風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

コンセルトヘボウ管弦楽団 『マーラー 交響曲第9番』 @Het Concertgebouw(6月8日)

2018-06-18 22:34:39 | クラシック音楽



"I'm not Dutch any more – I've been too long out of the country." Although he grew up in the occupied Netherlands, He was not raised in a religious environment. "That was quite amazing for a Dutch family of the time." he says. He hasn't lost his accent, however, in spite of 12 years in charge of the London Philharmonic Orchestra, and 15 at the Royal Opera House.

Those formative years during the war still haunt him. "There was so much talent lost. During the occupation, it became clear the Germans wanted to isolate the Jewish population. However, at the time, we didn't want to believe it. We couldn't believe they would all be murdered. I remember I went to see a young Jewish violinist play a concert at his home – he played Beethoven's Kreutzer Sonata quite beautifully – but then, of course, he disappeared. I think the whole scene would have been different if Hitler and this whole fanatic policy had not existed. It becomes very odd and frightening when you think about it." He looks troubled. "These are very dangerous and unpleasant thoughts – but I would never have been a conductor if all of these catastrophes had not happened. There would have been more talented conductors than me."

Musicians who play for Haitink today would disagree. Concertgebouw members speak of him with reverence; no one seems to know exactly how he does it, because he doesn't say much during rehearsals, but Haitink makes them play with more concentration, intensity and freedom. 



what did he think about a huge work like Mahler's Ninth? Was there an idea, a plan?
"One of the things I was thinking was: how can I keep it quiet at the end? Because it's a unique ending, this breaking off of everything and disappearing in the air. And I thought, 'Whatever I do, they [the audience] must be silent.' I don't know what I did, but they were silent! Then you have one or two idiots in the hall shouting 'Bravo!' and the whole thing is broken."

(22 September 2009, The guardian)

ハイティンク×コンセルトヘボウ管弦楽団×マーラー9番@コンセルトヘボウ大ホールを聴きに、アムステルダムへ行ってきました。
旅程はポーランド3泊&アムステルダム3泊だったので旅行記も追って書きたいと思いますが、まずは演奏会の感想を。

昨年末ハイティンクがベルリンフィルで同曲を振ったときに次回は半年後にコンセルトヘボウで振ると知り、「コンセルトヘボウかあ、いいなあ、いつか行ってみたいなあ」と。そして「コンセルトヘボウで聴くなら、やっぱりコンセルトヘボウ管でマーラーを聴きたいなあ」と。では指揮者は誰で聴きたいだろう?となると、私の場合は即答でハイティンク一択だったので、だとしたら行くのは今しかないであろう、と思い切って行ってしまいました
初めてロンドンでハイティンクの指揮を聴いてから、ちょうど10年。
ショスタコーヴィチもブラームスもブルックナーも聴いて、モーツァルトやベートーヴェンの協奏曲も聴いて、あとはやっぱりマーラーを聴いてみたかった。しかも第9番は彼自身が「特別な曲」と位置づけている曲ですもの。

夏休み時期じゃないので休暇をとるのに少し苦労はしたけれど、思い切って聴きに来てよかったな、と心から思いました。
人が人生を生きていくなかで向き合わねばならないものを、その演奏は教えてくれたように感じられました。
私がこの曲を聴くのはヤンソンス×バイエルン放送響に続いて二度目で、そのときの感想記事で私は「(予習で聴いた音源では)死ぬときにこの曲を聴くのは死を強く感じすぎるから嫌だなと思っていた」と書きました。あのとき聴いた音源は、実はハイティンク×コンセルトヘボウの演奏だったんです。生きとし生ける者すべてを外側から包み込んでくれるようなヤンソンスさん×BRSOと違い、このコンビのそれはより容赦なく発せられる音に私には聴こえました。人が死んでゆくときの、魂がこの世界に別れを告げる音。であるがゆえに胸が苦しくなる。
できることなら向き合いたくないけれど、生きている限りは向き合わねばならないもの。今年の私が向き合わなければならなかったもの。

白鳥の歌のような3楽章後半~最終楽章を聴きながら、89歳のハイティンクは指揮台の上でこんな音に包まれて冷静でいられるのだろうか、と思いながらその背中を見ていました。それくらい痛切に「人の命の最後」を感じさせる音だったからです。
聴きながら、昔アラスカの空に音なく浮遊していた白いオーロラを思い出しました。星野さんが「亡くなった人の魂」と言ったオーロラ。この世界で生きていた人の、最後の魂の音。

ラストは、客席の完全な静寂が保たれました。そしてハイティンクはパタンと楽譜を閉じて、「おしまい」とちょっとおどけるように小さく両手を挙げたのがこの人らしいなと思いました。それが合図となったように初めて客席から拍手が沸き起こりました。最初に指揮台に上がったときも鳴りやまない拍手を全く気負わず気軽な感じで少し笑って止めていて。彼は自身をオランダ人と呼ぶにはこの国を長く離れすぎたと語っているけれど、少なくとも数年前に日本で見た姿よりずっと寛いだ雰囲気で、やっぱりここはこの人にとって慣れ親しんだ場所なのだなあ、と感じたのでした。同じ母国語を話す、そっくりの顔立ちの人がいっぱいいる客席(ほんとに!)。1楽章の最後の消えゆく音の怖いほどの美しさ。完璧に盛り上げ切った3楽章。ソロのときなどは椅子に腰掛けるときもあったけれど全奏部分になると立ち上がっていて、やっぱり立って指揮をすることにこだわりをもっておられるのだなぁと感じたのでした。

コンセルトヘボウの大ホールで聴くコンセルトヘボウ管の音は、これまで聴いたどのオーケストラの音とも違って独特で、本番前の音出しの音だけでも「わ、今まで聴いたことのない音だ」と感じました。このオケを聴くのもこの会場で聴くのも初めてなので、どちらが理由かはわかりません。ただこの翌々日に同じコンビによるクリスマスマチネのマーラー9番の録音を久しぶりに聴いたら同じ音がしたので、あれはきっとコンセルトヘボウ管@コンセルトヘボウの音なのだな、と。どんなにとんがっても決して神経に障ることのない、品格と艶のある滑らかな音。ベルリンフィルのような機能性はないけれど(正直演奏が始まってからしばらくはベルリンフィルとの違いに戸惑った)、温かで。大編成の世界一流オーケストラの音というより、アットホームな室内楽のような音といったらいいでしょうか。そして長い歴史のあるコンサートホールであることを感じさせる、深みのある落ち着いた音響。
そういえば以前ハイティンクがインタビュー(Oct. 2004)で“Amsterdam is halfway between Berlin and Vienna. They’re not as macho as Berlin - in a good performance they have more transparency than a Germanic orchestra because they play so much French music. The texture is lighter.”と仰っていましたが、そう、まさにそんな音。そしてこんな風にも。“I don’t want to be nasty to Chailly , but the sound changed. Then, when I heard them this summer with Mariss, I thought, ‘Yes, that is the old Concertgebouw again.’”。ヤンソンスがシャイ―の後任に就任したときに団員から「ハイティンクの頃の音(奏法)に戻したい」とお願いをされたそうなので(当時のヤンソンスのインタビューによると)、それが実行されたということでしょうか。

ハイティンクは3年前に見た時より動作が小さくなられてはいたものの想像していたよりずっと溌剌とした指揮で、その姿を見た後は、翌々日もこのコンビで聴けることを1ミリも疑っていませんでした。楽章の間にじっと下を向いたまま動かないときもありましたし、演奏後にスタッフから贈られた花束を女性奏者に渡すときに少し足元が覚束ないご様子ではありましたが、それでも演奏中の指揮には力強さもキレもありました。それが二回目のカーテンコールを終えたときに突然バタンと大きな音をたてて倒れられて(床の僅かな段差に躓いたらしいというツイートを見かけました)、客席もオケも完全に凍りつきました。私はすぐにサントリーホールのヤンソンスさんのときを思い出したけれど、あのときと違ったのはハイティンクがいつまでも立ち上がらなかったこと。舞台袖からすぐにスタッフの人達が出てきて。ハイティンクの頭を撫でていた女性は奥様だろうか。だいぶ長い時間そういう状態だったけれど、奏者の一人が聴衆へ感謝の挨拶をオランダ語と英語でして。でもまだ舞台上で動かないハイティンクを残しては…と退場を躊躇っていたら一階席から大きな拍手が起こって、見ると、ハイティンクが両側を支えられて退場するところでした(担架も出ていたけど使用されることはありませんでした)。もちろん私も拍手。近くの席の方達の話ではこのとき客席に手をあげてくださったそうですが、私の位置からは確認できませんでした。
帰り道で近くにいた女性は「It was a special night... bravo... bravo...」と呟いていて、まるで今夜が最後みたいじゃない…明後日もあるのに…と寂しく思いながらも、あの場であの状況を目の当たりにした客は誰もが、2日後は彼は振れないかもしれないと感じていたと思う。事実そのとおりになったのでありました。

今後ハイティンクがマーラー9番を再び振ることはあるのだろうか。
仮にあったとしても、少なくとも私にとっては、この夜の公演が最後となることはほぼ間違いないでしょう。数分前までは翌々日にもう一度聴けることを疑っていなかったですし、誰よりもハイティンクご自身が3日間の公演を最後まで振りたかったろうと思います。

ハイティンクは2009年の上記インタビューで、あの大戦で多くの才能ある命が失われた、と。もし彼らが生きていたら自分は指揮者にはなっていなかったろう、と、かつてこの街で彼に美しいベートーヴェンを聴かせてくれた若いユダヤ人のヴァイオリニストについて語っています。そして、"but then, of course, he disappeared."と。ハイティンクと同い年だったアンネ・フランクがこの街から連行されていったアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を、私は今回の旅でアムステルダムに来る前に訪れました。オランダはナチスの迫害によるユダヤ人犠牲率が欧州の国々の中でずば抜けて高く、その理由は当時の行政(独軍占領によりアーリア化した行政)がナチスの政策を黙認したためとも言われています。ハイティンクはそういう時代のこの街の空気を肌で知っている人で、そんな彼からあのマーラー9番の音が生まれてくることに、私は自然な繋がりを感じないではいられないのでした(演奏にユダヤ色が強いという意味では全くありません)。上記インタビューでハイティンクが見せた痛みの表情。彼の指揮から生まれる、決して聴衆の興奮を煽ることをしない、けれど、強く人の生の最後を感じさせる音。ハイティンクがどう仰るかはわかりませんが。 



急遽最終日(10日)の代役をすることになったKerem Hasan(ケレム・ハサン)の7日のツイート。
ハイティンクが初めてコンセルトヘボウでマーラー9番を指揮したのは54年前とのこと。
Hasanもこのときはまさか数日後に自分が振ることになるとは思っていなかったでしょうね
10日の感想については、別記事で。




8日の演奏前の写真を後からFBに載せてくださいました。


階段も素敵


ハイティンクの肖像画?がロビーにあるのも、コンセルトヘボウならではですよね


このホールを訪れたらやっぱり撮りたい、このアングル。
皆さんネットに上げていらっしゃるけどそんな簡単に撮れるものなのかしら~と思っていたら、とても簡単なのであった。なぜなら~


アノ階段の扉の前はこんな感じの廊下で、普通に聴衆も利用する場所なのであった。P席の客が使うのも指揮者と同じ階段(ハイティンクはご高齢なので使っていませんが)。演奏前に階段上で奏者が聴きに来た友人らしき人達と雑談している光景なども見られ、そんな気取らなさがこのホールの魅力の一つであるなぁと感じたのでした。


やたらと高さがある割には客席との距離が近くに感じられるステージ。


このホールはドレスコードもなし。フォーマルとカジュアルが不思議と違和感なく混じり合う客席
そんな客席ですが、皆さんめっちゃマナーがいいんです 今回3回コンサートに行きましたが、東京より静かなくらいの客席にワタクシびっくりです。日本の聴衆レベルは世界一とか言って憚らない自画自賛な人達は一度コンセルトヘボウでも聴いてみるとよいと思ふ(ロンドンはダメよ)。そして演奏終了直後に客全員スタオベという不思議慣例があるのもこのホールの特徴
ちなみにスタッフに確認したところ、演奏中以外は会場の写真撮影はOKとのこと。


演奏会後にmuseumpleinより。ここの演奏会は20:15に始まるので、終わるのは今回のように一曲だけでも22時過ぎになるのです。それでもこの明るさ。夏至が近いこの時期のアムステルダムの日没は22時頃で、23時近くでもまだ完全な暗闇にはなりません。
写真はあえてトラム入りで(トラムなしで撮る方が大変ですけど笑)。
もっともこの写真を撮っていたときの私は、ハイティンクのことが心配で呆然としておりました。。


ハイティンクのエージェントからのメッセージとのこと。
一日も早くお元気で指揮台に戻られますように
コンセルトヘボウのことは、"Bernard's beloved Royal Concertgebouw Orchestra"と
Hasanについては、"the silver lining to this cloud"と


ロビーで€2.5で買った今回の公演プログラム(オランダ語おんりー)と、ネット購入したチケット(オランダ語おんりー)と、会場にあったハイティンクが表紙の寄付を募る?パンフレット(オランダ語おんりー)。このパンフレット、中の写真がとっても素敵なんです。建築当時のコンセルトヘボウの写真が載っていたり。
今回の座席は落ち着けそうな端の席をゲットしていたのだが、舞台寄りの席のカップルの女性から「風邪を引いて咳気味で、途中退室するかもしれないので席を替わっていただくことはできますか」と聞かれ、替わって差し上げたのでありました。まあハイティンクの姿をより近くで見られたのはよかったかな。
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