風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

カヴァコス・プロジェクト2022 @紀尾井ホール(10月9、10日)

2022-10-12 19:03:21 | クラシック音楽



【J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン】
10/9

パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
ソナタ第2番 イ短調 BWV1003
ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
(アンコール)
ソナタ第1番-1、4
パルティータ第2番-1
ソナタ第1番-3
パルティータ第1番-7
パルティータ第3番-1

10/10
ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002
パルティータ第2番 ニ短調 BWV1004
(アンコール)
ソナタ第3番-3
パルティータ第3番-3
ソナタ第3番-4
ソナタ第2番-3

※両日とも2曲目の後に休憩あり


3年がかりのカヴァコス・プロジェクト、2年目の今年は、バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータの全曲演奏会。
バッハの無伴奏ヴァイオリンの全曲演奏を聴くのは、昨年のファウストに続いて二回目です。

ところで紀尾井ホールでリサイタルを聴くのはエマール、アンデルシェフスキ、そして今回のカヴァコスで3回目なのですが(全部バッハ…)、今までも薄々感じてはいたけれど、わたし、このホールの音響が得意ではないのかもしれない
世間では抜群の音響と言われている理由もよくわかるのだけど、私の耳には音が届きすぎるように感じられ、ここで演奏を聴くといつも音楽より楽器を聴いているような感覚を覚えてしまう。エマールもカヴァコスもタケミツホールではそういうことはなかったので、となるとホールと私の相性がよくないのかも、と。ただ紀尾井ではこれまで全てR側バルコニー席だったので、次回は正面席を試してみたいと思う。

とはいえ今回の2日間のリサイタル、非常に楽しめました。
カヴァコスの無伴奏は協奏曲のアンコール時に3回聴いたことがあるだけで、改めてちゃんと聴いたのは今回が初めて。予習なしだったので、一曲目から「カヴァコスってこういうバッハを弾くのか」と驚いた。私は彼の弾くブラームスが大大大好きなのだけど、バッハもブラームスのような勢いのある演奏で(と私には感じられた)、最初は戸惑ったのが正直なところではありました。加えて耳慣れない装飾音?も聴こえてくるので、全く知らない曲を聴いているよう。
本来の私の好みはもう少し正統的なバッハなのだけど(何を正統的とするかは人それぞれですが)、ではカヴァコスの演奏が不自然だったりキワモノ的だったかというとそんなことは全くなく。ホール中に”カヴァコスのバッハの世界”が力強く広がっていく感覚に心動かされました。

皆さんもSNSで書かれていたとおり、一日目の最初のうちの演奏は明らかに調子がよくないように聴こえました。私の場合は彼のバッハ演奏自体への戸惑いもあったので、安心して音楽に浸れるようになったのは休憩後の3曲目(ソナタ第3番)くらいからだったろうか。
ソナタ第3番-4.Allegro assai(二日目のアンコールでも演奏)はホール中を音の光や波が満たしていくようでしたし、一日目のアンコールの最後に弾き直し?として弾かれたパルティータ第3番-1.Preludioは最初の不調だった演奏とは別物のように素晴らしく、複数の楽器のオーケストラを聴いているようで心動かされました。
二日目のシャコンヌも、独特の演奏ではあったけれど、後半にホールに広がっていく音色に胸にこみ上げてくる瞬間がありました。

でも最も心に響いたのは、二日目のアンコールの最後に演奏されたソナタ第2番-3.Andante。シャコンヌを別にすると、無伴奏ソナタ&パルティータの中で最も好きな曲です。
私の席は舞台袖の様子が見える席だったのですが、このとき舞台に戻る前、カヴァコスは、一緒に舞台に出てほしいと誰かを何度も手招きしていて、でも断られた(遠慮された?)ようで、諦めたように一人で舞台に出てきました。誰を呼んでいたんだろう?AMATIの社長さんとか?とその時は思ったのだけど(以前にツィメさんがJapan Artsの会長さんを舞台に連れ出したときと似ていたので)、今思うと通訳さんだったのかな、と。
一人で舞台に戻ったカヴァコスは、英語で挨拶を始めました。要約すると、以下のような感じ。

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今日はこの素晴らしいホールで皆さんのために演奏できたことを嬉しく思います。静かに音楽に耳を傾けてくださった皆様に感謝します。※ここで客席から笑い(
音楽において静寂はとても大切で、全ては静寂から生まれ、静寂に還ります。
ですから私は今日の演奏会を静寂で終えたい(closeしたい)と思います。今からソナタ二番のアンダンテを演奏します。どうか演奏が終わった後、拍手をしないでいただければ幸いです。 ※ここでも客席から笑い(
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これは無理だよカヴァさん……。日本人は言われていることの意味さえ理解できればみんな絶対に守るけど、おそらく今日の客席でカヴァさんの言葉を理解していたのは半分か、多くても3分の2。笑いが起きていたのは、意味を理解しないで笑っていたのだと思う。あの意味を理解していたら笑えるはずがない。意味を理解していないのに笑う理由は……私にはわからん(でも見慣れた光景)。
「演奏後はしばらく静寂を」ならまだしも、「静寂のまま演奏会を終えたい」は言葉の意味がわからないなりに周りの空気から察するには難易度高すぎる。
演奏後は絶対に拍手が起きる、と100%思っていたので、案の定起きてしまったときも「まぁそうだよね」と特に怒りは湧かず(でもしばらくはちゃんと静寂が保たれてはいました)。カヴァさんは残念そうでしたね。ちょっと気の毒だったな。
ちなみに私の左隣の男性が休憩時間に読んでいた本はシフの『静寂から音楽が生まれる』でしたが、この男性でさえ拍手していた。右隣の男性と私は最後まで拍手しませんでしたが、半分くらいの人達が拍手していたかな。
カヴァさんからの意向を受けてなのか、演奏後もしばらく照明はつかず、もちろんカヴァさんは舞台には戻らず、会場内は少し微妙な空気に。そしてお開きとなりました。

でも、この最後の演奏は本当に素晴らしくて、強く心に響きました。前日に本プロで演奏されたときはここまでは心動かされなかったのだけど、やはり今日の方が調子がよかったのかな。あるいはアンコールとして、そしてあの挨拶の内容に合わせて、少し演奏の仕方を変えていたのかもしれません。
先ほども書いたように、シャコンヌを別にすると、この曲は全ソナタ&パルティータの中で私の最も好きな曲です。ファウストの時にも感じたけれど、一人の人間が前を向いて人生を歩んでいる、そういう音楽に聴こえる。どんなに辛くても、ボロボロになってよろけても、最後の瞬間まで私達は前に向かって歩んでいくしかないのだな、歩いていくのだな……と。カヴァコスの演奏を聴きながら、泣きそうになりながら、でも静かな力ももらえたのでした。
この無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータは全6曲中4曲が短調で、長調は2曲のみ。人生みたいだな、と感じます。そしてどちらも最後(第三番)が長調

「ハーモニーのリズムと、リズムのハーモニー。生きるという経験の中でカタルシス、つまり魂の浄化を得ることを目指す個人的な旅に乗り出すたび、この2つは決定的に大きな力になってくれる。そして、そうやってテーシス(神化・神成)、つまり人間が神の性質を得た状態へと近づく門の扉を開いてくれる」
「バッハはパルティータ第3番のプレルディオをオルガンと管弦楽用に書き直して、カンタータ第29番冒頭のシンフォニアに使った。カンタータ第29番には『神様、私たちはあなたに感謝します』というタイトルが付けられたが、このタイトルは6曲のソナタとパルティータすべてのタイトルとしても使えそうだ」
(2020年ベルリンのルーテル福音派「聖十字教会」で録音した全曲演奏の日本語版ブックレットより、カヴァコスの言葉)

ところでヴァイオリンリサイタルの恒例として、今日も客席には教育ママ風+小さな子供の組み合わせ多し。
演奏が始まる直前に二人の子供達の膝の上にそれぞれ楽譜を置くママ。女の子はすぐに拒否。男の子は最初のうちはパラパラ読みながら聴いていたけど、すぐに拒否。そして二人とも眠りの世界へ。ママは返された楽譜をパラパラ。
オケの演奏会でスコア本を目で追いながら聴いている人達もそうだけど、ネットのない数十年前じゃあるまいし、楽譜と見比べるのが目的なら配信聴けばよくない?譜読みは大事だけど、演奏会ってその時その場でしか体感できない響きと空気を全身で味わうものじゃない?楽譜を拒否した子供達は将来有望だわ、と思ったわ(寝ちゃったけど笑)。



永田町から紀尾井坂へ


すっかり秋だねえ




演奏会後は、ニューオータニの日本庭園を通って赤坂見附方面へ


『リヴィエラを撃て』の物語の始まりの場所


紀尾井=紀伊徳川、尾張徳川、井伊の三家のことだったと初めて知った。。。

★そして相変わらず可愛いカヴァコスのインスタ(旨そーだな・・・)★









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