学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

慈光寺本の合戦記事の信頼性評価(その22)─「A」「B」「C」「D」の割合

2023-10-10 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
全39項目、280行のうち、「A:流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い」は、

「5.北条時房による小野盛綱配下・玄蕃太郎追討 25行」…A
「30.糟屋久季・五条有仲による後鳥羽院への敗戦報告 3行」…A
「31.後鳥羽院、二位法印尊長邸へ御幸 3行」…A

の3項目、合計31行で、

 31/280≒0.111

となり、約11%です。
ついで「B:積極的に疑う格別の理由がない」は、

「2.後鳥羽院の指示 3行」…B
「14.武田・小笠原軍の渡河 2行」…B
「15.大内惟信と智戸六郎の戦い 3行」…B
「16.二宮殿と蜂屋入道の戦い 3行」…B
「22.板橋における荻野次郎座衛門・伊豆御曹司の戦い 2行」…B
「23.伊義渡における開田・懸桟・上田殿の戦い 2行」…B
「24.火御子における打見・御料・寺本殿と尾張熱田大宮司の戦い 2行」…B
「25.大豆戸における藤原秀康・三浦胤義の戦い 4行」…B
「26.食渡における安芸宗左衛門・下条殿と関左衛門・大和入道・押野入道との戦い 8行」…B
「28.上瀬における重原・翔左衛門の戦い 6行」…B
「29.洲俣の藤原秀澄の敗走 1行」…B
「32.後鳥羽院、叡山御幸 5行」…B
「37.紀内殿と山田重忠の戦い 3行(☆)」…B

の13項目、合計44行で、

 44/280≒0.157

となり、約16%です。
そして「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」は、

「1.押松の報告 14行」…C
「18.蜂屋蔵人の逃亡 4行」…C
「19.蜂屋三郎と武田六郎の戦い 10行」…C
「34.渡辺翔・山田重忠・三浦胤義による後鳥羽院への敗戦報告 5行(☆)」…C
「35.三浦胤義の後悔 5行」…C
「36.東寺における渡辺翔と新田四郎の戦い 5行」…C
「38.三浦胤義と義村との戦い 9行」…C
「39.三浦胤義の自害 5行」…C

の8項目、合計57行で、

 57/280≒0.204

となり、約20%です。
最後に、「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」は、

「3.藤原秀康の第一次軍勢手分 21行」…D
「4.藤原秀澄の第二次軍勢手分 8行」…D
「6.山田重忠の鎌倉攻撃案 13行(☆)」…D
「7.山田重忠による鎌倉方斥候の捕縛 21行(☆)」…D
「8.北条時房による軍勢手分 4行」…D
「9.武田信光と小笠原長清の密談 4行」…D
「10.北条時房の手紙と武田・小笠原の渡河開始 3行」…D
「11.市川新五郎と京方・薩摩左衛門の言葉戦い 8行」…D
「12.荒三郎の瀬踏み、高桑殿射殺 10行」…D
「13.荒三郎の報告と渡河方法の指導 9行」…D
「17.市川新五郎と薩摩左衛門の戦い 3行」…D
「20.神土殿と上田刑部の降伏談義 9行」…D
「21.北条泰時による神土殿父子九騎の処刑 5行」…D
「27.伊勢国における加藤判官の戦い 8行」…D
「33.杭瀬河における山田重忠と児玉党の戦い 22行(☆)」…D

の15項目、合計148行で、

 148/280≒0.529

となり、約53%です。
結局、

「A:流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い」……約11%
「B:積極的に疑う格別の理由がない」……約16%
「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」……約20%
「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」……約53%

となります。
もちろん、「A」「B」「C」「D」の評価は私の主観的判断ですが、しかし、それぞれの判断には一応の根拠を示していますので、全くの的外れではないと思います。
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慈光寺本の合戦記事の信頼性評価(その21)─39項目の信頼性評価一覧

2023-10-10 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
私の当初の仮説は慈光寺本作者を藤原能茂、想定読者を能茂の娘婿の三浦光村に限定するものでした。
慈光寺本において、三浦胤義が義村を非難するに際し、和田合戦の時に義村が和田義盛を裏切ったと言っていることは、胤義も一緒に裏切っていることを考えると相当変な話ですが、それに加えて、光村を想定読者とする私の仮説にも障害となっていました。
不正確な事実認識に基づき、自分の父親を裏切り者扱いされては光村も気分が良くないですからね。
また、私は森野宗明氏の論文で、三浦胤義に対して一貫して敬語が用いられておらず、最後の最後、義村と対決する場面でやっとほんの少し敬語が用いられていることを知ったのですが、これも私の当初の仮説にとっては不都合な真実でした。
父に敵対した叔父とはいえ、三浦一族が軽んじられていることになりますから、これも光村にとっては気分が良くない話です。

森野宗明論文のおさらい(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7acd1315d0685cf067107479d41af3a1

現在の私は、慈光寺本作者は特定少数であって、必ずしも三浦光村に限定されないと考えていますが、この想定読者の問題については後で改めて論じることとします。
さて、39項目全てについて信頼性評価を終えたので、その結果をまとめることとします。
カテゴリーは、

 A: 流布本や『吾妻鏡』その他史料との整合性があり、信頼性が高い。
 B: 積極的に疑う格別の理由がない。
 C: ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い。
 D: ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い。


の四つであり、この分類基準に即して全39項目について信頼性を評価すると、

-------
「1.押松の報告 14行」…C
「2.後鳥羽院の指示 3行」…B
「3.藤原秀康の第一次軍勢手分 21行」…D
「4.藤原秀澄の第二次軍勢手分 8行」…D
「5.北条時房による小野盛綱配下・玄蕃太郎追討 25行」…A

「6.山田重忠の鎌倉攻撃案 13行(☆)」…D
「7.山田重忠による鎌倉方斥候の捕縛 21行(☆)」…D
「8.北条時房による軍勢手分 4行」…D
「9.武田信光と小笠原長清の密談 4行」…D
「10.北条時房の手紙と武田・小笠原の渡河開始 3行」…D

「11.市川新五郎と京方・薩摩左衛門の言葉戦い 8行」…D
「12.荒三郎の瀬踏み、高桑殿射殺 10行」…D
「13.荒三郎の報告と渡河方法の指導 9行」…D
「14.武田・小笠原軍の渡河 2行」…B
「15.大内惟信と智戸六郎の戦い 3行」…B

「16.二宮殿と蜂屋入道の戦い 3行」…B
「17.市川新五郎と薩摩左衛門の戦い 3行」…D
「18.蜂屋蔵人の逃亡 4行」…C
「19.蜂屋三郎と武田六郎の戦い 10行」…C
「20.神土殿と上田刑部の降伏談義 9行」…D

「21.北条泰時による神土殿父子九騎の処刑 5行」…D
「22.板橋における荻野次郎座衛門・伊豆御曹司の戦い 2行」…B
「23.伊義渡における開田・懸桟・上田殿の戦い 2行」…B
「24.火御子における打見・御料・寺本殿と尾張熱田大宮司の戦い 2行」…B
「25.大豆戸における藤原秀康・三浦胤義の戦い 4行」…B

「26.食渡における安芸宗左衛門・下条殿と関左衛門・大和入道・押野入道との戦い 8行」…B
「27.伊勢国における加藤判官の戦い 8行」…D
「28.上瀬における重原・翔左衛門の戦い 6行」…B
「29.洲俣の藤原秀澄の敗走 1行」…B
「30.糟屋久季・五条有仲による後鳥羽院への敗戦報告 3行」…A

「31.後鳥羽院、二位法印尊長邸へ御幸 3行」…A
「32.後鳥羽院、叡山御幸 5行」…B
「33.杭瀬河における山田重忠と児玉党の戦い 22行(☆)」…D
「34.渡辺翔・山田重忠・三浦胤義による後鳥羽院への敗戦報告 5行(☆)」…C
「35.三浦胤義の後悔 5行」…C
 
「36.東寺における渡辺翔と新田四郎の戦い 5行」…C
「37.紀内殿と山田重忠の戦い 3行(☆)」…B
「38.三浦胤義と義村との戦い 9行」…C
「39.三浦胤義の自害 5行」…C
-------

となります。
次の投稿で若干の検討を行います。
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