風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

生誕105年 太宰治展 ―語りかける言葉― @神奈川近代文学館

2014-05-26 01:42:24 | 美術展、文学展etc




太宰が試みてきたのは客観的に「描くこと」よりも、常に具体的に聞き手を想定して「語ること」なのであった。たとえば初期の「道化の華」では、小説の作者である「僕」が作中に顔を出し、読者である「君」にどのような小説を書きたいのかを直接伝えている。中期のパロディや翻案小説も、原典をどのように改変していくかという作者の舞台裏が、そのまま読者に伝わるような形が取られていた。こうしたサービス精神―心づくし―にこそ、太宰の文学の最大の魅力があるのではないだろうか。

(安藤 宏 @図録より)

大変気持ちのいい企画展でした。
太宰をいたずらに祀り上げるわけでもなく、その退廃性を必要以上に現代と結びつけることもなく、ただ彼の作品の温かな面を温かな視点で紹介した、その作品を素直に愛する人たちによる、知的な企画展。
会場には10代の若者から80代のお爺さんまで、いっぱいで。
なんか、太宰に見せてあげたいなあ、と思った。
芥川賞など取れなくても、亡くなって何十年もたっても、あなたの作品はこんなに多くの人達に愛されているよ、と。

開館30周年記念とのことでしたが、これほど充実した資料を見られるとは思っておらず、驚きました。2時間以上見ても、全然足りなかった。
愛用のマント(これは昔斜陽館で見ました)、高校時代のノート(落書きだらけ、笑)、七里ヶ浜心中の遺書、美知子夫人との結婚誓約書、織田作の通夜の芳名録(津島修治ではなく太宰治の名でした。他に林芙美子の名なども)、太宰が描いた絵(ゴッホ的)、スナップ写真、沢山の草稿や原稿、そして数えきれない書簡など、各地の文学館や個人収蔵の資料約350点。
図録の出品者・協力者の欄には、井伏節代さん(井伏鱒二のご夫人。ご健在なんですね!)、太田治子さん、織田禎子さん(織田作之助の養女の方)、坂口綱雄さん(坂口安吾のご長男)などのお名前があり、こういった関係者やご親族の方々がこれらの物を大切に保管されていたからこそ実現した今回の企画展なのだなぁと思いました。

なかでも興味深かったのが、作品の草稿。書きなぐりのメモのようなものも含め、何度も何度も書き直されていて、感情のままに書かれたように見える小説も、どれほど考え抜いて仕上げられていたかということがわかります。
『人間失格』で主人公が道化を演じる理由が、「弱くてゆがめられた愛情」→「思ひやり」→「必死の奉仕」(最終版)と変化していたり、ラストの「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」の部分も、「神様」→「天使」→「神様」と戻っていたり。
これまでこのラストにそれほど心動かされることはなかったのだけれど、太宰展で太宰の物に囲まれて、彼の自筆でこのラストを読むと、なんだか涙が出そうになりました。これは彼自身が言って欲しかった言葉なのだろうな、と。こういう弱くて不器用で優しい人たちがありのままで幸せに生きられる世界を、彼は望んでいたのだろうな、と。そんな世界はおそらく、この人間の世界にはないけれど。これからも、あることはないだろうけれど。そしてそのことも、太宰は理解していたんですね。

文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)といふルビを振る事、大賛成。私は優といふ字を考へます。これは優(すぐ)れるといふ字で、優良可なんていふし、優勝なんていふけど、でも、もう一つ読み方があるでせう?優(やさ)しいとも読みます。さうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら、さうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。私は含羞で、われとわが身を食つてゐます。酒でも飲まなけや、ものも言へません。そんなところに「文化」の本質があると私は思ひます。「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、敗けるものです。それでよいと思ひます。私は自身を「滅亡の民」だと思つてゐます。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学ぢやないのかしらん。

(昭和21年4月30日 河盛好蔵宛て書簡) ※今回この手紙の展示はありません

彼が自分の作品を自信をもって見ていたのだなという点では、金木疎開中に後輩に頼まれて書いたという書に、思わず笑みがこぼれました。
「死なうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。おとしだまとしてである。着物の布地は麻であった。これは夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。 太宰治」
『葉』からの一節です。でもいくら頼まれたとはいえ、こんな書って・・・^^;。本当にサービス精神旺盛な人だったのだなぁ。

今回の展示でもうひとつ印象に残ったのは、井伏鱒二は本当に根気よく太宰に付き合っていたのだなぁということ。
お酒を飲んで「死にたい」と友人に零している太宰に宛てた、節酒を促す手紙。息子を心配するお父さんのような文章だった。太宰の性格もよく理解していて。
こういう人が周りにいても、やっぱり駄目だったのかなぁ。生きていくことは、できなかったのかなぁ。美知子さんだって、いい奥さんじゃないの。。。

太宰は近松門左衛門などの浄瑠璃も好きだったそうで、娘さんの「里子」という名も、義経千本桜の「すし屋」からつけたものとのこと。「お月さんも寝やしゃんした~」のあのお里ちゃんですね。でもなぜヒロインの静でなく、このセレクト、笑?

 思春期のころは、この作家は私のことを知っていると本気で思った。三十代で読み返したときは、「近い」と読み手に錯覚させることがこの作家のテクニックなのだと気づいた。太宰治よりずっと年上になってしまった今、そのテクニックがどうすれば得られるのか、深い謎である。
 太宰疎開の家で、ひとり旅の青年とともに説明を受けた。年齢を訊くと、二十四歳の大学院生だという。太宰治を巡る旅をしているのだそうだ。それを聞いて私は確信した。太宰治の言葉は古びない。この先ずっと、読むものの近くにすっと入ってくる。書かれた登場人物を、これは私だ、と思わせ、こんな弱いやつは嫌いだ、と思わせ、どうしようもなく私たちの心のなかに住み着く。弱くて卑怯で、自意識過剰で甘ったれで飲んだくれの、こんな私でも、ともかく生きてさえいればいいかと、思わせ続けてくれる。

(角田光代 @図録より)



元町中華街駅の上にあるアメリカ山公園。薔薇が満開でした。


神奈川近代文学館は、港の見える丘公園の中にあります。


文学館正面


文学館カフェの和風サンドイッチ。
オリーブとチーズと韓国海苔。意外だけどイケる組合せ。自分で作ってみよう~。


おなじく港の見える丘公園内にある、旧英国総領事公邸。


図録。展示資料の全てが載っていないのは残念だけど、これは買い!デザインも素敵^^

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