今日は楽器を自在に演奏する
先生と話をする機会があった。
自分の頭に浮かぶメロディを
思い通りに表現できることは
素晴らしいことで、
音楽の先生で心を病む人は
少ないのではないか。
見事なピアノ演奏、
そして名前は何か知らないが
管楽器の吹奏を聞かせてもらって
本当にそう思った。
自分の思いを、きちんと表現できる。
思えばdoironはそんな思いで
ずっと暮らしてきた。
学生の頃は、
当時のフォークブームもあいまって
ハシカにかかったみたいに
ギターに夢中になった。
アルペジオ
スリーフィンガー
を憶え、コードも
概ね憶えたら
ほとんどの曲を演奏することができた。
友達と下宿で
演奏会をしたりもした。
今にして思えば、そのときはきっと
初めて自分を表現できた喜びを
感じていたんだと思う。
その後、趣味はカメラに移り
今度は、山や自然の中で
自分が感じた感動を写真に残すことに
夢中になっていった。
友達と写真を見ながら
山、そして大自然の素晴らしさを
熱く語り合ったりしたものだ
仕事を始めるようになって
今度はマラソンに夢中になっていった。
身体を作り、心を作り、仲間を作り
走ることで自分を表現することを
ライフワークのように思い込んで
全力で打ち込んだ。
トライアスロンもウルトラマラソンも
すべてその延長だ。
思えば、自分を表現することに
夢中だったことばかりだ。
人事異動で
広報の仕事についた時には
仕事がすべて表現となった。
話すこと、書くことで、
いかに人にものごとを伝えるか。
この仕事は
表現好きのdoironの心を
激しく揺さぶった。
6年間、世間に発信を続け
もうまさにこれは天職じゃないかと
思ったほどだ。
あのとき書いた数々の文章は
確実に残り、
伝えたかったことは
脈々と社会に息づいている。
表現者としては、これは無上の喜びである。
そして今、こうしてブログで
自分の気持ちを文字にして
表現することも
とても楽しんでいる。
それに付き合わされる読者の
皆さんには申し訳ないが
ひまーな時の時間つぶしにでも
読んでもらえたら幸いだ。
表現するということは
裏を返せば
表現の受け手があってこそだ。
音楽にとっては、聞いてもらう人。
写真にとっては、見てくれる人。
マラソンにとっては一緒に走ってくれる人。
文章は読んでくれる人。
表現というのはひとりでは
決して成就しない。
そういう気持ちも
常に忘れずに持ち続けなくては
いけないことだと思っている
今日この頃だ。
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