風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 @サントリーホール(11月12日)

2021-11-15 00:09:20 | クラシック音楽




8日に続き、ウィーンフィル来日公演最終日のサントリーホールに行ってきました


【モーツァルト:交響曲第35番 ニ長調 K. 385「ハフナー」】
ウィーンフィルのモーツァルトが好きすぎる。。。。。
東京でこんな演奏が聴けて嬉しい。しかもこんなコロナ禍に。
音が軽やかで柔らかくて自由で、人間的な温かみがあって。自然に美しく、明朗に優雅に奏でられるモーツァルト。ムーティの解釈は重いという感想も見かけるけれど、それとウィーンフィルの音色の軽やかさはまた別の話。
ウィーンフィルの音って、本当に独特な色香がある。
でもそれだけじゃなくて、リズム、というよりその裏にあるもっと微妙な部分が、他のオーケストラとは決定的に違うように聴こえる。これはなんなんだろう。音楽的な脈拍、鼓動というか。音が自由なんだけど、ただ個々の奏者が好き勝手に弾いている感じともまた違い。ウィーンの文化や伝統といった長い時間をかけて積み重ねられてきた目に見えないものが楽団の音となって表れているような、そんな風にしか思えない音。結局いくら言葉を重ねても、今年もウィーンフィルの音は「言葉にできない音」なのでした。
演奏は最初からとてもよかったけど、音楽が進むにつれてどんどん音が伸びやかになり艶を帯びてきて(弦の艶やかなこと!)。
この一曲のためだけに25,000円払える、と本気で感じたハフナーでした。
ムーティは先日の『イタリア』のときと違い指揮中のニコニコはなかったけれど、三楽章が終ったときにはうんうんと頷く笑みがあり、四楽章が終わった瞬間には零れるような笑顔を見せていました。ムーティがオケにこんなに笑顔を見せる指揮者だったことも、今回の来日で初めて知ったなあ。シカゴ響や春祭のときは背中しか見えない席だったし、今まで映像も殆ど見たことがなかったから知らなかった。ムー帝のイメージも強かったし。でも実際のところ、音もシカゴ響や春祭のときよりも伸びやかな音が出ているように思う(この曲のように両者の調子のいいときは)。そういう意味では指揮者が誰が来ても根本は変えないというウィーンフィルとムーティの良いケミストリーの結果なんでしょうね。ゲルギエフのときにも同じ面白さがあった。あと楽章の最後に音をまろやかに終えるところはムーティは両掌の中に音を丸く包み込むような仕草をしていて、最後の音の処理を大事にしているのだなと感じました。
しかしウィーンフィルのさりげなくて自由で力みがない音、本当に好きだなあ。。。力みのある演奏を熱演と感じる人も多いかもしれないけれど、本当の熱さってそういうものではないはず。ハイティンク&ロンドン響のブルックナーでも感じたもの。ツィメルマンが東京ニューシティ管弦楽団と協奏曲を演奏したときに、奏者達に猫の柔らかな鳴き声(ミャオ♪)を例に出してアドバイスしていたというダイナミクスと音量の違いの話にも似たものを感じます。

(20分間の休憩)

【シューベルト:交響曲第8番 ハ長調 D. 944「グレイト」】
シューベルトのこの曲を生で聴くのは、2017年のみなとみらいホールのブロムシュテット×ゲヴァントハウス管以来、2回目。先日のN響の記事でも書いたけれど、ゲヴァントハウス管によるその演奏は私の中で過去に聴いた全ての公演の中でトップ3に入っているもので、いつまでも終わらないでほしいと心の底から感じた、まさに「天国的な長さ」と言える演奏でした。なので今日の演奏は当然比べながら聴いてしまうことになるのだろうなと想像していたのだけれど、良い意味で全くそんなことはなかった。
とはいえ、今日のグレイトの前半は8日の『悲劇的』の演奏と全く同じものを感じてしまいました…。特に一楽章は各楽器がバラバラとした印象で、音が伸びやかに歌っていないというか、音楽の流れがぎこちなく聴こえた…。首を傾げるようなタイミングでコントラバスが少しバラついた音を出したときに「あれ?」と感じたらムーティもハッと視線を投げたりしていたので、私の気のせいばかりではないと思うのよね…(もっとも、全体的にここぞという時以外は音を抑えさせていたのはムーティの意図なのだろう、と。そういう感じの指揮をしていた。素敵だけど、低弦や金管は少し自信なさげな音にもなりますね)。一楽章の繰り返し?のところでシュトイデさんがムーティを見てハッと驚いたような表情をして、その一瞬だけ音楽が突っかかったように聴こえたり。ムーティ自身も一楽章だったか二楽章だったか、不思議な挙動をしていて。突然ストンと両腕の力が抜けて正面を見たまま魂が抜けたようになっていた時間がしばらくあって、リハーサルなら完全に演奏中止の合図レベルで、「ここで演奏やめるの…!?」とギョッとなった。でもシュトイデさんもオケも慣れているのか全く戸惑った様子はなく演奏を続けていたので、こちらもすぐに音楽に集中できたけども。そのどれも何でもないものだったのかもしれないけれど、演奏のぎこちなさと相まって、なんとなくハラハラしながら聴いてしまったグレイト前半でした。

ところで、普通だったらこういう時は醒めた冷静な感覚で聴いてしまうものだけど、今日のグレイトでは不思議とそういう風にはならなかったんですよね。私の感覚とは合わなかった一楽章の時点でさえ、”ウィーンフィルの音で聴けるグレイト”がひたすら耳に沁みて心に沁みた。。。シュトイデさんが数年前のインタビューで「シューベルトこそ最もウィーンらしい作曲家と常々ウィーン・フィルのメンバーが口にしますね。とにかく会場で聴いてみれば、その真価がわかるでしょう」と言っていたのを帰宅後に読んだけれど、今日のこの感覚もそういうところから来ているのかもしれない(それでも8日の『悲劇的』は受け入れ難かったが)。

二楽章もまだ本調子な風ではなかったものの、だいぶ音が回復してきたように聴こえました。ところで中盤で弦がppで優しくラーソーファーミー  レーミードーファーソーと奏でて(絶対音感1音上がり中の私の耳にはシーラーソーファーと聴こえたので、たぶんその音で合ってると思う)そこに他の楽器も加わってやがて大きな響きになっていくところ、若い頃の録音でもそうだったけどムーティは割とさらさらと流れるように奏でさせるじゃないですか。これ、私は結構好きなんですよね。さり気ないからこそ胸に響くものがあるというか。ウィーンフィルの音だと全然淡泊にはならないし。一方でブロムさんのような演奏も号泣ものでしたが。

三楽章からは音が自然に伸びやかに歌い出して、無敵なウィーンフィルの音に心底聴き入りました。これはウィーンフィルでしか聴けないと断言できる極上の三楽章。舞踏風のメロディーのところはもちろんだけど他の部分も、弦の甘やかさ、艶やかさ、優雅さ。そして木管群の音色!ウィーンフィルの木管の音、本当に好き(なお本日のフルートトップはAuerさんでした)。このオケって弦だけじゃなく、木管も金管も打楽器も本当にみんな素晴らしいよね。。。。。なんなんだ。。。。。ウィーンフィルって調子がいい時には他のどんなオケも絶対に敵わないと感じさせられる音を聴かせるから、全体を通した演奏の出来や不出来を冷静に論じる気持ちが起こらなくなるんですよね。この音を聴けたからもう全部許す、みたいな気持ちにさせられる。ツンデレ女子とか小悪魔女子と付き合っている彼氏はこんな気持ちなのだろうか、とアホなことを思う。去年も同じことを思った。本当に大満足の三楽章でした。

そして四楽章。今年の日本公演もこれで最後だからなのか、ムーティもオケも一気にドライブ感と熱量が増す。3楽章とは別の意味でのTheウィーンフィルの音 それでも全然うるさくはならないんだよね。もう本当に素晴らしい。8日のメンデルスゾーンの最終楽章の時と同じく、呼吸を止めてひたすら聴き入ってしまった。最後のffのドードードードー(私の耳にはレに聴こえたので、たぶんド)はしっかり重めにはとっていたけど、若い頃の録音と違い殆ど速度を落とさずに音楽の流れを止めていなかったのが、自然でよかったです。
演奏しているシュトイデさんの顔にもようやく笑みが。今回の来日では何故かずっと厳しい表情に見えていたので、この笑みには見ているこちらもほっとしました。個人的印象だけれど、この三楽章以降の演奏の変化、ムーティの意図を汲んだシュトイデさん率いる弦がオケを引っ張っていたようにも聴こえたな。一方で、やはりムーティが動き出したからオケの音も変わったというのもあるのだろうと思う。

演奏後に舞台袖に引っ込むときにムーティはシュトイデさんの腕をポンポン。その後もアンコール後だったかな、再びシュトイデさんの肩に手を回してポンポン労い。私の目には「お疲れさま」よりも「有難う」の意味に見えたのでした。指揮者と奏者達の身体的距離が近いのはやはり良いものですね。コロナ禍では久しく見られなかった光景
しかし献身的というかなんというか(この言葉は本来ウィーンフィルには似合わないものなのだろうけれども)、こういう演奏を聴いちゃうとこのオケのこと嫌いになれないよね。オケにはやっぱり指揮者は必要で、指揮者はやっぱりオケに支えられているのだな、と感じた今回のウィーンフィルの来日公演でした。
私の大好きなブロムさん&ゲヴァントハウスの『グレイト』とは最初から最後まで全く違う曲のように聴こえ、でもそれらを比べてどちらが上とか下とか言う気持ちが全く起こらなかった今日の演奏でした。素晴らしかったです。ブラボー!

【J・シュトラウス2世:皇帝円舞曲(アンコール)】
今夜もムーティが曲名を言ってアンコール。今回はさすがに私にも聴きとれた
これはもう当然ですが、”ウィーンフィルでしか聴けない音楽”だと強く感じる音であり、演奏でした(そもそもウィーンフィル以外がこの曲を演奏することってあるのかしら)。
皇帝円舞曲ってこんなに美しい曲だったんだねえ。。。。。。。まさか皇帝円舞曲で泣かされそうになるとは。昨年の『ウィーン気質』と同じく、ただ華やかなだけじゃない、夕映えのような音。。。。。。。
昨年のゲルギエフはアンコールでは完全にオケに任せて自分もオケの演奏を聴いて楽しんでいた風だったけれど、ムーティはこのアンコールもこだわりを持って指揮している感じでした。本編と同じようにスコアを確認しながらしっかり指揮していた。
そしてムーティ様、例の有名なメロディになった瞬間に、ふわぁっと満面の笑み
ちょ…、なんちゅー嬉しそうな幸福そうな顔で笑うんですか…!不意打ちでその笑顔は反則!こういうの何て言うの?ギャップ萌え?危うく恋に落ちてしまいそうになったではないですか。ウィーンフィルの華麗で華やかで温かな演奏で、あのメロディに、あの笑顔。なんちゅー危険な人達だ。これ以上近づいたら私の財布が破産する。
演奏後に各奏者を讃えてから挨拶のために全員を立たせた直後に(そういえばムーティもゲルギエフもオケのP席への一斉お辞儀はなかったな)、ムーティは「みんな、もう一度座って、座って」のジェスチャー。再び全員を着席させて、そして忘れていたハープ奏者を立たせて讃える。律儀だなあ。その後に舞台袖に引っ込む時にもティパニ奏者さんだったかの横を通りざまに両手を合わせて「ありがとう」的なジェスチャー。奏者さんも両手を合わせて返答。和む。ムー帝の面影はいずこへ。本当にウィーンフィルとはいい関係を築いているんですね。

今日のムーティは頑張ってほぼずっと手を動かして指揮してくれていたけれど(腕ストン事件時を除き)、体調はあまり良くなさそうに見えたな。表情もお疲れ気味に見えました。ムーティってペースメーカーなんですね。ツアーの疲れもたまっているのだと思いますが、この後もアジアツアーは韓国、中国と続いていくので、お大事になさっていただきたいです。まあカーテンコールで客席の女性達に投げキッスや指揮棒握手などのサービスしまくりでイタリア男ぶりを存分に発揮されていたので、心配無用かな 、、、と思っていたら。今ウィーンフィルのホームページを見たら、中国公演がコロナでキャンセルになり、“エジプト公演”に変更されている 中国→エジプトの変更って、いくらなんでも極端すぎるんじゃ…。14日ソウル、15日テジョン、16日ソウル、17日釜山、20日カイロ、21日カイロって…80歳なのにどんだけ強行スケジュールなのか。ムーティ大丈夫かな…。あ、でもカイロって殆どヨーロッパか。思わず調べたらカイロ→ウィーンの飛行時間は3時間半。公演後すぐにウィーンに帰れるのなら、かえって良いのかな。そう思おう。でもムーティって基本の自宅はおそらくウィーンじゃないよね。どこに住んでるんだろう。北米?イタリア?

※追記
ムーティは皇帝円舞曲のあの部分でいつもあんな笑顔を見せるのだろうか、と帰宅してから今年のニューイヤーコンサートの映像をチェックしてみたら(1:48:19~)、なんと!あのメロディのところではオケではなくホーフブルク宮殿の景色が誇らしげに映されているではないですか!ここでそれを映したくなる気持ちはわかるよ。わかるけどさあ、その風景はどうせこの先も何百年も変わらないんだから、今しか映せないあの笑顔をなぜ映さないかなあああああ(ニューイヤーでも笑顔だったかは不明だが)。しかしムーティのスピーチ(2:09:15~)は沁みるね。。。



演奏会後のホールの外では「楽しかったねえ」「よかったねえ」とみんなが幸せそうな笑顔。ムーティが「音楽は精神を健康に保つために必要なのです」と言っていた意味がよくわかる、いい光景でした。
オーストリアの10万人あたりの感染者数はドイツを抜いてしまったそうで…。日本もこの先どうなるかはわかりませんが、束の間の、でも一生の宝物となる幸福をムーティとウィーンフィルからいただくことができました。感謝しかありません。この後も無事ツアーを終えて帰国されますように!


実はこの日の演奏会は、グランピングからサントリーホールへの直行でした。ワンピースもピアスもネックレスも持って行って、演奏会前に着替えた

Vienna Philharmonic – Strauss: Wiener Blut, Walzer, Op. 354 (SNC 2021)

今年のサマーナイトコンサートの『ウィーン気質』の演奏。指揮はハーディング。ゲルギエフと違って、ちゃんと指揮してる(笑)。それにしてもシュトイデさんのこの音色よ・・・・・。

Sir András Schiff - Live at Wigmore Hall

シフが13日のウィグモアホールの演奏会で、ハイティンクへの追悼をしてくれました。「今夜の演奏をベルナルト・ハイティンクに捧げます。彼はとてもとても素晴らしい音楽家であり、偉大な指揮者であり、素晴らしい友人でした。今夜ここにパトリシア夫人とご家族にお越しいただけたことを嬉しく思います。ベルナルトは今夜私達と共にここにいるでしょう。彼はウィグモアホールを愛していました。今夜はベルナルトが聴きたいと思うであろう曲を演奏したいと思います。彼は素晴らしい審美眼を持った人でした。(最近の音楽的汚染についての話をした後で)ベルナルトにあまり話しすぎるなと言われてしまいますね(笑)。(曲紹介をして)ベルナルトがここで聴いてくれていることを願います」と。ありがとう、シフ
ハイティンクが最後に指揮したオーケストラはウィーンフィルだったけれど、正直なところ彼がより親しみを感じていたのはベルリンフィルの方だったのではないか、と個人的には思っています。
2004年のインタビューではベルリンフィルとウィーンフィルの2つの楽団を比べて、こんな風に仰っていました。

How does he characterise these mighty beasts of the orchestral jungle? Haitink starts his reply with the Berliners, with whom he is doing a two-week stint as we speak. "I love the open way they attack the music. It is so positive. When they play with conductors they don't like, they ignore him; but when they play with conductors they like, they really add something very positive."

What about Vienna? "Well, you never know with Vienna because they have an enormous number of players, and you have to wait and see who plays. They don't have a music director. They play the same pieces more than once in a season with different conductors. I think in their hearts they are arrogant. They think, 'It doesn't matter who conducts us, we are the Vienna Philharmonic.' Very dangerous attitude. But they are of course extremely good musicians."

・・・どっちのオケも怖い
ウィーンフィルのこういう性質は有名ですが、ハイティンクもそう言っているということは本当にそうなのでしょうね。これはだいぶ前のインタビューだけど、今でもきっとそういう部分はあるのではないかなと想像する。そして実際に彼らの演奏を聴いて、そういうオケだからこその音の魅力というものもあるように感じています。
昨年と今年彼らの演奏を聴いて、ハイティンクが最後に指揮したのがこんな素敵なオーケストラで良かったな、と感じることができました。ベルリンフィルもいつか聴いてみたいな。

BERNARD HAITINK FAREWELL BBC PROMS - SO EMOTIONAL! VERINHA OTTONI

2019年9月3日、ハイティンクの最後のPROMSの演奏後の様子。シュトイデさん、弓を置いて両手で拍手してくれてる…

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