風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ロンドン交響楽団 @サントリーホール(10月5日)

2022-10-07 21:58:51 | クラシック音楽



4年ぶりに来日したロンドン交響楽団の、サントリーホール2公演に行ってきました。
ラトル&ロンドン響は前回がこのコンビでの初来日で、その後コロナ禍を挟んで来日できず、今回が最後の来日となってしまったのでありました。
4年前と同じく、最っっっ高に幸せな気持ちにさせてもらえた2日間だった
まずは1日目の感想から。

【シベリウス:交響詩『大洋の女神』Op. 73】
【シベリウス:交響詩『タピオラ』Op. 112】
前回の来日公演で聴いたこのコンビの5番が素晴らしかったので、この日の私のお目当ては前半のシベリウス2曲でした。
しかし。
なんか皆さんお疲れ気味・・・
前日の休みで気が抜けちゃった?
とんがった音色や、美しい強奏や、どこから聴こえてくるの?な弱音に流石だなあとは感じつつ、なぜかオケに4年前のようなワクワクする雰囲気がなく、音も今一つ集中力と覇気が欠け、音楽が細切れに聴こえるというか。
ラトルだけはいつもどおり頑張っていたけど、いかにせこれは・・・。
いや決して悪くはないんですよ。金管は前回来日時より明らかに状態いいし。でも、消化不良でモヤモヤ。
特にソロを吹いたオーボエとフルートが・・・。まさかこの2人が後半のブルックナーも担当するんじゃなかろうね?と心配していたら、後半は2人とも交代でホッ(ごめんなさい、でもほんと気になったの…)。

※後でSNSで知りましたが、LSOは4日は朝から北朝鮮のミサイルのJ-Alertで起こされ、その後束の間の休暇を札幌で満喫し、それから東京へ移動。ブラスセクションの一部は同日銀座の高校を訪問し、その後イギリス大使公邸でミニリサイタルを行ったとのこと。「女王を偲んで英国の曲が演奏された」そうだけど、何の曲だったんだろう?(そういえば先日の女王の国葬でパーセルがオルガンで演奏されてて、ハイティンク&LSOの来日で聴いたなぁと懐かしかった)。皆さんお疲れなわけだ。そもそも30日京都、1日大阪、2日川崎、3日札幌、4日移動、5日~7日東京、8日移動、9日北九州、10日移動、11日〜韓国って・・・・・・。相変わらずの激務ね・・・。

(20分間の休憩)

【ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(B-G. コールス校訂版)】
この曲を生で聴くのはハイティンク&ロンドン響(2015年)、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管(2017年)に続いて3回目。
まずは気になっていたオーボエ&フルートが交代されて一安心(後半はJuliana KochとGareth Davies)。
オケ全体も後半は集中力増し。
ロンドン響のブルックナー7番は、2015年のハイティンクとの演奏が強く深く心に刻まれていて1000%満足しているので、今回は特に期待も予習もしていませんでした。
でも待てよ、と。せっかくチケットを買ったのに、予習なしでいきなり前回のラトル’sマーラー9番のような洗礼を受けるのは危険かも、と当日午前にバーミンガムとの三楽章以外をyoutubeで見つけたので聴いてみたんです。
そしたら、これはアリかも、と。
人によって好き嫌いがはっきりと割れそうだが。
今日のブルックナーも、傾向としてはバーミンガムのそれと同じ。
つまり前回のマーラー9番の印象と同じで、これは当時私が書いた感想↓
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ここで盛り上げていけば別世界の光景が広がるのに!という部分をあえて淡々と流して、ここの一瞬の沈黙が全てを物語って最高なのに!という部分に沈黙をいれないで、ここを鋭く演奏すると最高にかっこいいのに!という部分を滑らかに演奏させて、ガラッと空気が変わるはずの部分を変えないで、、、そういう諸々が単純に「もったいない」と思ってしまったんです。ラトルの見せたい世界を見せるためには、これほどの犠牲を払わないとならないのだろうか・・・と(ラトルはそれを犠牲とは考えていないと思うけど)。
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普通に演奏すれば大感動の音楽なのに、敢えてそれをしない、もったいないとも感じられてしまうやり方。
でも今回は、これはこれでとても良いブルックナーだと感じたんですよね。前回の大人買いでラトルの音楽作りに慣れたせいもあると思うけど。
ハイティンクのときのようないつまでも深く心の中に後を引いて残る感覚はないし、どちらか一つを選べと言われれば私は即答でハイティンクのブルックナーを取るけれど(あの夜の演奏は私の中で別格なので)。
でも今日の演奏、妙に耳に残る演奏だった。
なんというか、自然の安定、的な。
2楽章の安定した美しい音のハーモニーでは、ヤンソンスのマーラー9番を少し思い出してホロリとした。
こういう音のコントロールはラトルの特徴でもあるよね。曲によって良くも悪くもになるけど、この曲では良い意味ではまっているように感じました。そして普段聴こえない音が聴こえて、淡々と流れてるようで他とは違う新鮮な風景を、彼だけの風景をちゃんと表出させている。
今ならラトルのマーラー9番にも感動できるかもしれん。
4楽章はクライマックスが多すぎじゃね?とか(少々単調に感じられた)、LA席だったので大音量に左耳が痛くなったりもしたけれど(しかしこの席はつくづく聴こえる音のバランスが悪いな…。ラトルの表情がよく見えたのとワグナーチューバがこちら向きだったのがせめてもの救い)、フィナーレではちゃんとそれらを上回るクライマックスを作ってくれた。あのホールを満たす合奏の響きの神々しいまでの多幸感
なのに。
響きが完全に残っているうちのフラ拍手。今日の公演はTDKの関係者&招待客らしき人達がとても多かったので、仕方がないのかも。「LSOってどういう意味?」なんて会話も普通に聞こえてきてた。とはいえ個人的には、演奏後の拍手のタイミングまで場内でアナウンスする(させる)方向性には賛成できませんが。芸術って根本的に、最大限なぎりぎりまで自由な場にあるべきものだと思う。フラ拍手にはめっちゃ腹立つけど。

それにしても金管、美しかったなあ。。。。。。今回の来日公演、ブラスセクションの輝かしい音色にやられっぱなしです。

・カテコのとき、RA席でブラボー布を掲げた女性に「上下が逆になってるよ」と根気よく教えてあげるラトル。奏者の譜面台から7番のパート譜をとりあげて掲げ、ブルックナーとコールスへの賛辞も示していました。

・今日の指揮は全曲暗譜だったけど、あんなに指揮台ギリギリまで出て下を見ずに動きまくって、よく落ちないものだ、と妙な感心もしたり。

・コールス版の違いは、私にはわからず。

・今夜のブルックナーを振るラトルはまさに全身全霊といった感じで、ツィメさんが前回の来日ツアーの際に『不安の時代』を指揮するラトルについて言っていたことはきっと本当なのだろうな、と感じました。以下、再掲。

「サイモンは『彼がここにいた気がする』と、昨日も含めて、ツアー中に何度も言っています。バーンスタインはこの曲の中に信じられないほど存在し続けているのです。私はツアー中に何度も涙がこみ上げてきましたが、ラトルは音楽にのめり込んでいました。彼は全身全霊をかけていたので、そのまま死んでしまうのではないかと心配になるほど、すべてを捧げていました。私がいつも生徒に繰り返し聞かせるように『私たちが音楽の最初の犠牲者にならなければならない』のです。その信念が一番大切で、それがない人は職選びを間違えたと言えましょう」
(『音楽の友』2018年12月号)

・「ラトルはブルックナーの人ではない」という声をチラホラ聞くけれど、ラトルってブルックナーも普通に好きだよね。好きじゃなかったらコールス版やら9番完全版なんて手を出さないと思うし、以前もご紹介した9番についてのインタビューも、ブルックナーへのこだわりを感じる。この中でラトルは「ブルックナーはワグナーのようにではなくシューベルトのように演奏すべきだ」と言っていて、彼のブルックナーの独特の「安定さ」の理由はこういうところにもあるのかな、と。

it is very important for conductors and orchestras to understand that there is so much Schubert in Bruckner. We should not make the mistake to play Bruckner much differently from Schubert. It has to be as ‘classical’ as Schubert, and very disciplined because this is very expanded music after all, as Schubert’s late quartets are very expanded. I never forget what Günter Wand once said to my orchestra: 'Bruckner’s harmonies are romantic but the rhythms and the structure are classical'. I found this so important that I kept saying it, over and over again. He was absolutely right, because you cannot lose this frame, be indulgent with it. You really must be strict about the rhythms, the structure and the relations. The harmony may lead you to Wagnerian flexibility, but that is a grave mistake. Bruckner’s great admiration for Wagner does not mean that his music ‘walks’ in the same way.

・今日のプログラムを聴いて、シベリウスとブルックナーの相性はとても良いと感じました。私が宗教的でない人間のせいかもしれないし、自然が神そのものと思っている人間だからかもしれないけれど。そういえばハイティンクは7番の指揮を学ぶ生徒に「神ではなく山について、もっと考えを巡らせなさい」と言っていたな。

「ブルックナーとシベリウスの交響詩では、自然がぶつかりあい、進化を遂げる。どちらも自然の力を感じる作品です。B-G.コールスは優秀なブルックナーの研究者。自分の考えを差し置いてブルックナーが何を書いたのかにとことん誠実に向き合った版です。だから今回私たちは“正しい7番”を演奏できると思う。」
(来日前のインタビューより。ontomo

※サイモン・ラトル指揮、ロンドン交響楽団の来日ツアー前にこだわりのブルックナー作品『交響曲第4番』がリリース(Mikiki

翌6日公演の感想はこちら

 

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