風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1966回定期公演 Cプロ(2日目) @NHKホール(10月22日)

2022-10-26 20:51:58 | クラシック音楽



 シューベルトの交響曲は、《未完成》と《グレート》を除く6曲が、初期の完成作とみなされる。[Cプログラム]では、その最初と最後の作品を聴く。
 ウィーンの神学校に通っていたシューベルトは16歳で《交響曲第1番》を書いた。この頃、彼は友人たちと日夜アンサンブルを楽しみ、作曲に励んだというが、10代のブロムシュテットも兄を含む仲間とカルテットを結成し、活動に熱中した。純粋なアマチュア精神は二人に共通するキャリアの原点であり、マエストロが一貫してシューベルトに愛情を注ぐ理由の一つかも知れない。
 第1番の4年後、自ら“大交響曲”と銘打った《交響曲第6番》には、青年作曲家の自負がみなぎる。ハイドンやベートーヴェンの影響を受けながら、リートやオペラを思わせる豊かな歌謡性はまさにシューベルトの世界。
 ブロムシュテットは40年以上前にドレスデン・シュターツカペレとシューベルトの交響曲全集を録音しているが、その後の研究により、当時とは全く違う作品像が提示されるはずだ。

N響公式ページ


【シューベルト:弦楽四重奏曲 第6番 ニ長調 D. 74─第3楽章、第4楽章(開演前ミニコンサート)】
N響メンバーによる開演前のミニコンサート。「すっかり恒例になりました」と挨拶で仰っていて、え、私は今回初めて知ったと思ったら、Cプロ限定なんですね。今回の交響曲第1番と同じ16歳のときにシューベルトが作曲した弦楽四重奏曲が演奏されました。
3~4楽章のみの15分間でしたが、私は室内楽を聴く機会が少ないので楽しかったな。シューベルトやブラームスってオーケストラ作品より室内楽作品の方が「らしさ」が出ているように感じるときがある。

【シューベルト:交響曲 第1番 ニ長調 D. 82】
【シューベルト:交響曲 第6番 ハ長調 D. 589】
※休憩なし

今日のブロムさんは、ゲストコンサートマスターの白井さんに支えられてご登場。でも足取りは先日のAプロよりずっとしっかりされているように見え、指揮台にもバーにつかまりつつ軽い足取りで上がっておられた
指揮姿も上半身の動きがすっかり以前のブロムさんで、ほっとしました。

私がブロムさんの指揮を今のように聴くようになったきっかけは、2017年にみなとみらいホールで聴いたゲヴァントハウス管との『ザ・グレート』に大感動したからなのですが(ちなみにこれまで行った演奏会の中で最も空席の多い演奏会でもありました…)、あれからブロムさんのシューベルトを聴ける機会はなく。
今回久しぶりに聴くことができて、やはりとっても好きだなあと再確認。
N響なのでゲヴァントハウス管のようなドイツ的な響きではないけれど、もう一度「ブロムさんのシューベルト」の響きを体感できて本当に嬉しい。
『ザ・グレート』ではブロムさん&ゲヴァントハウス管と方向性が全く違って別の曲のようだった(そして同じくらい感激した)昨年のムーティ&ウィーンフィル。
今回も6番は彼らの演奏で予習してみたけど、ブロムさんとは音の出させ方が全く違うことを今日のN響を聴いて改めて感じました。
1番でも6番でも木管の音の出させ方や音楽の流れ方がtheブロムさんで、その清澄で明るい音色にはあの日のグレートを思い出ました。ムーティと比べるとよりドイツぽく、でも伸びやかで、ベートーヴェンの響きを彷彿とさせると言えばいいかもしれない。同時にシューベルトらしい親しみやすさもあって、自分もシューベルティアーデにお邪魔させていただいているような、そんな感覚を覚えました。
なんか、心が洗われたな。自分の心も綺麗になれたような、自分の人生を赦してあげてもいいような、そんな気持ちになれた。大袈裟かもしれないけど、そうなんです。
ブロムシュテットのシューベルトをもう一度、こんなに素敵な演奏で聴けて、感謝しかありません。
N響はブロムさんの指揮では温かで献身的な音を出すね、いつも(というかブロムさん以外の指揮者でN響を聴いたことがないのだけれど)。今日も美しさに呆然と聴き入ってしまう瞬間が何度もありました。95歳でスイス?から日本までの長旅が体の負担にならないわけがないので、N響との演奏会を大切に思っておられるからこそ来日してくださったのだと思う。
そして先週よりも明らかにお元気になっている様子を拝見して、こうして指揮をしていることでブロムさんも若返るのかも、とも

1817年10月から作曲を始め、翌1818年2月にかけて完成されたこの第6番は、シューベルトの死後1ヵ月後の1828年12月14日にウィーン楽友協会主催の音楽祭で初演が行なわれた。元来、シューベルト自身は第8番(『ザ・グレート』)の演奏を希望していたが、あまりにも演奏至難だったために拒絶され、替わりに本作品の楽譜を提出し、演奏された。
(wikipedia)

シューベルトは『ザ・グレート』を完成直後の1826年と死の直前の1828年に二度に渡ってウィーン楽友協会に提出したけれど、演奏の困難さを理由に拒否されている。替わりに同じハ長調の第6番が受け入れられ、シューベルトの死後一ヶ月後に初演された。一方『ザ・グレート』は世の中からすっかり忘れ去られ、シューベルトの死から10年後の1838年、自筆譜がシューマンにより発見され、翌年の1839年にメンデルスゾーン指揮ゲヴァントハウス管により初演された。
あれほどの傑作を書き上げて(本人がその価値は一番わかっていたと思う)、なのにその演奏を拒絶され、演奏される目途が立たたないままに死んでいくのはどれほど無念だったろうと思わずにいられないけど、同時に、村上春樹さんがシューベルトについて書いた次の文章を私はいつも思い出すのです。

音楽を書きたいように書きまくって31歳で彼は消え入るように死んでしまった。決して金持ちにはなれなかったし、ベートーヴェンのように世間的な尊敬も受けなかったけれど、歌曲はある程度売れていたし、彼を尊敬する少数の仲間はまわりにいたから、その日の食べ物に不足したというほどでもない。夭折したせいで、才能が枯れ楽想が尽きて、「困ったな、どうしよう」と呻吟するような目にもあわずにすんだ。メロディーや和音は、アルプス山系の小川の雪解け水のように、さらさらと彼の頭に浮かんできた。ある観点から見れば、それは悪くない人生であったかもしれない。ただ好きなことを好きなようにやって、「ああ忙しい。これも書かなくちゃ。あれも書かなくちゃ」と思いつつ、熱に浮かされたみたいに生きて、よくわけのわからないうちに生涯を終えちゃったわけだから。もちろんきついこともあっただろうが、何かを生みだす喜びというのは、それ自体がひとつの報いなのである。
(村上春樹「意味がなければスイングはない」)

考えてみると私はブロムさんの指揮でシューベルトの最初、真ん中、最後の交響曲をそれぞれ聴けたことになるのだな。
来週(これを書いている今はもう明日だけど)は今年のブロムさん&N響の最終公演のグリーグ&ニルセンに伺います。チケットは完売とのこと。

※曲目解説:フィルハーモニー10月号











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