風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル @サントリーホール(2月16日)

2020-02-17 23:19:54 | クラシック音楽



「私はポゴレリッチが好きなのだろうか・・・?」と自問しながら、やっぱりあの唯一無二の音を聴きたくて今年もサントリーホールにせっせと足を運ぶ私
会場に入ると、もはや見慣れた光景となったラフな服装でポロンポロンと鍵盤と戯れているポゴさん。
弾いているのは“何かの曲のような何の曲でもないような音の断片”だった以前と違い、昨年と同様、はっきりと今夜のプログラムの曲でした。オンデイーヌ、スカルボ、舟歌、ベートーヴェン?、イギリス組曲、再びの舟歌と、今夜の演奏曲のオンパレードを弱音でポロポロと。あいかわらず綺麗な音。。。
そしていつものように10分前にスタッフさんに声をかけられ、のんびりご退場。何故か客席から起こる拍手

「当ホールは耐震構造となっております。非常の際は落ち着いて係員の指示に従ってください」のいつもの日本語アナウンスが流れ、「続いて英語の案内をポゴレリッチがいたします」と。へ・・・?そしてポゴレリッチのあの穏やか~な声でゆったりと同内容の案内があり、「公演は5分後に始まります」と。 ポゴさんってホント何気にサービス精神旺盛ですよね。補助席に梶本氏らしき人の姿があったので、彼のアイデアかな。楽しかった

【J.S.バッハ: イギリス組曲第3番 ト短調 BWV808】
ちょっと指がもつれ気味に聴こえたけれど、弾きにくい曲なのかな(難易度を知らない)。
数年前に聴いたあのハイドンと異なり、このバッハの演奏は嫌いじゃないです。イギリス組曲はバッハの中でもポゴレリッチに合っているように感じる。ガヴォットの右手のコロコロとした軽いポゴさんの音色、好きだなあ

【ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第11番 変ロ長調 op. 22】
バッハの後に拍手なしで続けられたベートーヴェン。
メヌエットとロンドが愛らしい。まさかポゴさんの演奏に「愛らしさ」を感じる日が来ようとは。
ロンドの強音も例の挑発的な強奏ではなく、たどたどしい”ポゴさんテンポ”もほぼ皆無(それでもいわゆるスタンダードな演奏とはもちろん違うけども)。数年前に聴いたベートーヴェンが嘘のようだ。
この時点で結構満足感はもらえていたのだけど、それでもポゴさんだけからしか見せてもらえないあの天国はまだ見えておらず。

(20分間の休憩)
再びポゴさんによる「20分間の休憩です。」の英語アナウンス
通路でおじ様達が「ポゴレリッチはなにか吹っ切れたのかねえ」と可笑しそうに話していた。

【ショパン: 舟歌 op. 60】
ポゴさんのこの曲はyoutubeで見つけられなかったので会場で初めて聴いたのですが。例によってショパンというより「ポゴレリッチのショパン」ではあるのだが。
なんかものすごかった。。。。。。。。。。
切ないわ愛に溢れてるわで、最後は彼岸が見えたよ。。。。。。。。。
この曲がこんな曲だとは知らなかった。
途中で踏めくりさんとタイミングが合わなかったのか敢えてなのか長い静寂が入って、それから静かな音色で再開して盛り上がっていくところ、「う、わぁ・・・・・」と呆然としてしまった。
P席で聴いていると、静かな音や伽藍のような音がピアノから生まれて客席の薄暗い空間に広がって隅々まで満たしていくのが目に見えるんですよ。もはや音じゃない何ものかが広がっていくのが目に見える。あの空間をひたすら見つめてしまっていました。
ポゴさんの音とサントリーホールの音響って相性がいいように思う。時々この世のものならざる光景が出現するもの。

【ショパン: 前奏曲 嬰ハ短調 op. 45】
舟歌から拍手なしで続けてop.45へ。
美しすぎる。。。。。。。。。。。。。。もうその言葉しか浮かばない。。。。。。。。。。。。
前曲に続き、目の前のピアノとホールの客席上の空間を身動きせずにひたすら見つめてしまった。
なんて音だろう。
なんて響きだろう。
なんて世界だろう。
こんなの聴いてしまったら来年のショパン尽くしに行かないわけにいかなくなるではないか。

【ラヴェル: 夜のガスパール】
ポゴレリッチは拍手を入れずに続けたそうに見えたけど、素晴らしかったショパンに客席から起こる拍手。
で、ラヴェル。
私、これまで聴いたポゴさんの演奏の中で一番感銘を受けたのが、前々回の2017年に聴いたラヴェルのラ・ヴァルスだったんです。なので今夜の一番のお目当てはこのラヴェルでした。
日曜夜19時開演は会社員には正直キツイが、『夜のガスパール』はやっぱり夜が合う。
そんなお目当てだったガスパール。
ものすごかった。。。。。。。。。。。。。。。。。
この曲はyoutubeで聴いていたからポゴさんが大体どんな感じのガスパールを弾くかは知っていたけど(予習で色んな演奏を聴いたけどポゴレリッチのが一番好きだった)、あの音を生でサントリーホールの空間で体験できる至福といったら。。。。。。。英語圏の人達がよく使うprivilegeってこういうことを言うのだなと。

「オンディーヌ」の左手のメロディー、ポゴレリッチの演奏って色んなピアニストの中で突出してオンディーヌの声に聴こえる。切なく愛を訴える声に聴こえて胸が苦しくなる。でもポゴレリッチは決してその中に溺れてはいないんですよね。ちゃんと一歩引いたところからそれを私達に聴かせているように感じる。オンディーヌの声であると同時にポゴレリッチの声であり、でもやはりそれはオンディーヌの声である。そんな風に聴こえるオンディーヌ。

そして「絞首台」。
殆ど暮れかかった夕闇の丘で、微かな風に揺れる吊された死体と、その吐息のように静かに静かに響く鐘の音。
でもそこには目を背けたくなるような、あるいは好奇心をかきたてるような悪趣味なグロテスクさはないのです。あるのは、そういうグロテスクで暗い光景の純粋な”美しさ”。そしてその空気。
それはリアルな風景というよりも、人間の心象風景であるような。深淵を覗き込む人間とそれを見つめるもう一人の人間の両方を同時に感じさせるような、そんな演奏に私には感じられました。それは演奏家がその世界に溺れてしまっているより遥かに直接的にこの音楽の芯の部分を感じさせられるような演奏で。
時間も空間も消えてしまったような、ちょっと言葉にならない感覚でした。
あの音色と世界をポゴレリッチ以外のピアニストで聴ける気が全くしない。

「スカルボ」。
ここでも前二曲と同様に妖精が飛び跳ねる光景をリアルに描いているというよりは、こういう幻を見てしまうその人の心の風景を冷静に描いているような。そんな演奏に私には聴こえました。
地獄の底から響いてくるようなあの音。ピアニストの眼差しはあくまで冷徹でありながら、不思議な優しさも微かに感じさせる、そんな演奏だった。
ベルトランがこの詩を書いたときの気持ちが、ラヴェルがこの曲を書いたときの気持ちが、きっとポゴレリッチにはわかるのだな、とそんな風に感じた。

このガスパールの演奏を聴いて、芸術家って”あちらの世界”とのぎりぎりの境界にいて私達にその世界を見せてくれる人達なのかもしれないな、と感じたのでした。でも決してあちら側には行かない、あるいは行っても必ずこちら側に戻ってくる、そういう人達なのではないかなと。そうでなければこんな作品を作れるわけがない、こんな演奏ができるわけがない、と感じるのでした。シューマンのような人でも同じ。たとえ最後にはあちら側へ行ってしまったとしても、音楽が生まれる場所はあちら側ではない。そんな風に思ったのでありました。以前『野田版 桜の森の満開の下』の耳男についてここに書いたことと同じ。
なので、今夜のポゴレリッチのこの曲の演奏に対してtwitterで多くの人達が言っているような「怖さ」や「不気味さ」や「ホラー」といった感覚は私は感じませんでした(不気味というなら2016年のショパンやシューマンの演奏の方が私にはよほど不気味だった)。病的な不健康さはそこにはない。それを冷静に見つめている視点がちゃんと存在しているから。ピアニストはあくまでこちら側(あるいは境界)にいるように私には感じられたから。あちら側に「引きずられそうになる」感覚はあっても、今日のポゴレリッチは最後にはちゃんとこちら側に私達を返してくれるであろうことが、彼も一緒に帰ってきてくれるであろうことがわかったから、安心して身を任せていられた。そしてそういう演奏に、私はとても惹かれたのでした。
次に彼のこの曲の演奏を聴けるのはいつだろう。調べると・・・前回は2010年?え・・・じゃあ10年後?もう少しサイクル短いとしても8年後とか・・・?なんか自分が生きてる気がしない。

ところでポゴさんってイギリスでは人気がなくてフランスでは人気があると聞いたことがある。シフは逆でイギリスでは人気があるけど、フランスでは人気がないらしい。日本ではどちらも人気があるけれど。
ポゴさんが2015年に15年ぶりにロンドンでリサイタルをしたときのあちらの新聞のレビューをいくつか読んだら本当にボロクソに書かれてて、the Guardianもthe Telegraphも星一つ。「★☆☆☆☆」って滅多に見なくないですか?とってもポゴさんらしい。それ以来ロンドンでリサイタルをした形跡はない(オックスフォードでは一度やってる)。他のヨーロッパ諸国では頻繁にやっているのに。
今日のようなショパンやラヴェルを聴いてもイギリス人はボロクソに言うのかなあ
でももし私が2016年のポゴさんの演奏の「地獄」の部分だけを延々と聴かせられていたなら(何度も言いますがカッコイイ意味での「地獄」じゃないです。ガチな意味での「地獄」です)、私も躊躇なしに「★☆☆☆☆」にすると思うから、理解できてしまうが。

そして毎年恒例の話題に戻ってしまいますが、今年も巷で騒がれたポゴレリッチの「変化(あるいは復活)」ってどういうものなのかなあ、と今回も少し考えてしまうのであった。
私は2016年から連続で聴いてきて今回でまだ4回目なんですが。
一体なにが気に入らないのかと舞台に降りていって怒鳴りつけたくなるような鍵盤ぶっ叩きは2016年が最後であれから聴いてない。黙って席を立って家に帰りたくなるような、私の眉根がぎゅ~っと寄りっぱなしになるような”ポゴさんテンポ”(←速度のことではなくpulse的な違和感)も前回からほぼなくなった。
でも一方で前回のリストのロ短調ソナタでもそうだったけど、例えばこの『夜のガスパール』の演奏は2009年のものだそうですが、今回とそう大きな違いはないように私には聴こえる。演奏時間を計っていた人によると今回も30分超えだったそうです。今回の演奏の方がよりコントロールされていて私は好きですけど(特にスカルボは今日の方がずっとよかった)、それでも騒ぐほどの大きな違いではないように感じる。この動画の08:40のラーレーからの部分は、今回の演奏と同じようにこの動画でも胸が締め付けられる。2009年というとポゴさんの”暗黒期”真っ只中ですよね。そういう頃にこの演奏をしているポゴさん。そう思うと、変化・・・・・変化・・・・・?とよくわからなくなるのでした。ちなみにこちらは2007年のオンディーヌ。やはり今回と同じように素晴らしい。
いずれにしても2016年のときのようなどこか聴衆を信頼していないような慇懃さは今のポゴさんからは全く感じられないし、それはとてもいいことのように感じる。
よく芸術家は不幸な経験をしないと良い作品を作れないと言う人がいるけれど、また芸術家は幸福になると良い作品ができなくなると言う人がいるけれど、私はそうは思っていなくて(たしかシフもそういう意見を否定していた記憶がある。谷川さんも)。ひとつ言えることは、私は良い演奏を聴かせてくれた人には幸せでいてほしいと思う。私がその人のおかげで幸せをもらえたのだから、その人にも幸せでいてほしいと思う。そしてそういう幸せな演奏を聴くことができると、私も幸せになる。

今日の演奏会は21時10分に終了したんですが、21時に客席で腕時計のアラーム(ピピッピピッっていうあれ)が鳴ったのですよ。それも2回。たしかスカルボのときだったと思いますが。もちろん「二度と演奏会には来ないでください」と言いたいほど許しがたいのだけれど、なぜかポゴさんのリサイタルってこういうのが他のピアニストのときほどには気にならないのよね。ポゴさんが気にしてなさそうに見えるからなのか、演奏の衝撃の方が大きいからなのか。ちなみにシフのリサイタルとかだと「うわっ、シフ先生申し訳ございません…!!!大馬鹿野郎に代わって私が謝りますから懲りずにまた日本に来てください…!!!」という気持ちになる笑。以前に書いたようにワルシャワ旅行で聴くのに一番しっくりきたのがポゴさんのショパンだったというのも、同じ理由です。

最後は自分の椅子をピアノの下に足で蹴って戻し、譜めくり君の椅子は両手も使ってせっせと隠す。
はいはいしつこくアンコール要求したりしないから大丈夫ですよ~
でもポゴさんのアンコール演奏っていつも素晴らしかったから、本音は聴きたい気持ちもあるのですけどね。まあメインプログラムでポゴさんが満足されているなら、私も満足です。
今回の譜めくり君(初めて男子だった)、ポゴさんに促されるまで椅子に座ったままだったり、ポゴさんが自分で捲ってしまうときがあったり、連携があまりうまくとれていないように見えたのだけど、最後にポゴさんが彼に笑顔で「ありがとうございました」と言っていたので(そう見えた)、上機嫌なポゴさんにほっとしたのでした。素晴らしい演奏会でしたもんね
あと、今夜はやたら椅子の高さを気にされていたなあ。演奏中に何度も高さ調整レバー?をクルクルまわしていた。あれだけ本番前にポロンポロン弾いていたらだいぶ良い具合に調整されているはずだと思うのだけど、なかなかデリケートなポゴさんであった。

ポゴレリッチの今回のアジアツアーはこれから韓国をまわって、中国の予定だったけどそちらは延期に。中国の人達、残念だろうなあ。。。今回のプログラム、素晴らしかったから、ぜひいつか中国でも弾いてあげてね。。。
そして今回もサイン会をしてくださったポゴさん(私は例によって不参加ですが)。そのサービス精神は嬉しいけど・・・今のような時期なのだからそこは控えてくれていいのよ。残念ながら今の日本は誰が感染者でもおかしくないのだから。ポゴさんの唯一無二の音がそんな理由で二度と聴けなくなるなんてゴメンです。
そして演奏会キャンセル、日本も他人事じゃなくなってきましたねえ・・・(来月楽しみな演奏会がいくつもあるのだが・・・)。
ポゴさんの次回の来日は来年3月6日とのこと。ここ数年はずっと冬のピアニストだったポゴさんが、春のピアニストに 今のポゴさんに合っていていいと思う もうすこし遅ければ桜が見られるのにね。


Ivo Pogorelich, Alice Kezeradze, 1983 Documentary Master Class, Maurice Ravel ,Gaspard de la nuit

こちらのドキュメンタリーからの映像のようです。
ショパンコンクールの3年後のポゴレリッチとアリザ・ケゼラーゼ。
二人が住んでいた家の空気は朝から晩まで芸術一色だったと読んだことがありますが、この映像を観ているとその空気が想像できる。
ケゼラーゼはオンディーヌの左手のメロディを父親(海の王)へのリクエストなのだと言っていますね。「あの人を愛してしまったのです。あの人と結婚させてください」という感じだろうか。私にはここは人間の男性本人への語りかけのように感じられるのですが、他でもケゼラーゼと同じような解釈を読んだことがあるので、ラヴェルのメモとか残っていたりするのかな。あるいはそれが通説なのか。
このときのポゴさんは25歳?ですかね(麗しいのぅ…)。既に英語も流暢だなあ。そして弾いてるピアノがYAMAHAだ

※Brug, Manuel, ‘Drinking from a Different Spring’, interview with Ivo Pogorelich (Sep 14, 2006) 
[original version in German: Die Welt, 21 August 2006]
上の映像の後に載せるのは辛いけれど、このインタビューは以前読んだ後にしばらく見つけられないでいたので、覚書として。
ケゼラーゼの最期について語っている部分、人間って逝く方と遺される方、どちらがより辛いのだろうと考えてしまう。どうして人間ってこんな辛い思いをしても生き続けていかなきゃいけないんだろうと。でもその答えを、今のポゴレリッチが教えてくれているのかもしれない…。

※Rhinegold Publishing "Ivo Pogorelich: London Calling" (Feb 12, 2015)
ボロクソに評された2015年のロンドンリサイタルの直前のインタビュー。"the pianist’s eagerly awaited London recital, the first he has given in the capital for some 15 years."と書かれてあるけど、なんだかこのインタビューの時点で既にイギリス人とウマが合っていないように感じられるのだけど…。ケゼラーゼを亡くした後の10年弱の期間について割と詳しく話しています。ポゴさんのインタビューってどこまで本心を話しているのだろうと時々感じるときもあって、やっぱりピアニストという人達はその演奏を聴くのが一番その人を感じられるような気もするのでした。

※朝日新聞『しもべであることが誇り ポゴレリッチ、苦難経て新境地』(2020年2月14日)


ポゴレリッチのインスタより。2月13日の 読売日本交響楽団とのシューマンのピアノ協奏曲のときの、楽屋での写真。
前回に続きポゴさんを聴きに来られた村上春樹さん ご自身の新作をプレゼントされたそうです。ちなみに私はまだ『アフターダーク』を読んでおらず。村上さんの小説はあまり得意じゃなくて…。エッセイや翻訳は好きなんですけどね。本や音楽の好みは割と村上さんと共通してたりする(漱石、フィッツジェラルド、ポゴレリッチ)。



昨年(正確には2018年12月)は結構空席があったけど、今年は完売。理由は分からない。リスト&シューマンって人気ないのか…?

※追記
上に書いた「あちら側とこちら側」について。そういえば先月聴いたヴィルサラーゼのシューマンの『予言の鳥』は、あちら側に連れて行かれたまま戻れない感覚を何日間も感じさせられたなあ、と思い出した。あちら側に引きずられてはいけないと気をつけながら、そのままこちら側に戻れなくても構わないような、そんな気持ちにさせられた数日間だった。でもやっぱりそんなシューマンの世界を見せたヴィルサラーゼがはっきりと厳しく「こちら側」の人だったから、私はどこか安心してあの甘美な幻想に身を任せていられたのかもしれない。ポゴさんと同じく彼女も「こちら側」の人だからこそ、ああいう演奏ができるのだと思う。

※梶本さんへ。私の最も愛するピアニストの一人であるフレイレの名前が御社の招聘アーティストのリストから消えているのですが、あれはもうフレイレは来日しないという意味なのでしょうか・・・・・・・・・・・・。昨秋に散歩中に転倒して腕を骨折したと聞いているけれど(ピアニストが何やってるのぉぉぉ~~~泣)、その後の経過はどうなのだろう・・・・・。10月30日の朝に転倒し、31日の夜に4時間に及ぶ手術が行われたそうです。フレイレは転倒したときに自分の手を庇おうとしていたとのこと・・・(Slippedisc)。
私が最も愛するもう一人のピアニストであるペライアも病状についてその後全く音沙汰がなく、心配は尽きない・・・・・・・・・・・。

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