ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

2012夏の終わりに 勉強編

2012年08月30日 23時04分03秒 | 最近の出来事

海水浴の帰りに立ち寄ったのが



「南方熊楠記念館」。

白浜の半島の先端部の高台に位置し、
屋上からは白浜360度の景色が眺望できる。

では南方熊楠とはどういう人物なのか。

それはあとで書いていくとして、
まず最初に誰もが思うのは

「熊楠」

という変った名前のことです。
実はこの名前には理由があって、
彼が生まれた1867年頃、
彼の一家は海南にある藤白神社を信心していた。
その神社では、
名前の一部に藤白の「藤」、
熊野の「熊」、神社にあった子守楠神社の「楠」
の3文字を入れると良いとされており、
その中から「熊」と「楠」の二文字をいただいて
健康と長寿を授かる名前として

「熊楠(くまぐす)」

と名づけられたとのことである。

彼は当時としては長寿といえる
74歳まで生きて、
その生涯を閉じている。

小学校の頃、知り合いの家にあった
「和漢三才図会」を閲覧し、
記憶で筆写したという逸話があったり、
それはそれは、彼がいかに奇抜で
並外れた人間だったという逸話も多く残している。

「粘菌」という、移動しつつ微生物を食する
動物的な菌について、
彼が残した実績は大きいほか、
顕花植物も多く採集し、
残した標本も数多い。
そんなふうに
自然科学の分野で出色の貢献をしている。

アメリカやヨーロッパと外国でも活躍し、日本人の中で
「ネイチャー」に記事が最も多く(50篇)掲載された人
という記録も保持している。

彼はまた民俗学のはしりであり
柳田国男にも影響を与え、その礎を築いた
といわれている。
彼の知識はとにかく豊富で、
その知識の網は
曼荼羅に例えられ、
博物学、生物学、民俗学の学者として
輝かしい名を残している。

彼の好奇心の対象を見ると
そのレベルは比較にもならないが、
doironの視線と彼の視線は
向けられている方向が良く似ているなあ
というのが、今回記念館を訪れた感想でした。

最初に書いたように、
記念館の屋上からの眺望は素晴らしく、



これは記念館下の
人が立ち寄れないようなところにある
プライベートビーチ



白浜方面も一望できます。

紀州のスーパー科学者
の生き様に触れ
しみじみとdoironの行く末も
考えてしまった時間でした。