風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル @紀尾井ホール(11月13日)

2021-11-18 13:51:39 | クラシック音楽




J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第2巻より 前奏曲とフーガ
第1番ハ長調 BWV870
第12番ヘ短調 BWV881
第17番変イ長調 BWV886
第8番嬰ニ短調 BWV877
第11番ヘ長調 BWV880
第22番変ロ短調 BWV891
第7番変ホ長調 BWV876
第16番ト短調 BWV885
第23番ロ長調 BWV892
第24番ロ短調 BWV893
第9番ホ長調 BWV878
第18番嬰ト短調 BWV887
-----------
(アンコール)パルティータ第1番変ロ長調BWV825より第4楽章パルティータ
(アンコール)平均律クラヴィーア曲集第2巻より第12番ヘ短調BWV881より前奏曲

ウィーンフィルの演奏会に来ていた方達の多くがこのピアニストの演奏会にも行っていて、ネットに絶賛評が溢れていたため、行ってみることにしました。昨年のガヴリーロフのときと同じ流れ

アンデルシェフスキの名前は以前から知ってはいましたが、演奏を聴くのは初めてです。
今回はバッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻より抜粋が演奏されましたが、曲順は作品の番号順ではなく、また当初発表の曲順も会場で変更になりました。途中休憩はなし。

アンデルシェフスキが弾き始めた途端、「あれ?」と感じました。
なぜなら、ピアノの周りの空気に全く色が見えなかったからです。ここで言う色というのは「表情豊かな音色」というような一般的な意味のものではなく、私が演奏会の感想でよく書く「ピアノの周りに色が見える」という意味の方です。比喩ではなく、本当に見えるんです。といっても眼が見ているのではなく、脳が見ているような感覚です。うまく説明できないのですが…。
皆が皆そんな風に音に色を見ているわけではないらしいとある日気づいて調べたところ、おそらく共感覚と呼ばれるものの一種なのかな、と。「自分ではどうしようもない」という点では絶対音感の感覚と似ていますが、絶対音感は私の場合は子供の頃の訓練の結果なのに対して、こちらはおそらく先天的なものかなと。
私の場合は楽器の音に対して色が見えるんですが、それはずっと同じ色ではなく、演奏に伴ってどんどん変化していきます。
その色の見え方が濃いピアニストもいれば、薄いピアニストもいます。色の変化の仕方もピアニストによって異なります。また色の濃いピアニスト=優秀なピアニストというわけでももちろんありません。
ちなみにこれ、私の場合は生演奏でしか見えません。理由はわかりませんが、機械を通した録音の音では見えないんです。ただ、過去にそのピアニストの演奏を一度でも生で体験していると、その時のことを脳が記憶しているらしく、録音からでもある程度色を感じることはできます。生で聴くと、周りの空気の中に音が個体のように満ちているのがわかるじゃないですか。目の前の音に手で触れられるような。録音の音にはそれがない。あれってどうしてなのかなとずっと不思議だったんですが、先日N響のマロさんがこんなことを仰っていて↓、なるほど、と。

いつでもどこでもネットで音楽にアクセスして聴くことができるようになった今でこそ、実際に演奏会で音楽の体験をする魅力とは。篠崎さんに教えてもらいました。
「生の音を浴びると細胞が活性化されるんですよ。例えば、森の中で木々が揺れる音や滝の音を聞くと、すごく落ち着くでしょう? それは共鳴音が身体の中の細胞を活性化しているからなんです」例えば、ステレオで聴く音楽は脳で変換して音を理解しているのだそう。一方で、オーケストラの生音は共鳴するので自然と身体の中に入ってくるのだとか。脳で変換する必要がないため、疲れないということも挙げられます。・・・「そう、それはリラックスしている証拠。もし脳が緊張していたら寝られませんからね(笑)。実際の演奏をホールで聴くと、心も身体も健康になるんですよ。自然界から得るものと同じような効果を体験できるのが演奏会なんです。数字にもとづいて完成度が高いものばかりを追求してきた時代が続きましたが、私は人間は不完全だからこそロマンがあるのだと思う。生演奏も言ってみれば不完全なもの。そこに美しさがあるのだと思います」
みんなのN響アワー

ただ共感覚に関して言うと、生演奏の場合でも脳の領域の問題のような気がします。絶対音感が聴覚ではなく脳の問題であるように。上に貼った共感覚についてのリンクでも、そのような説明がされていました。またその出方は千差万別だそうなので、色の見え方もその人その人によって異なるのだと思います。
私がこれまで聴いたことのあるピアニストの中では、音の空気の色が特にはっきりとわかるピアニストは、ペライア、レオンスカヤ、ヴィルサラーゼ、ガヴリーロフ。そして意外な感じですがシフ。番外でポリーニは、色自体は濃くないけれど、ものすごく繊細に色が移り変わっていくことに驚きました。パレットが1000色くらいある感じ。

前置きが長くなってしまいましたが、今日聴いたアンデルシェフスキは、今まで聴いたことのあるピアニスト達の中で突出して音が「無色透明」だったんです。曲が進んでもずっとそうでした。
そして私はバッハは彩り豊かな演奏を基本的には好むので、今日のアンデルシェフスキの演奏は正直なところ聴いていて結構きつかったんです。
今回のリサイタルのネットの感想を読むと、シフの熱心なファンの方が「シフの演奏は空海の書のようで、アンデルシェフスキの演奏は色彩豊かなゴッホの油絵のよう」と書かれていて、他にもそういう「アンデルシェフスキのバッハの音色のカラフルさ」について書かれている感想が多く、私が受けた印象と真逆で驚きました。私の耳と目にはシフのバッハの方がずっと色が多彩に聴こえるし、見えるからです。
繰り返しますが、ピアニストの表現力の話ではないんです。アンデルシェフスキは何も悪くなく、完全に私個人の感覚の問題です。

そんなわけで今日の演奏、前半はずっと戸惑いながら聴いてしまったのですが、16番以降はその状況に慣れてきて(慣れるの遅すぎ…)、その辺りからはアンデルシェフスキの演奏もより活き活きしてきたように感じられ、ある程度楽しむことができました。
特にアンコールの2曲は、どちらもとてもよかった。アンデルシェフスキは美音で有名なピアニストだそうですが、このアンコールではその美音をたっぷり堪能できました。
アンコール2曲目に弾かれた第12番BWV881の前奏曲は、本編で弾かれたときはその音に戸惑いまくっている最中だったのであまり演奏に集中できなかったけれど、アンデルシェフスキのこの曲の弾き方、私、好きです。音が自然に流れているところが好き(ただアンコールの演奏でもやはり無色透明ではありました)。なおこの2曲目は「先ほどの自分の演奏に満足できなかったので(I was not happy with~)」と説明してから弾かれていました。リーズ国際コンクール時のエピソードにしても、本当に完璧主義の人なんだね
いつかまた機会があったら、バッハ以外の作曲家も聴いてみたいです(ご本人はバッハに強い思い入れがあるようですが…)。でもアンコールのバッハは本当に、とてもよかったです。





赤坂見附に帰る途中の、ホテルニューオータニのクリスマスイルミネーションと東京タワー。ニューオータニの側を通りかかる度に高村薫さんの『リヴィエラ~』を思い出して毎度テンションが上がる私。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウィーン・フィルハーモニー... | TOP | イザベル・ファウスト ヴァ... »

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。