ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

明日は泉州マラソン

2011年02月19日 22時29分17秒 | マラソン
doironが生息する
泉O津市を通過する
唯一のフルマラソン大会
それが泉州国際マラソンだ。

千亀利マラソンと称して
ハーフから始まり
フルの大会となっていき
平成6年の関空開港にあわせて
国際マラソンとして
開催されたのがこの大会。
doironも15回くらいは
走ったでしょうか。
ベストタイムは
3時間01分02秒。
平成5年2月20日の
千亀利マラソンといわれていたときに
大雨の中で出したこのタイムが
生涯のフルベストとなりました。

続くタイムは
平成12年2月20日に開催された
第7回大会の3時間05分19秒でした。
途中棄権も2回あります。
1回は、風邪を引いて
38度の熱が出ているのをおして
出場した平成4年の千亀利マラソン
30キロ2時間2分でダウン。
あの時は、地面が波打って見えました。
そしてもう一回が
平成9年の第4回大会。
このときは25キロくらいで
心臓発作が起こり
救急搬送。
このときの発作が
この後の心臓カテーテルアブレーションという
手術につながった。
doiron42歳の出来事でした。

このほか、思い出も数多い大会です。

走りながらあのボストンマラソン1953年優勝者の
山田敬蔵氏に話しかけられたことがある。
「このコースはアベベと走ったことがあるなあ」と
言ってはった。
当時はたしか60歳は当に超えていたのに
3時間一桁でゴールしてはったなあ。
あのアースマラソンの
間寛平と30キロ地点で併走しながら、
話をしたこともあるし
東国原元宮崎知事(当時はそのまんま東)と
ゴール2キロ手前まで競って
振り切ったこともある。
スタート前に高石友也と
皆生の話をしたこともあったっけな。

doironのフルの歴史は
この大会と共にあったといっても
過言ではないのです。

今年は、もともとエントリーできていなかったし
出来ていても走れなかっただろう。

そんなdoironの悔しさを
皆さんの元気な笑顔のゴールで
晴らしてほしいと思います~。

応援行きます。