八百屋の長兵衛は碁と相撲が好きで
よく、年寄り”伊勢海”と碁で対戦し、
商売上の打算から
わざと負けて伊勢海の機嫌を
とっていたことがのちに発覚し、
以来、わざと勝負に負けたりすることが
”八百長”という言葉になって
のこった、のこった。というわけである。
今、世間を騒がしている
八百長問題が
その同じ相撲界で起こっていることは
まことに因果なことだと
言う他はない。
その相撲にまつわる思い出は
数多い。
例えば、
呼び出しに四股名を告げられ
土俵に上がってきた力士が
対戦をするまでの間
何度も何度も仕切りなおしを
するのが、子どもの頃は
よくわからなかった。
土俵に上がってきて
蹲踞をし、さあ対戦と
思ったらまた身体を拭いたり、
塩を取りに戻る。
それを何度も何度も繰り返し
行うのがよくわからず、
さっさと早くぶつかればいいのにと
思ったものだ。
たまりの人が手を上げて
時間を告げたあとのお見合いで
対戦が始まるのだということがわかったのは
かなり経ってからだったように思う。
また、昔は白黒テレビしかなかった。
doiron家にカラーテレビが
やってきたとき、
あのもみ上げの立派だった高見山の
まわしが鮮やかなオレンジだったのを
覚えている。
なぜ覚えているかというと
それを見ていた6歳上の姉が
「この頃のまわしって派手やなあ」と
いってたからだ。
それまで白黒テレビしか
見ていなかったのだから
派手に見えるのも道理である。
そのことを指摘したら姉ちゃんも
「なるほど!」と妙に納得していたことから
そのことを覚えている。
春の大阪場所にも
行ったことがある。
一緒に行った人のはからいで
府立体育館にしつらえられた
観客席の下に降りることを
許されていたので
関取を間近で見ることが出来た。
当時、小柄だった舞の海でさえ
山のように見えた驚きが
今も忘れられない。
八百長のことを
とやかく否定的に書くことは
簡単だよ。
そりゃあ、正義を振りかざしたら
糾弾せざるを得なくなるけど
doironは全然許しているのだ。
そもそも相撲は
スポーツであるという前に
エンターテイメントなんじゃないか。
そんな気持ちで
相撲文化を育ててきた経緯が
あるからこそ
勝ち負けの星勘定より
非日常的に巨大で
強大な力士による
パフォーマンスそのものが
相撲の思い出になって
残っているんだよ。
相撲をする人のことは
色んな名前で呼ばれる。
「相撲取り」
「おすもうさん」
「力士」
「関取」
こんなにいろんな呼称で
呼ばれる人たちはいない。
それは、相撲がそれだけ人々に親しまれ
愛されてきたということの現れにほかならない。
「相撲甚句」などという
文化も残っている。
相撲そのものが
勝ち負けを超えて
いかに人々に人気があり、
それが連綿と続いてきたことを
物語っていることをあげたら
枚挙に暇がないのだ。
ただ勝ち負けだけでなく
そこにある
「おすもうさん」のいろんな意味での大きさや
見た目のおおらかさも含めて
それが「大相撲」なのじゃないだろうか。
ファンの理解が得られないからという
相撲協会の春場所中止の決定は
あまりにかたくな過ぎる。
「おすもうさん」のおおらかさや
ふところの深さで
笑い飛ばせはしなかっただろうか。
そして、実はそういった
過熱報道の陰には
建前に縛られすぎの
最近のマスコミの問題点と
意外や、あやしい政治的な思惑が
見え隠れするのだが、
その辺はまた明日以降に書きませう。