「正義」の胡散臭さはだいぶ理解できるようになりました。
次は「徳」ってものを理解したい。
ネット上でいろいろ調べてみると、徳は結局、自分に固執せず他人への思いやりを判断基準として自分の行動を律すること、というようなニュアンスでしょうか?
ちょっと浅薄な定義に見えますが、なかなか奥深い内容がありそうです。
つまり、常に評価判断の基準が他人にとって有益であるか否かということが重要のようです。
そこには自我へのこだわりがない。
僕もこの年になり、人間が生きる上での苦しみは自分自身の自我がもたらしていることに気づくことが出来ました。
自分・自我の思うようにならないことが、苦しみの原因になるわけです。
そんな人間なのに、自分の損得でなく常に他人への思いやりで物事を判断することができたら。
さらに、他人が幸福になることが心からうれしいと思えることができたら。
う~む。
「無理無理」って僕の心の声が叫んでます。
今のところはね。
さて、今後どうなるか?
次は「徳」ってものを理解したい。
ネット上でいろいろ調べてみると、徳は結局、自分に固執せず他人への思いやりを判断基準として自分の行動を律すること、というようなニュアンスでしょうか?
ちょっと浅薄な定義に見えますが、なかなか奥深い内容がありそうです。
つまり、常に評価判断の基準が他人にとって有益であるか否かということが重要のようです。
そこには自我へのこだわりがない。
僕もこの年になり、人間が生きる上での苦しみは自分自身の自我がもたらしていることに気づくことが出来ました。
自分・自我の思うようにならないことが、苦しみの原因になるわけです。
そんな人間なのに、自分の損得でなく常に他人への思いやりで物事を判断することができたら。
さらに、他人が幸福になることが心からうれしいと思えることができたら。
う~む。
「無理無理」って僕の心の声が叫んでます。
今のところはね。
さて、今後どうなるか?