨が降ったりと、
花冷えの時候は桜にとって
受難続きではあるけれど、
せめてスーちゃんが帰ってくるまでは
散らないでほしいと、
かなわぬ願いとわかりつつ、
それでも願わずにはおれない毎日なのだ。
来年こそは必ず行こう。
指きりげんまん!
両父親が入院してるのは
少し前に書いた。
今日は、そんな
二人の父の入院にまつわるお話だ。
義父の症状は
肺炎と心臓の機能低下により
肺に水がたまり、呼吸が苦しくなって
入院したもの。
しばらくは、安静と強心剤の点滴で
様子を見ていたが
ここにきて治りが緩やかなので
医者の判断で
ペースメーカーの
仮設置を提案された。
そんな診断が下ったので
職場のミセスdoironに連絡があって
説明を受けに行ったときのことだ。
先生が紙にメモをしながら
説明してくれたそうだが
「徐脈」と書いてフリガナを
打とうとしたときに
ジョミャクでペースメーカーを
入れるんですかと聞いたらしい。
それから説明が進むにつれ
「心房細動」
「洞結節」
とかの用語も理解できるし
医者も感心していたらしい。
さらには、リスモダンなどの薬の名前も
理解しているので
こう聞かれたという。
「身内に心臓の悪い人がいるんですか?」
そこでミセスdoironは
待ってましたとばかりに
doironの心肺停止の話を
したそうだ。
その話を聞いた先生が
「それで、ご主人は今どうされているんですか?」
「普通に極楽トンボですけど・・」
といったかどうかは知らない。
ま、「普通にしていて最近は
10キロ程度は走ってる」とでも言ったんでしょう。
えらく先生が驚かれていたそうだ。
「え~、普通は何か残るんやけどなあ」
と言ってたとか。
義父の説明そっちのけで
「どこのマラソン大会で?」
とか
「いつのことなのか」
とか
「ご主人のマラソン暦は?」
など、色々聞かれたそうだ。
マラソンと心臓病について、みたいな
論文でも書いてそうな感じやったでと
ミセスdoironは語っていました。
ま、そんな話はさておき
義父の状況なんですが
無事に外付けのペースメーカーが
首の血管を通じて埋め込まれた。
手術は30分程度で終わり
その後は義父も
安らかに眠っているので
引き上げてきた。
しかし、実は心配なのは
ここからである。
以前夜中に目覚めて
点滴を自ら引き抜いた前科を
持っている。
そのため、何度夜中に
呼び出されたことか。
しかし、今回は点滴ももちろんあるが
問題は首に刺さったパースメーカーの
コードである。
それを無理に引き抜こうとされたりでもしたら
ただ単に見守りに行くだけではすまない。
想像するのも恐ろしいことになりそうだ。
入院しているのは
某市民病院。
実父が入院している
救急病院と違って
ふところが狭い。
チラッと不穏な気配でもあれば
必ず電話がかかってくるのだ。
今夜は、その電話がないことを祈るばかりだ。
そしてもうひとりの父親、
doironの実父なのだが
こちらは骨折の手術も
無事に済み、傷は順調に回復しつつある。
問題は、病院での
寝たきり環境が心配なのだ。
ただでさえ言葉のカツゼツが悪いところに
持ってきて、やはり
思考能力の低下は否めない。
昼間は仕事の合間に
実父の携帯に電話をしては
いろいろ質問したりして
刺激を入れているdoironなのだ。
先日、近所をジョグしている
ラン友に偶然会ったとき
たまたま、自治会長から電話がかかって
副会長を仰せつかったのだが
今夜、その自治会長が
家に来て、実父に今年の
相談役を頼みに来た。
いくらでも引き受けるが、
悪いけど、相談してるうちに
寝てしまうかも知れんよ。
それでも良かったらとお引き受けしました。
ま、ほとんどが
名前だけの役なので
自治会運営に全く支障のないことは
百も承知なのだ。
日々の暮らしは、かように
病人、高齢者に振り回されている。
いささか、疲れている
doironなのでした。
でも
テレビではまだまだ連日
東日本大震災の様子が
報じられている。
あれから、もうひと月・・・
僕らは多くのことを
目の当たりにしたし
いろんなことを考えた。
それは、時には
胸に突き刺さるような悲しみであったり
拳を握りつぶさんばかりに
こみ上げる怒りであったり、
とても現実とは思えないような
驚きであったりする。
まだまだ続く、長く苦しい戦いを前に
決意を新たにした被災者もいただろう。
生きてる喜びを
しみじみと実感された
幸運な被災者もいるでしょう。
1分間。
日本中の多くの人たちが
祈ったのは、
亡くなった人の冥福と
そして何よりも
被災されて現地で
懸命に生きようとしている
あなた達のためだったと思います。
doironもお祈りしました。
デスクの前に立ち、
胸に手を当てて
黙祷しました。
僕の胸にまず去来したのは
1カ月前のあの日あの時よりも
なぜか4ヵ月弱前の
doiron自身を襲った
あの日あの時でした。
あのときに、小さな偶然が
いくつも積み重なって
生き残れたことが
僕にとっては、
被災された皆さんのあの日あの時と
重なってしまうのです。
そう、共通に抱いてほしいのは
「生かされている」
という思いでしょう。
悲しみも辛さも
生きていればこそです。
力強く、負けずに頑張っていきましょう。
黙祷の1分間。
言葉にはならなかったけど
僕の胸の奥で湧き上がった祈りは
そんな形をしていたように思います。