全39項目、280行のうち、「A:流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い」は、
「5.北条時房による小野盛綱配下・玄蕃太郎追討 25行」…A
「30.糟屋久季・五条有仲による後鳥羽院への敗戦報告 3行」…A
「31.後鳥羽院、二位法印尊長邸へ御幸 3行」…A
の3項目、合計31行で、
31/280≒0.111
となり、約11%です。
ついで「B:積極的に疑う格別の理由がない」は、
「2.後鳥羽院の指示 3行」…B
「14.武田・小笠原軍の渡河 2行」…B
「15.大内惟信と智戸六郎の戦い 3行」…B
「16.二宮殿と蜂屋入道の戦い 3行」…B
「22.板橋における荻野次郎座衛門・伊豆御曹司の戦い 2行」…B
「23.伊義渡における開田・懸桟・上田殿の戦い 2行」…B
「24.火御子における打見・御料・寺本殿と尾張熱田大宮司の戦い 2行」…B
「25.大豆戸における藤原秀康・三浦胤義の戦い 4行」…B
「26.食渡における安芸宗左衛門・下条殿と関左衛門・大和入道・押野入道との戦い 8行」…B
「28.上瀬における重原・翔左衛門の戦い 6行」…B
「29.洲俣の藤原秀澄の敗走 1行」…B
「32.後鳥羽院、叡山御幸 5行」…B
「37.紀内殿と山田重忠の戦い 3行(☆)」…B
の13項目、合計44行で、
44/280≒0.157
となり、約16%です。
そして「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」は、
「1.押松の報告 14行」…C
「18.蜂屋蔵人の逃亡 4行」…C
「19.蜂屋三郎と武田六郎の戦い 10行」…C
「34.渡辺翔・山田重忠・三浦胤義による後鳥羽院への敗戦報告 5行(☆)」…C
「35.三浦胤義の後悔 5行」…C
「36.東寺における渡辺翔と新田四郎の戦い 5行」…C
「38.三浦胤義と義村との戦い 9行」…C
「39.三浦胤義の自害 5行」…C
の8項目、合計57行で、
57/280≒0.204
となり、約20%です。
最後に、「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」は、
「3.藤原秀康の第一次軍勢手分 21行」…D
「4.藤原秀澄の第二次軍勢手分 8行」…D
「6.山田重忠の鎌倉攻撃案 13行(☆)」…D
「7.山田重忠による鎌倉方斥候の捕縛 21行(☆)」…D
「8.北条時房による軍勢手分 4行」…D
「9.武田信光と小笠原長清の密談 4行」…D
「10.北条時房の手紙と武田・小笠原の渡河開始 3行」…D
「11.市川新五郎と京方・薩摩左衛門の言葉戦い 8行」…D
「12.荒三郎の瀬踏み、高桑殿射殺 10行」…D
「13.荒三郎の報告と渡河方法の指導 9行」…D
「17.市川新五郎と薩摩左衛門の戦い 3行」…D
「20.神土殿と上田刑部の降伏談義 9行」…D
「21.北条泰時による神土殿父子九騎の処刑 5行」…D
「27.伊勢国における加藤判官の戦い 8行」…D
「33.杭瀬河における山田重忠と児玉党の戦い 22行(☆)」…D
の15項目、合計148行で、
148/280≒0.529
となり、約53%です。
結局、
「A:流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い」……約11%
「B:積極的に疑う格別の理由がない」……約16%
「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」……約20%
「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」……約53%
となります。
もちろん、「A」「B」「C」「D」の評価は私の主観的判断ですが、しかし、それぞれの判断には一応の根拠を示していますので、全くの的外れではないと思います。
「5.北条時房による小野盛綱配下・玄蕃太郎追討 25行」…A
「30.糟屋久季・五条有仲による後鳥羽院への敗戦報告 3行」…A
「31.後鳥羽院、二位法印尊長邸へ御幸 3行」…A
の3項目、合計31行で、
31/280≒0.111
となり、約11%です。
ついで「B:積極的に疑う格別の理由がない」は、
「2.後鳥羽院の指示 3行」…B
「14.武田・小笠原軍の渡河 2行」…B
「15.大内惟信と智戸六郎の戦い 3行」…B
「16.二宮殿と蜂屋入道の戦い 3行」…B
「22.板橋における荻野次郎座衛門・伊豆御曹司の戦い 2行」…B
「23.伊義渡における開田・懸桟・上田殿の戦い 2行」…B
「24.火御子における打見・御料・寺本殿と尾張熱田大宮司の戦い 2行」…B
「25.大豆戸における藤原秀康・三浦胤義の戦い 4行」…B
「26.食渡における安芸宗左衛門・下条殿と関左衛門・大和入道・押野入道との戦い 8行」…B
「28.上瀬における重原・翔左衛門の戦い 6行」…B
「29.洲俣の藤原秀澄の敗走 1行」…B
「32.後鳥羽院、叡山御幸 5行」…B
「37.紀内殿と山田重忠の戦い 3行(☆)」…B
の13項目、合計44行で、
44/280≒0.157
となり、約16%です。
そして「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」は、
「1.押松の報告 14行」…C
「18.蜂屋蔵人の逃亡 4行」…C
「19.蜂屋三郎と武田六郎の戦い 10行」…C
「34.渡辺翔・山田重忠・三浦胤義による後鳥羽院への敗戦報告 5行(☆)」…C
「35.三浦胤義の後悔 5行」…C
「36.東寺における渡辺翔と新田四郎の戦い 5行」…C
「38.三浦胤義と義村との戦い 9行」…C
「39.三浦胤義の自害 5行」…C
の8項目、合計57行で、
57/280≒0.204
となり、約20%です。
最後に、「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」は、
「3.藤原秀康の第一次軍勢手分 21行」…D
「4.藤原秀澄の第二次軍勢手分 8行」…D
「6.山田重忠の鎌倉攻撃案 13行(☆)」…D
「7.山田重忠による鎌倉方斥候の捕縛 21行(☆)」…D
「8.北条時房による軍勢手分 4行」…D
「9.武田信光と小笠原長清の密談 4行」…D
「10.北条時房の手紙と武田・小笠原の渡河開始 3行」…D
「11.市川新五郎と京方・薩摩左衛門の言葉戦い 8行」…D
「12.荒三郎の瀬踏み、高桑殿射殺 10行」…D
「13.荒三郎の報告と渡河方法の指導 9行」…D
「17.市川新五郎と薩摩左衛門の戦い 3行」…D
「20.神土殿と上田刑部の降伏談義 9行」…D
「21.北条泰時による神土殿父子九騎の処刑 5行」…D
「27.伊勢国における加藤判官の戦い 8行」…D
「33.杭瀬河における山田重忠と児玉党の戦い 22行(☆)」…D
の15項目、合計148行で、
148/280≒0.529
となり、約53%です。
結局、
「A:流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い」……約11%
「B:積極的に疑う格別の理由がない」……約16%
「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」……約20%
「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」……約53%
となります。
もちろん、「A」「B」「C」「D」の評価は私の主観的判断ですが、しかし、それぞれの判断には一応の根拠を示していますので、全くの的外れではないと思います。