書く仕事

ご訪問ありがとう!!ミステリー小説の感想を中心に,読書,日々の雑感,映画の感想等を書き散らかしています.

南阿蘇ドライブと月回り公園

2006年04月30日 23時01分46秒 | 日記
阿蘇は毎年GWになると観光客でごった返します.今年は5月1日,2日が平日ですので,3日~7日が混雑するだろうと言われています.
今日はまだ大丈夫だと思い,家族で阿蘇にドライブに行ってきました.阿蘇へのメインルートである国道57号線はだいぶ混雑しているようでしたが,私は裏ルートである俵山トンネルルートを使ったので,まあ快適なドライブを楽しむことができました.
私も熊本5年目に入り,だいぶ観光地情報に詳しくなってきましたので,というのはウソで,ホントはかみさんの友人の先生から入手した情報です.まあ,とにかく,南阿蘇の高森の白川水源の近く,「月回り公園」というところを勧められて,そこに行ってきました.「つきまわり」公園と呼びます.
あとで知りましたが,熊本名勝100景のベスト1だそうです.googleで検索しても13件しか出てこないので,本当に穴場といってよいと思います.ちなみに「大観峰」だと8万件,「黒川温泉」に至っては39万件もヒットしますから,その差は歴然ですね.
この,月回り公園,セールスポイントはなんといっても阿蘇5山,特に写真の真ん中にある「根子岳」を望む眺望ですね.根子岳は八ヶ岳を思わせる外形と神秘的な伝説があり,私も大好きな山ですが,これをこんなに間近に美しく眺められる場所は他にないとのことです.写真だと,こじんまりした感じの山に見えますが,実際はかなり迫力があります.どうやってあんな山の形ができたのか,神秘的ですらあります.
公園は小学校の運動場が5つくらい入りそうな大きな芝生の運動公園と,ファミリー向けにゴーカート,そして阿蘇ならではの露天風呂温泉が併設されています.本当は露天風呂からの根子岳の眺望を目当てに来たんですが,お風呂は混んでいて今回はあきらめました.露天風呂は小さいので平日でないとゆっくり入れないようです.ほとんど地元の人だと思いますけど.
運動公園の芝生でねっころがっていると本当に気持ちが落ち着く気がします.これは阿蘇地方の自然全般に言えることなんですけど,この地の自然は常に人間の営みとの係わり合いで進化してきているんです.人間対自然の対立や征服ではなくて,人間も自然もお互いに歩み寄っている気がするんですよ.
大観峰からの眺めを見ていると本当にそう思います.阿蘇の野焼きは有名ですが,これは人間の勝手な振る舞いというより,野焼きによって自然の方も生態系のバランスを保っているふしがある.搾取・被搾取の関係ではないんですね.放牧もしかり,野焼きによる牧草,それを餌としての牛や馬の放牧,牛馬の糞と植物生態系,これらが微妙なバランスの上に毎年少しずつ変化しながらも阿蘇の歴史を形作ってきているのですね.
阿蘇の芝生にねっころがって空を見ていると,北アルプスの険しい峰峰とか北海道の大自然の中とは全く違う感覚がするんです.阿蘇は宮崎や大分と同様,天孫降臨の伝説がありますが,それらと関係あるのかもしれません.
阿蘇そして熊本5年目のcoollifeですが,ますます,この地への興味が湧いてくる今日この頃です.

恩田陸氏著「三月は深き紅の淵を」

2006年04月26日 21時06分51秒 | 読書
タイトルからして謎めいてます.でも単なる謎ではなくて,同時にすごく魅力的.
恩田さんってコピーライターの才能もあるんじゃないかな.
作者も出版社もわからない謎の小説『三月は深き紅の淵を』をめぐる4つのストーリーです.
「待っている人々」「出雲夜想曲」「虹と雲と鳥と」「回転木馬」から構成されていますが,各々がいろいろな形で,謎の小説『三月は深き紅の淵を』とかかわりを持ち,しかも独自の小説世界を展開します.
また,それらのかかわり方に統一的なものはなく,矛盾する内容も含まれています.
たとえば『三月は深き紅の淵を』が,存在していない小説であるように書かれていたり,実在のもののように書かれていたり,今まさに書かれようとしていたり...しかし,そのような論理的な矛盾なんて,いったいそれがどうしたの?って思いたくなるような魅力満載の小説でした.
説明の都合上,この本そのものを「三月は深き紅の淵を」とし,本の中に出てくる謎の小説を『三月は深き紅の淵を』としましょう.カッコの形で区別してます.
「待っている人々」では,登場人物によって,『三月は深き紅の淵を』のあらすじがかなり詳しく語られ,その魅力が,これでもかというくらい言葉を尽くして語られます.
この辺,恩田さん本当にうまいです.私も絶対に読みたいっ!!と思いましたもの.ところが.....,おっといけません.これ以上語るとネタばれになります.本当に紹介は難しい.
「出雲夜想曲」では,幻の小説『三月は深き紅の淵を』を捜し求める2人の女性編集者が,わずかな手がかりをもとに夜行列車に乗り,出雲まで旅をします.この話も意外な結末が待っています.
「虹と雲と鳥と」では,2人の女子高生が,高台にある公園のこわれた手すりのところから落下し,2人とも死亡します.事故か?,無理心中か?,他殺か?
2人の女子高生の友人や関係者たちが事件の謎を求めて動き出します.しかし,2人の死亡した女子高生にはある秘密の関係がありました.その秘密の関係とは?『三月は深き紅の淵を』とはどう繋がるのか?...それは読んでのお楽しみ.
「回転木馬」は,これから『三月は深き紅の淵を』を書こうとする作者(早い話が恩田さん自身なのでしょうね)が物語を書き始めるまでの産みの苦しみを縦糸に,裕福ではありながら家族に見捨てられた少年少女達ばかりが集まる奇妙な学園物語を横糸に,不思議な雰囲気を引きずりながら物語が進みます.
そして最後は恩田さんの決意表明のような形でちょっと唐突に物語は終わります.
普通,読後感想としてはどの物語がよかったとか,どれはつまらなかったとか書くんですが,この本の場合,個別の物語(もちろんどれも面白かったですが)の感想を言っても意味がないという気がします.
この本の魅力は,「三月は深き紅の淵を」を序曲として,これから始まる壮大な恩田叙事詩に対する期待を強烈に掻き立てられる点にあります.
話は変わりますが,クラシック音楽の世界には『序曲』というジャンルがあって,モーツアルトの「フィガロの結婚」序曲とかロッシーニの「セビリアの理髪師」序曲とかいう曲がコンサートのプログラムの最初に単独で演奏されます.
単独という意味は,序曲のあとにはその序曲と全然関係ない協奏曲とか交響曲とかが演奏されるわけです.考えてみれば,フィガロにしてもセビリアの理髪師にしても,本来はオペラですから,歌の部分を省略して,序曲だけが単独で演奏されるってのも妙な話ですね.小説で言えば,プロローグだけを読んで本を閉じるようなものだし,落語で言えば「まくら」だけ聞いて家に帰っちゃうようなものです.
しかし,クラシックではそれが当たり前に行われている.それは,なぜかというと,序曲(普通10分程度)には,4時間以上もあるような壮大なオペラのエッセンスがぎゅっと詰まっていると同時に,オペラで出てくるいろんなモチーフが,思わせぶりにチョコッ,チョコッと出てくるんですよ.
これがいいんだなあ.
あるときはワクワクするような,あるときは不吉な出来事の前兆がチラッと出ては消え,チラッと出ては消える.「予感」とか「予兆」というんでしょうかね?
そうなんです,序曲と同じような魅力を「三月は深き紅の淵を」に感じるんです.
恩田さんって人間の想像力を刺激するのが天才的に上手ですよ.
この後に,なにかとてつもないものが控えているという予感と不安.
そんな雰囲気や気分を人工的に作り出してしまう,やっぱり恩田マジックです.
「回転木馬」で語られた学園ものは後日「麦の海に沈む果実」として出版されていますので,次はこれを読んでみようと思います.

菊の花?

2006年04月23日 00時10分24秒 | 日記
写真は我が家の家庭菜園でできた副産物です.
実は「春菊」の花です.春菊の葉の方は去年の12月頃収穫でき,鍋などでおいしくいただきました.
収穫し残ったもののうち,大部分は冬の霜でやられ枯れてしまいしましたが,何本かは生き残って写真のような花を咲かせてくれました.
いわゆる普通の菊の花のような迫力はありませんが,野に咲く可憐な花という感じですね.しばらくは我が家の食卓を飾ってくれています.
逆に見れば,人間は,本来このような花を咲かせるはずの春菊を,花が咲く前に刈り取って葉っぱを食べているわけですね.だからどうだというわけではありませんが,やっぱりそういう命をいただいているんだということは忘れたくないです.

ブログトランキライザー

2006年04月22日 09時04分03秒 | 日記
毎日いろんなことがあって,中には頭にくることもあります.
努力して解決できることはいいけど,どうしようもないことって結構ありますよね.そんなとき,ブログを始めるまでは,怒りが繰り返し頭の中で湧き出てきて気持ちの収まりがつかなかったり,頭が痛くなったり心身症みたいな感じになることもありました.
ところが,ブログを始めてからは,自分の気持ちを以前より客観的に見ることができるようになったような気がします.結果的に,どうしようもない怒りとか,イライラがずっと軽くなっていることに驚いています.私は心理学は専門外なのでわかりませんが,文章を書くってことは,「××セラピー」みたいな効果があるんじゃないでしょうか?
昔はいやなことがあると,お酒を飲んだり,映画を見たり,本を読んだりして忘れようとしてました.お酒も映画も本も,一時的にはいやなことを忘れさせてくれるんですが,でも仕事に戻るとまたいやなことを思い出してしまうんですね.ところが,ブログを始めてからは,いやなこと自体が,どうでもよいことに思えてしまい,なんでこんなことに怒っていたのかな?みたいな心境になれるんですね.
今や,ブログは私にとって,最高の精神安定剤となっています.副作用もないし.

ゆめかうつつか

2006年04月21日 23時04分31秒 | 日記
今にして思うと,昔はボオーっと何かを妄想することが多かったです.
具体的に何かについてというのではなくて,つまらないちょっとしたことをです.例えば,英語の勉強中に,「if」を使った文例を見ると妄想が始まるんです.もし,自分が大金持ちで1億円くらいもっていたら,何を買ってどんな家に住んでとか,もっとハンサムで背が高かったら,バレンタインデーにはいっぱいチョコがもらえてとか,...
そして,はっと気が付くと15分くらい過ぎているんです.
けっこう,働き始めてからもこの妄想癖続いてましたよぉ.
でも,30歳過ぎくらいからな?,っていうか結婚したあたりからかなあ.妄想癖はピタリと止まってしまいました.そんな気にならないんですよね.
仕事を早く片付けて家に帰りたかったしね.(う~ん,そんな時もあったなあ.新婚時代が懐かしいです)
今なんて,仕事引き伸ばしてますもんね.しい~っ,これは内緒...
いずれにしても現実的な生活に追いまくられて妄想する時間がないというのが正直なところでしょうか.
面白いのは,妄想癖があった時は,こんな妄想なんかしないで,ばりばり仕事をこなせる人間になりたいと思っていました.妄想をする自分が低い存在であるような気がしていやだったからです.
ところが,今では,妄想をする「余裕」があった昔はよかったなあと思ってしまいます.人間て所詮ないものねだりしかできないんでしょうかね?
って,こんなこと書いてる今日のブログも妄想???

室温の季節変化の不思議

2006年04月19日 22時52分40秒 | 日記
今日は久しぶりに良い天気に恵まれました.
大学の私の部屋は6階の南向きの部屋で,日当たりがとても
よいのです.近くに高いビルがないので,見晴らしもよく
大変気に入っています.これなら,多少給料が安くても
いいかな?と思ったりします.
さて,昼休みにお弁当を食べているとき,とても良い天気
なのに,思いの外,室内はひんやりしていることに気付き
ました.1ヶ月前,3月の今頃もこんな良い天気の日が
何日かありましたが,その時は室内は30度近くまで上がり,
窓を全開にした記憶があります.
ところが,それから1ヶ月近くたった今日は同じような好天
にも拘らず,窓を閉めたままでも室温は20度ちょっと.
実に快適です.
う~ん,変だなあ.
逆ならわかるけど,なんで3月が30度で,4月で20度なんだ?
理科系人間の習性で,こういうことが気になると仕事が
手に付かなくなります.
で,つらつら考えてみるに,先月はまだ太陽が低くて,南側
の部屋の奥のほうまで日が入り込んでいました.南中時で,
窓から2m近く日が差しこんでいました.しかし,4月の今は,
太陽が高くなり,日が窓際しか入り込まない.1m以下です.
窓が大きくていわゆる温室効果が生じやすい部屋ですので
外気の温度よりも,日差しがどこまで入るかで室温が決まって
しまうような部屋だったわけです.
なぜ,今頃こんなことに気が付いたかというと,去年までは
3階の北側の部屋にいたんです.夏休みに組織整備に伴って
部屋の引越しをしたのですが,南側の部屋としては初めての
春だったというわけです.
正解かどうかは確信はありませんが,自分なりの答えを見つけ
られてよかったです.おかげで,仕事に戻れました.

恩田陸氏著「不安な童話」

2006年04月16日 01時00分49秒 | 読書
再読なんですけどね.面白い.面白すぎる.
主人公は大学教授浦田泰山の秘書の古橋万由子.
万由子は小さい頃から他人の隠れた記憶を見てしまう超能力を持っています.ある日,浦田教授のお供で,無名の女流画家の展覧会に出かけますが,その会場で,恐怖の既視感に襲われ,失神してしまいます.
その女流画家は,既に25年前に非業の氏を遂げており,その息子から「あなたは殺された母の生まれ変わりだ.母の死の原因解明に協力してほしい」と頼まれます.万由子には超能力者ゆえのつらい体験があり,引き受けることには大きな抵抗がありましたが,やむを得ない展開で引き受けてしまう.
そして...ここから先は読んでのお楽しみ.一気に読んじゃいますよ.
読み始めた当初は,筒井康孝氏の「家族八景」「七瀬ふたたび」等の七瀬シリーズを連想したのですが,全然違いました.
こんな感想をいうと恩田ファンの方からは「待った」をかけられそうですが,私の印象としては,すばらしい「本格推理小説」として読めるんですよ.もちろん,万由子の超能力は物語の軸ですが,それは,例えば,ど近眼の探偵が床に落ちている一本の髪の毛を見つけちゃう能力とか,コンピュータの得意な探偵が犯人のコンピュータをハッキングする能力とかと同じ様なものと考えれば,この小説は第一級の本格推理小説と言えるんじゃないかなと思うわけです.
それぐらい,物語の構成,魅力的な登場人物達,伏線の緻密な張り方,そして何よりも意外な真犯人とその...いや,これ以上はご法度ご法度.どうぞお楽しみに.
さて,この本の第3章のタイトルは「すべての道が,海につながっているように見える」なんですよ.このせりふ,先日感想を書いた「六番目の小夜子」にも出てきましたね.「海に続く道」というモチーフは恩田さんの中で重要な位置を占めているようです.あと,超能力がらみで「生まれ変わり」や「輪廻」に関する諸説が登場しますが,その説明で非常に面白い一説が述べられていたので,ちょっと引用します.万由子のせりふです.
「生まれ変わりっていったって,オリジナルなAという人格が記憶を変えて永遠に生き続けるわけなの?それとも魂という,フロッピーディスクみたいに真っ白なフォーマットがあって,毎回違う情報を入力するの?それによって全然違ってくるよね.(文庫版p.164)」
つまり,生まれ変わりというのは,人格そのものが,死ぬたびに別の人に宿っていくのか,それとも記憶や性格を入れる器のようなものが移っていくのかっていう疑問です.これはひょっとしたらものすごい理論かもしれないなあと感動しました.というのは,一般的には(これって私だけ?)信じる信じないは別にして,生まれ変わりって前者のことだと思っていませんでしたか?
でも,確かに後者の考え方,人格そのものではなくて,記憶とか性格を入れる器のようなものがあって,その器が輪廻するという考え方もありうるわけですね.こう考えると,生まれ変わる前のことをきれいに忘れていることとか,前の人生とは性格が違っているとかの説明もつきますよね.たまに,フロッピーの消し忘れがあると,生前のことを覚えていたりするという説明もつきますよ.ねっ?
あれっと思ったのは,前半に期待を持たせて登場した幼なじみの今泉俊太郎が,なぜか後半は出てこないことくらいかな.
とにかく,お勧めの一冊です.

ことばのすれちがい

2006年04月13日 21時25分06秒 | 日記
昨日の私のオフィスでのできごと.
大学では週に1回,2~3名のおばさまが各教官のオフィスの掃除に来てくれます.
おばさまといってもわたしよりちょっと上の年代ですので,おねえさまというべきかなあ.まあいいや.昨日はその週1回の掃除の日だっだんです.
たまたま,一昨日,書類の整理をやって,ゴミ箱がいっぱいになった上,コーヒーの豆のかすとかで,ゴミ箱がかなり,見苦しい状態だったんですよ.
で,ゴミ箱が汚くてごめんなさいというつもりで「ゴミ箱がいっぱいになっちゃて...」といいましたら,おねえさんいわく,「ごめんなさいね.もっと早く取りに来ればよかったんですけど...」と,逆に謝られてしまいました.
「いえ,そういう意味ではなくて,こっちこそゴミ箱が汚くてすみません」と,へたなフォローをして何とかコミュニケーションは修復できました.このケースでは,お互いが気を使い合うという関係ですので,特に問題は生じなかったのだと思いますが,もっと,険悪な関係とか逆に親しい関係だと,思わぬ展開が想像できますね.いずれにしても,言葉が,本来の意図とは違う意味に解釈されているわけです.
自分(私)の責任でゴミ箱があふれて汚れちゃったのに,相手は,ゴミ箱があふれたのは,掃除に来るのが遅いせいだと言われたと解釈したということですね.このような状況で,関係が悪化しないためには,相手に気を使う意思があるか?とか,相手に対する思いやりがあるか?とか,あるいはお互いの信頼関係が築けているかにかかっているわけですね.会社にしても,家庭にしても,普段からのコミュニケーションがいかに大事かということなのでしょう.
このことで思ったのは,相手が言った一言に私がカチンと来た場合でも(毎日あります!!),ひょっとしたら相手は私を非難するつもりはなくて,逆に謝ろうとして言ったのかもしれないなあ,と想像していまいました.もしそうだとすると,その後の私の態度はきわめて失礼なものとなります.思わず冷や汗がでてしまいます.明日からはもっと,慎重に相手の言葉の意味を吟味しようと反省した出来事でした.

サラタマ大ブーム

2006年04月12日 22時32分47秒 | 日記
すごい人気ですね.サラタマ.
ご存知サラダ玉ねぎのことですが,一般の玉ねぎより
早く生育するので,早稲のように早めに市場に出るそう
です.先日ご紹介した我が家の家庭菜園にも,サラタマ
がずらりと並びました.作ったのはかみさんと娘ですけどね.
食べてみると本当にからくなくて,さくさくと,生で
サラダ感覚で食べることができます.
まさにサラダ玉ねぎ.
ポトフやカレーに入れてもおいしいそうです.
この場合,丸のまま入れるのがコツだとか.今度は
カレーに入れようよとかみさんに提案しています.
玉ねぎと同じように,血液さらさら効果があり,
コレステロールや動脈硬化を気にする人には嬉しい
食材ですが,そんなことを気にしない人でも,結構
この味と食感にハマる人が多いようです.私もその一人.
私のお気に入りは,サラタマ,ミニトマト,スモーク
サーモンのスライスに青じそノンオイルドレッシングを
かけただけの簡単ヘルシーサラダです.
サーモンが入っているのであまり食べ過ぎるとヘルシー
の点が怪しくなりますが...

いつもの完敗

2006年04月11日 22時52分50秒 | 日記
いやなにね,かみさんと,ちょっと口論になったんですよ.
原因ってのが,大したことじゃないんですが.最近,かみさん
がやたら,「疲れた疲れた」って言うわけです.
体の調子が悪いというわけではなさそうなので,原因を聞いて
みると,進学でいなくなった長男の部屋を整理するのに疲れた
とのこと.
私としては,非常勤ながら働いているかみさんの負担を軽く
したいと思うし,私自身が,仕事人間じゃなく,家庭に
関わりたいという想いからも,家事を引き受けてきました.
だから,かみさんの「疲れた,疲れた」が気に障るわけです.
オレの普段の努力はなんなの?っていう心境です.
共働きの男性の読者はお判りいただけるのでは?
で,長男の部屋の整理で疲れたという話が返って来たわけです.
私が,「別に無理して春休みに整理をしなくても,どうせ
彼はいないんだから,時間かけてのんびりやればいいじゃ
ない」と言ったわけです.理にかなっているでしょ?
この攻撃に対して,かみさんからのこういう反論を
予想していました.
①「今やっとかないと,すぐ夏休みになってしまうでしょ!」
あるいは,
②「お父さんがもっと手伝ってくれたらこんなに疲れないのに!」
どちらが返ってきても,次のような一手を用意していました
「昼間は僕は働きに出ているから,君が家で何をしてる
かわからないだろう.言ってくれれば手伝うのに.何も
言わずに,疲れた疲れたと愚痴をこぼされるこっちの
身にもなってくれ!」.
私としては,私がやれることがあれば,手伝って,その
結果かみさんの「疲れた」がなくなればハッピーなわけです
この状況で,かみさんからの反論は意外でした.
まさに虚をつかれました.

「私が疲れていることを責めないでよ!!」

私は,思わず,グッと息を飲みました.
反論ができません.完敗です.
つまり,私の家事の努力にも関わらず,かみさんが疲れた
ということ自体を責めようとしているこちらの意図を,
完全に見抜かれているわけ.
本当に思いやりがあれば,疲れの原因となる家事の中身を
詳しく問いかけるはずですが,わたしは疲れたという発言
自体を問題にしようとしていたわけです.
一応,夫の威厳を保たないといけないと思って,
「責めているわけじゃないよ.病気にでもかかっているん
じゃないかと心配しただけ」という意味のことをしどろもどろ
で言うのがやっとでした.
口論はそれでおしまい.
この御仁,人と言い合いになると,人のずるさを一撃で倒す,
必殺技の一言を繰り出します.
1年に1回くらいこのような技でやられます.
何回やられても,懲りずに余計な攻撃を仕掛けてしまう,
わが身の愚かさにため息をつく今日この頃です.はあ~.

家庭菜園

2006年04月09日 18時44分49秒 | 日記
かみさんと娘が家庭菜園をやっています.
我が家の近くの市営の農園の一区画15平方メートルくらいを
借りてやっています.
ただ,私自身は正直あまり菜園には興味なかったので,時々
水汲みを手伝うくらいですが...
もう2年以上やっていますが,最初は枯れさせたり,虫にやられ
たりだいぶ苦労していましたが,この道も努力するとだんだん
上手になってくるらしく,去年後半くらいからだいぶ収穫物が
立派になってきました.
写真は最近なった玉葱ですが,なかなか立派で味も良かったです.
ほかにもミニトマトやピーマンなどずいぶん賞味させてもらって
います.
今まで,農作物はプロが作るものにかなうわけないと思って
いましたが,かみさんの熱意と進歩を見ていると,少し気が
変わってきました.
なにより,無農薬であるという安心感が大きいし,多少
かたちがいびつでも,家族が作ったということで,何か情が
移るというか,食べ物に対して慈しみを感じつつ,命をいただく
という感覚がわかってきました.
多分これからも,私は水汲みだけの手伝いしかできないと
思いますが,本来の意味で「いただきます」という気持ちで
食べさせてもらうつもりです.

「中洲」と「ススキノ」

2006年04月08日 09時40分45秒 | 日記
先月末の北海道旅行の最後は札幌に一泊しましたが,
夕食はホテルのフロント氏の推薦で近くのジンギス
カンレストランへ行きました.
場所は,ススキノのど真ん中,ロビンソンデパート
の真ん前にある,「羊羊亭(ようようてい)」という,
ジンギスカン専門のレストランです.
店の作りは洋風でおしゃれです.
味は正直あまり期待していなかったんですが,これ
がとってもおいしくて感動ものなんですよ.
羊の肉は独特の臭いがあるという先入観がありまし
たが,まったく臭みがなく,ジューシーで,やわら
かで,生ビールに最高に合います.
家族にも大好評で「また来ようね」という即時合意もなされました.
また,札幌に来る楽しみが増えました.
ところで,ススキノといえば北海道,いや北日本
最大の歓楽街ですね.
歓楽街といえば,九州には福岡の中洲があります.
中洲は私のテリトリーですが(どういう意味じゃ),
同じ歓楽街でも中洲とススキノでは少し街の構造
が違うようです.
中洲の場合,お酒を楽しむ地域と,おねえさんとの
コミュニケーションを楽しむ地域がかなり明確に分
かれていて,後者の方に足を踏み入れるにはそれな
りの覚悟と予算措置とが必要です.
しかし,ススキノの場合,両者が渾然一体となって
いて,前者のお店のとなりに後者のお店があったりするようです.
残念ながら,かみさんと娘が一緒だったので,あまり
詳細なリサーチはできませんでしたが,いつか長男
と二人で研究してみたいと思っています.
そうそう,これとは直接は関係ないんですが,面白
いブログを見つけました.
http://d.hatena.ne.jp/nodokaynihs/20060405/1144229768
「nodokaynihs」さんのブログですが,北海道と九州をおもしろく
比較していますので,ご紹介します.

恩田陸氏著「六番目の小夜子」(新潮文庫)

2006年04月02日 11時40分07秒 | 読書
「六番目の小夜子」は,1年半ほど前,恩田陸さんにハマる
きっかけとなった小説です.この後,「球形の季節」
「不安な童話」「光の帝国」「三月は深き紅の淵を」と,
立て続けに読んでしまいました.
読まずにいられなかったって感じですね.
5,6年前にNHKの教育テレビで連続ドラマとして放映
されましたので,ご存知の方も多いと思います.
ただ,私はドラマの方は私は見ていないんですけどね.
結末が違うらしいので見てみたい気はしますが.
今にして思うに,恩田陸さんの独特の雰囲気というか
恩田ワールドを最もよく表しているのが,このデビュー作
「六番目の小夜子」のような気がしています.
私が恩田さんをすごいと思うのは,恩田さんって場の
雰囲気をガラッと変える天才だと思うんですよ.
例えば,のどかな春の風景の中で,相思相愛の高校生
カップルが楽しそうに語り合っている場面があるとします.
戸外には桜が咲き,鳥達のさえずりが二人の将来を
祝福しているようなね.
ところが,突然,邪悪な何かがその場に現れて,一気に
恐怖の過去の出来事を思い出させ,悲鳴とうめき声に
満ちた場面に転換してしまうみたいな.
だいたい,小説にしても映画にしてもホラーは最初から
ホラーの雰囲気ですよね.冬のソナタみたいな純愛ものの
中でいきなりリングの貞子みたいなのが出てくるって言う
のは想像できないでしょう.
ところが,恩田さんはそれに近いことを,極めて自然に,
しかもずっと効果的に描写することができる小説家なん
だなという気がします.
もうひとつ,恩田さんを好きな理由がありまして,
それはストーリーの完結性を「わざと」あいまいにする
傾向があるところです.
例えば事件の本当の原因は何なの?と考えるといろんな
可能性がある.
いわゆる伏線はもちろん張られているわけですが,
それが普通は1つの結論を示唆するように複数の伏線が
張られるわけですね.ところが,恩田さんの小説では
伏線がいろんな方向を向いているんですよ.
結果的に事件の真の原因は読者の判断にゆだねられる
ことになる.このゆだね方が巧みなんですが,
いろんな方向を指している伏線のもう一つ上位に真の
原因というか,作者の主張が込められているんです.
多分,その上位の主張も読者によってまちまちにならざる
を得ないですが,すくなくとも私にはストンと気持ちに
納まってくれる1本の主張なんです.
「あーそういうことだったのね」っていう快感というか
満足感を感じることができる数少ない小説家ですね.
これらのテクニックが活きるのも,一つ一つの場面の
雰囲気描写が巧みであればこそです.
「六番目の小夜子」にしても,ホラー的な部分だけでなく,
青春小説としての描写も本当に素敵です.
親友との無我夢中の会話,好きな人に寄せる想い,
勉強面での挫折や充実感,ああ,そうだったなあ,よかったなあ...
と,思わせてくれるだけでも読む価値がありますが,それに
一転してホラーがからんでくるわけです.
他の作家のホラーがアナログの恐怖だとすると,恩田陸
さんのはデジタルの恐怖というんでしょうかね.
一般のホラー小説ではストーリー自体が怖いわけで,その
怖さは読む人の感受性によって大きかったり小さかったりする.
怖さの大きさがアナログ的なんですよ.だけと,恩田さんの
小説ではストーリー自体は,そんな怖い話ではないんですが,
もって行き方が超こわいんです.
つまり怖いと感じる感受性自体を刺激されるように書いて
あるんです.
つまり青春小説の段階で,(深層心理的に?),すでに
恩田マジックによって,読者は大変な怖がり屋さんに
させられてしまっているんです.その状態で怖い話が
出てくるので,「ヒエーッ」となってしまうんですね.
デジタルという理由は,その恐怖を感じるしきい値を
事前に変えられちゃっている点にあるんです.
ちょっと理系な表現ですね.
いけないいけない,書いているうちに怖くなってしまい
ました.実は,キロロのホテルで,家族が寝静まってから
も夢中になって読んでいたんですが,ふと気がつくと
午前3時を過ぎていました.同じ部屋に家族が寝ている
のにも関わらず,というかむしろぐっすり寝ているからこそ,
自分だけが起きてこの恐怖を感じていることが不気味で
なかなか寝付かれなかったです.
読むのは2回目なんだけどなあ.やっぱり怖いものはコワいね.