風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

Mahler: Symphony No. 9 / Haitink · Berliner Philharmoniker

2017-12-16 22:45:32 | クラシック音楽

Mahler: Symphony No. 9 / Haitink · Berliner Philharmoniker



オランダの名指揮者、ベルナルド・ハイティンクが1961年にロイヤル・コンセルトヘボウ管の首席指揮者に就任した時、ヴィレム・メンゲルベルクに端を発するオランダのマーラー演奏の伝統は、ナチスの独裁時代と第2次世界大戦を経て色褪せたものとなっていました。「私の故国では1945年までマーラーの上演は禁止されていました。マーラー演奏の伝統はもはやなくなり、その音楽はまったく新しいものだったのです」とハイティンクは語ります。彼は就任当初からマーラーの作品を積極的に取り上げ、1960年代初頭からのマーラー・ルネッサンスに大きく貢献。マーラー指揮者としての名声を不動のものとしました。


そのハイティンクが今回マーラーの交響曲第9番を指揮しました。作曲家の死後に行われた初演以降、この交響曲が「告別」や「死」という概念と密接に結びつけられてきたのも故なきことではありません。この曲を指揮することは大きな挑戦だとハイティンクは語ります。「マーラーの演奏で重要なことは、デュナーミクの差を明確に付けることです。すべてをメゾフォルテでドロドロに似たおかゆのような状態になってしまってはいけません。かつてカラヤンは『一つの作品にクライマックスは一つしかない』と言いました。そこに行くまでに撃ちつくさないことが大事なのだと」。ハイティンクがマーラーの最高傑作に数えられる大作を指揮する今回の機会では、彼のこれまでの集大成ともいえる芸術的な成果が聴かれます。
(BERLINER PHILHARMONIKER DIGITAL CONCERT HALL)


演奏会とその予習以外では普段の生活でクラシック音楽を殆ど聴かないため、存在は知っていても登録したことはなかったベルリンフィルのネット配信サービス。でもハイティンクが「特別なときしか演奏してはいけない曲」と言っているマーラーの9番をベルリンフィルで指揮する(昨年からNYPやLSOなどでも振っていますが)。その演奏が聴きたくてググってみたら、プライムシートで無料で聴けるとは 収録は今月3日のもの。ベルリンにて。※現在はデジタルコンサートホールで有料視聴可

そして知りましたが(勉強しないもので)、この曲の初演ってマーラーの死後だったんですね。
1909年夏に作曲開始。1910年4月1日に総譜の清書が完了。1911年5月18日に死去。50歳。若いなあ・・・。

マーラー自身がこの時期に死の影に怯え、《9番》の完成直後にこの世を去っていることから、《9番》を「死」と関連づけるのは決して間違いではないのだが、この時期のマーラーは自らが指揮した《8番》 の初演を大成功に終わらせ、アメリカ合衆国にも招かれ旺盛な指揮活動を行っている。マーラーの活動の最盛期は実はこの時期であり、そんなエネルギーが充溢していた時期だからこそ、否定的な世界に立ち向かい音にすることが出来たのだとも言えるのだ。実際、マーラーは《10番》で、《9番》のさらにまだ先へ行こうとしているのだから。また、マーラーの作品に《9番》に限らず「死」を主要な主題としたものは数多くあるし、マーラー以外も、この時代の多くの芸術家は「死」を主題として多くの芸術作品を作り上げている。決して、《9番》はただ「死」の恐怖に怯えただけの作品ではない。
千葉フィルHP

この曲を生で聴いたのは昨年のヤンソンス×バイエルン放送響の1度だけで、そのときの演奏は一生心に残るような音楽体験の一つです。それはこのブログにも書きましたが、ヤンソンスから私達への、生きとし生けるすべての者への贈り物のように感じられました。
そして今回ハイティンク×ベルリンフィルの演奏を聴きながら、この曲と演奏は、マーラーとハイティンクから私達への贈り物なのだと強く感じたのでした。ハイティンクの指揮は本当に、不思議なほど作曲家の存在が体温をもって伝わってくるので、第一楽章から泣きそうになってしまって困った。するとすかさずハイティンクの「病院に行った方がいいですよ」という声が聞こえてくるという笑(from『マーラーを語る』)。今回のCD、出してほしいなあ。そしてこんな音楽を作れるなんてマーラーって本当にすごい才能をもった作曲家なのだなあということを改めて強く感じさせてもらえた演奏でした。

ハイティンクさん、やっぱりもう日本にはいらっしゃらないのかなあ・・・。そんな予感もしたから前回の日本ツアーの最終日に楽屋口でお見送りをしたのだけれど(私が指揮者の出待ちをしたのは後にも先にもあの時だけ)、もう一度、生で聴きたいなあ。あなたの指揮からしかもらえない音楽があるのです。
でも一方で、この演奏を地球の裏側からこうして聴くことができて、それを楽しめる心と体と環境が今の自分にあって、地球の裏側ではハイティンクが今も元気に指揮をしてくれていて、そのこと自体がすごく貴重で幸せなことなのだ、と感じます。

今年のクラシック鑑賞はシフのラストソナタシリーズから始まって、最後にこのマーラー第9番を聴いて。
人の一生は限られていて、死を逃れる人間は誰一人としていなくて、誰にもいつか必ず終わりは来るのだということははっきりとわかっていて、それは20代や30代の頃と違ってどんどん現実味を帯びてきています。
でも先月のブロムシュテットの演奏会でも感じられたように、今この瞬間、ブロムシュテットやハイティンクがこういう演奏をしてくれていて、それを私や私より歳が上の人達や若い人達が聴いて心を動かされている。それ自体がなによりも大切なことなのだと、教えてもらえた一年でした。
そして人間はその短い一生でこんなにも美しいものを生み出すことができるのだということ。それをこんなにも心動かされる演奏で伝えてくれる指揮者や奏者の人達がいること。そしてその美しさを受けとめられる心を持っている聴衆の人達がいること。そんなところに人間の美しさといっぱいの希望を感じさせてもらえた一年でもありました。

先ほどこの記事を書きながら日記を読み返していたら、ちょうど9年前の今日(12月16日)、アムステルダムに私はいたのだった。またすぐに行くこともあろうと思っていたのに、気付けば9年。ということはハイティンクを初めて聴いてから、9年(聴いたのはロンドンだけど)。
過去も未来ももちろん大切だけれど、なによりも今を大切に生きよう、と改めて感じた年の瀬の一日でした。

ハイティンクさん、ベルリンフィルの皆さん、素晴らしい演奏を本当にありがとう。
地球の裏側より、心からの感謝を込めて
来年6月のコンセルトヘボウとのマーラーも、ぜひお元気で振られますように。

※2011年のRCOとの演奏はこちらで、2016年のNYPとの演奏はこちらで聴けますよ~



アムステルダム中央駅。
ブリュッセルから真っ赤なタリスに乗って行きました。シートも真っ赤
この印象と、映像で見るコンセルトヘボウの赤い絨毯の階段と、東京文化会館でお見送りをしたときにハイティンクがしていた赤いマフラー(だったかな)とで、私のオランダのイメージカラーはすっかり


駅の壁も赤い煉瓦。
寒々しい光景でしょ笑 
でも私、ヨーロッパは冬の季節が一番好きなんです。



いい景色・・・(同意してくださる人はいるかしら


駅前のお店で買ったワッフル。帰りの列車の中にて

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ピエール=ロラン・エマール ... | TOP | Season's Greetings from the... »

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。