風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ムーティ&東京春祭オーケストラ @すみだトリフォニーホール(3月19日)

2022-03-21 20:59:47 | クラシック音楽




東京の春を彩る「東京・春・音楽祭 2022」が今年も無事開幕しました。ただそれだけのことがどれほど幸せなことか、と昨今の世界情勢の中でしみじみと感じさせられます。
ムーティ&東京春祭オーケストラの演奏会は春祭のオープニングコンサートとしてまず上野で行われましたが、私は2日目のすみだトリフォニーホールの方に行ってきました。
翌20日には、東京で開花宣言が発表されました(ムーティは上野の桜を見れたかな)。
うちの職場で受け入れていた学生さんも卒業して就職していき、長く一緒に働いた同僚も転職していき。春だなあ。。。

【モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543】
昨年『マクベス』で海外オケも凌ぐ大名演を聴かせてくれた、このコンビ。
今年は『仮面舞踏会』の演奏が予定されていましたが、ムーティの「きちんとアカデミーの客席に学生を入れるなど、完璧な態勢でやりたい」という意向を受けて来年に延期され、今年はモーツァルトとシューベルトの演奏会となりました。

今回のtwitterの感想では春祭オケの「緊張感」や「隙のなさ」が絶賛されていて、昨年のウィーンフィルには「やる気を感じられなかった」というものが多く見られました。でも、私の好みはちょっと違くて。ウィーンフィルのときの感想にも書いたけれど、私は音楽には隙がほしい人間なんです。隙というと言葉が悪いけれど、春祭オケがムーティの指示に懸命に従っている音色を好ましく感じつつ、私はウィーンフィルのあの指揮者やオケではなく"音楽そのもの"が自然に歌っているような演奏が好きなんですよね。昨年秋のムーティ&ウィーンフィルの『ハフナー』などはまさにそういう演奏で、「この一曲のためだけに25,000円払える」と感じたものでした。
それと比較とすると、今年の春祭オーケストラの特にモーツァルトは、音の自由な伸びやかさが足りないように私に耳には感じられてしまったんです。例えば柔らかな音の箇所も、「ムーティが柔らかな音を出すように指示していて、奏者はきちんと忠実に従っているのだな」ということが透けて見えてしまうような演奏だったというか(ド素人の印象なので悪しからず!)。とはいえムーティ&ウィーンフィルでも『悲劇的』などではやはり伸びやかさの足りないぎこちない演奏になっていたことを思うと、ムーティの精緻で丁寧な音楽作りは、調子のよくない時にはこういう演奏になりやすいのかもしれない
また、今回のモーツァルトはリハ不足もあったのかな?とも。もしあと数回演奏が重ねられた後に聴けたなら、より素晴らしい演奏が聴けたのではないかという気もしました。
以下は、春祭オケのメンバーである3人の奏者さん達の最近の座談会より。ムーティとの昨年の『ハフナー』の演奏を振り返って、話されています(ムーティは昨年春祭オケとも同曲を演奏しました)。

福川「あのモーツァルトはすごかった。リハの時から幸太に話してたんですけど、今までモーツァルトの交響曲のメヌエット楽章って、なくてもよくない? って思ってたんですよ。でもムーティが振ると、そのメヌエットの楽章がめちゃくちゃ意味を持ってくる。あれがあるからこそ、そのあとの終楽章がある。音楽家を名乗っているのに恥ずかしいんですけど、それが初めてわかりました。堂々として、品があって。言葉で表現しきれないものをこそ、音楽が表現するんだということを、まざまざと体験させてもらいました」
長原「メヌエットの楽章って、気を抜いてても弾けちゃうから、つい気を抜いちゃうじゃん。それを許さないんだよね。今度やるディヴェルティメントはメヌエットの楽章が2つある。とくにトリオのほうは、前にやった時と今回とで、遊びの要素に対する思い入れが俺の中で全然違うと思うんだ。だからそれは楽しみなんだよね。メヌエットで泣きそうになったのなんて、去年のムーティが初めてだったもん」
塩田・福川「わかる!」
塩田「ムーティのモーツァルトって、テンポは遅めかもしれないけど、遅くても軽さがあるというか…。あれが不思議なんだよ。重くならない」
福川「でもああいうのってさ、ムーティが振ってるとそういう音になるんだけど、じゃあそれを自分たちでやろうとすると、むずかしくない?」
長原「でもさ、今回はみんなそれを知っているメンバーだから、出したい音のイメージを共有できてると思うんだよね」
塩田「引き出しに入ってる」
長原「だから、ひょっとしたらムーティがいなくても、そういう音になるんじゃないかなと思ってる。みんながそれを目指してるわけだから」

こういうのを読むと、ムーティがクラシック音楽の未来を担う若い音楽家達に自分の学んできたものを伝えたいという想いがちゃんと受け継がれているのだな、と幸福な気持ちになる
そして塩田さんが仰っている「ムーティのモーツァルトの不思議な軽さ」というのは、私がウィーンフィルという楽団に感じる特徴でもあるな、と(ウィーンフィルの場合は「軽さ」というより「長い伝統の厚みを伴った不思議な軽やかさ」と言った方が正しいけれど)。
ムーティは昨年のニューイヤーコンサートの際に「彼らからウィーン音楽の典型的なフレージングを学びました。また多くの音楽的なアイデアを習得しました。私にとって”ウィーンフィルの音楽の作り方”が、まさに音楽の理想型なのです。」と言っていたけれど、モーツァルトの表現も、おそらくムーティはウィーンフィルから学んだのではないかしら、と想像するのでした。
ちなみにムーティの『39番』は、個人的に4楽章が好きです。流れるように心が浮き立つ感じが好き。それは今回聴いた春祭オーケストラでも感じることができて、ニヤニヤしちゃいました。

(休憩20分)

【シューベルト:交響曲 第8番 ロ短調 D759《未完成》】
これは素晴らしい演奏だったなあ。
この曲でもオケのぎこちなさは少々あるにはあったけれど、でもとてもいい演奏だった。SNSで前日の上野の演奏について「1楽章のティンパニの叩きが強烈で恐怖を感じさせた」という感想を多く見かけたけれど、今夜はムーティが修正を入れたのかティンパニは抑え目な音にされていました。その分、1楽章は弱音部分の不穏さにゾクゾクしました。冒頭の弦の「ファミファレミファソファソラシド」は楽章内で繰り返し登場するけれど、その度に得体のしれない不安が迫ってくる感覚が強まっていって凄かった。そして、そこに混ざる長調の主題の美しさに泣きそうになった…。シューベルトってどうしてこんな音楽を思いつくのだろう。よく作家が「言葉が降りてくる」という表現を使うけれど、本当にどこからか降ってきたのだろうとしか思えない。
2楽章も、胸がいっぱいになりました。1楽章と同じく長調と短調の交差する様は単純にそれらが対比されているのではなくて、最初は恐ろしい不安に打ち勝ちたいという想いがそこにあったのが、やがて諦念となり、慰めとなり、祈りとなっていくような…。モーツァルトとは違う種類の、シューベルト独特の音楽の清澄さ…。
この曲を今の世界情勢と重ねて聴くことも可能かもしれないけれど、シューベルトの音楽ってベートーヴェンと異なり交響曲でも響きが私的なんですよね。なので今回も、やはりシューベルトという一人の人間や人生を強く感じながら聴いていました。
2楽章の長調の響きは、まるでマーラー9番のよう。
シューベルトがこの作品を書いたのは25歳のとき。この年に彼は当時不治の病と言われていた梅毒の診断を受けて、六年後に31歳で亡くなった。
誰にも演奏されないかもしれないのに、彼はなぜこんな音楽を作れたのだろう…。彼はこの曲がオーケストラによって演奏されるのを一度も自身の耳で聴けていないのだろうか。未完成でも、非公式だとしても、一度も聴いていないのだろうか。これほどの響きを…。
それは悲しい想像だけれど、でも、村上春樹さんがシューベルトの人生について書いた「何かを生みだす喜びというのは、それ自体がひとつの報いなのである。」という言葉を思い、少し救われる。

【シューベルト:「イタリア風序曲」ハ長調 D591】
これも素晴らしかったなあ。帰りの電車の中でも、帰宅してからも、この明るいメロディーが耳の奥で鳴っていました。まるでオペラを聴いているよう。
今回のプログラムの3つの作品。通常ならメインの『未完成』で終わるのが普通だと思うのだけれど、今回の演奏会では最後がこの曲となっている意味がわかる気がしました。
18日の記者会見で、春祭実行委員長の鈴木幸一氏は次のように話されたそうです。

「ムーティさんと『《未完成》の第1楽章と第2楽章のどちらが好きか?という話をした。私は第1楽章だが、ムーティさんは第2楽章だと言う。『第2楽章は「祈り」だ。あそこまで深くなると残りは書けなくなる』と言っていた。その言葉に私は心を打たれた。音楽祭の最後は『祈り』である。でも人間は『祈り』だけでは生きられない。この音楽祭が人々にとって豊かな記憶や思い出となるようにしたい」twitter情報より)。

今回のプログラムでムーティが最後に明るく前向きな『イタリア風序曲』を置いたのも、「音楽の役割」について鈴木氏と同じような想いがあったからではないかしら。ムーティは初日のスピーチで「若いオーケストラ、若い音楽家の存在は、より良い未来への希望です」と言っていました。
それは、鈴木氏が東京春音楽祭を始めたきっかけとなったエピソードにも通じるものです。

(鈴木氏が)1970年代に仕事でプラハを訪れたのは、ドプチェクの改革運動「プラハの春」のあとの時期。ソ連がワルシャワ条約機構軍を率いて軍事介入し、プラハ中心部のヴァーツラフ広場にも戦車が並んでいるような状況だったそうです。

「仕事が終わった僕が帰国しようとしたら、地元の人々が『もうすぐプラハの春音楽祭だから、それを聴いてから帰国しろ。音楽祭だけが私たちの誇りだ』と引き止めるんですね。占領下で、本当に真っ暗な時代。でも人々は、音楽祭があるから生きていられるという。それぐらい音楽が強い力で喜びを与えてくれる。その体験が、この音楽祭を始めたきっかけです」
開幕記者会見より)


演奏後は、2回のソロカテコがありました。
2回目では舞台袖から走り出てきたムーティ。80歳なのに背筋が伸びてて、若いなあ
来年の春に再び上野でお会いできるのを楽しみにしています!


どうなる?水際対策──ムーティは「心配するな」と力強く(続・ふじみダイアリー)
コロナ禍でムーティが無事来日できるのかを心配していた春祭事務局に対し、ムーティは「東京春祭オーケストラと演奏することは、わたしの中でも非常にプライオリティが高い仕事だ。日本には絶対に行く。心配するな」と言っていたと
ちなみにこの記事にサラリと書かれてある「12月にイタリア・オペラ・アカデミーが本拠地のラヴェンナでなくミラノでの開催された」の件、その裏であった諸々のニュースを最近知りました(昨年5月のウィーンフィルを率いてスカラ座で公演をしていたムーティとその楽屋を訪れたシャイーとの一件を含め)。ツィメルマンやシフもそうだけど、音楽家の人達って本当に毎日色々なことが起きていますよね…。そしてslippediscの恐ろしいコメント欄を読むたびに「音楽家って精神的にタフじゃないとできない職業だな…」と感じる…。
ムーティが自伝でも「その話はしたくない」の一言で終わらせているスカラ座辞任事件。この記事が事実なら、16年たっても怒りが収まっていないムーティはスカラ座のオケを二度と指揮するつもりはなく、奏者達もムーティには二度と会いたくないと固く決心している、とのこと。ハイティンク&コンセルトヘボウにもいえることだけど、過去にどんなに蜜月関係があっても(あったからこそ?)、一度関係が壊れるとなかなか元には戻れないものなんですね…。まるで夫婦のよう…。

ムーティ&東京春祭オーケストラのリハーサルが始まりました!(続・ふじみダイアリー)

東京春祭オーケストラのメンバー表

シューベルト 「未完成」 交響曲の話(藤岡幸夫official site)
藤岡さんのシューベルトの話、シューベルト愛が強く感じられて好きなんです。

※以下は、18日の演奏前にムーティが英語で行ったスピーチの全文です。春祭公式HPより。
内容は先月28日にシカゴ響で行ったスピーチの方が遥かに直接的で強烈ですが(その前の24日にもスピーチをしています)、今回は東京春音楽祭ですし、日本で行うスピーチとしては今回のような愛と平和を全面に出した内容の方がやはり合っているのだろうな、と思う。

こんばんは。
日本語を話せなくて申し訳ないですが、コンサートの前に、一言だけお話ししたいと思います。 まず、18回目の「東京・春・音楽祭」のオープニングを飾ることができ、大変嬉しいです。 この素晴らしい祭典の主催者にお祝いを申し上げます。

次に、数日前にシカゴ交響楽団の指揮台からも申し上げましたが、世界の劇的な状況の中で音楽を演奏することは、我々や特に若い音楽家にとって非常に困難なことです。
もちろん、ウクライナのことを考えています。

ベートーヴェンが音楽に込めたように、音楽は、調和、美、平和、兄弟愛をもたらすはずです。
その一方で、罪のない人々が殺されていることや、女性、男性、子供から、自由、誠実さ、尊厳が奪われていることを知りながら、音楽を奏でることは困難です。
どんな状況であっても音楽を絶やしてはいけません。

そして、このような困難な状況にもかかわらず、皆様がここに来てくれた。
そして、先日の強い地震に私も遭遇しました。それでも皆様がここに来てくれた。
そして、私たちは皆様のために演奏し、ウクライナの人々のために演奏し、苦しんでいる世界中のすべての人々のために演奏します。

皆様は、ジュゼッペ・ヴェルディの《シモン・ボッカネグラ》の音楽をご存じだと思います。
シモンは泣いてこう言います。

E vo gridando: pace!
E vo gridando: amor!

「私は叫びたい、平和を!」と
「私は叫びたい、愛を!」と

必死に求め、平和と愛を手に入れるために泣いているのです。

この精神と共に、私たちは皆様のために演奏します。
若いオーケストラ、若い音楽家の存在は、より良い未来への希望です。
ありがとうございました。

KONBANWA.
Before the concert, I am sorry I don’t speak Japanese yet.
But before the concert, I want to say just a few words.
First, it’s a great pleasure for me to open the 18th edition of the Spring Festival in Tokyo, and I want to congratulate the organizer of this wonderful festival.

Second thing, it’s very difficult, as I say that from the podium of Chicago Symphony Orchestra few days ago, it’s very difficult for us, and especially for the young musicians to play music in a dramatic situation in the world. Then I am thinking, of course to Ukraine.

Music brings, or supposes to bring harmony, beauty, peace, as brotherhood, as Beethoven put in music. It’s difficult to play music when we know in the meantime when innocent people are killed. And other people take away from women and men and children, freedom, integrity, dignity.
In any case music must go on.
And the fact that you are here, despite the difficult situation, And I experienced with you a strong earthquake, but still you are here. And we will play for you, we will play for people of Ukraine and all the people in the world that are suffering.
You know, am sure that many of you, know the music of Verdi, Giuseppe Verdi and Simon Boccanegra, Simone cries and says,

E vo gridando: pace!
E vo gridando: amor!

And asking desperately, and I am crying to have peace, to have love. With this spirit we will play for you.
I want to say for that presence of young orchestra, young musicians is good hope for better future. Thank you.



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