風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

谷川俊太郎 『幸せについて』(2018年刊)

2022-04-20 20:26:46 | 




幸せなんてコトバ(ほんとは)要らない

本当に、そのとおりだと思うな。
幸せなんて言葉がなくても人は幸せを感じられるけれど、幸せなんて言葉があるがゆえに不幸な気持ちになってしまうということはある。
幸せという感覚は本来その人の内部にしか存在しない、他者と比べることなど不可能な極めて主観的なもののはずなのに、「幸せ」という言葉が存在するために、それが皆に共通する何かであるように錯覚し、他者のそれと自分のそれを比べようとしてしまう。幸せを量る共通の基準なんて、ありはしないのに。
世の中に溢れかえる「幸せ」というコトバ。
それが実はとてもいい加減なコトバで、そのコトバ自体には意味や価値はなく、それに振り回される必要など全くないのだということを、当たり前のことのようで、意外と私達は忘れているような気がする。
谷川さんは本書のあとがきで言う。

 本当の幸せというのは、そういうふうに、なんだか訳がわからないけれども自分の中から湧き出てくるものだというふうにぼくは考えています。それは人間の感情というより、イノチというものの持つエネルギーかもしれません。
 そういった「自分の中から湧き出てくる幸せ的なもの」というのは、毎日の暮らしの中である秩序を守って生活していると、本来はイノチの自然として、湧いてくるものなのではないでしょうか。(中略)ぼくもよく幸せなんてただの言葉にすぎないと思うことがあります。もし幸せというコトバがなかったら、ヒトは不幸せになることもなかったかもしれない。

「幸せ」なんてコトバに意味はないと思いつつ、あえて「幸せ」について言葉で探ってみようと思ったという谷川さん。
あるページでは、こう書く。

幸せはささやかでいい、ささやかがいい、不幸はいつだってささやかじゃすまないんだから。

ちょっと言葉遊びのようだけど、これ、わかるなあぁぁ。。。。。

・・・たしかに幸、不幸を問わずに生きられる人、生きられる世の中は悪くないと思う。でもそれを〈ぬるま湯〉の幸せと呼ぶ人もいたな。

不幸を避け続けてそれなりに幸せな人、幸福を追求するあまり不幸になってしまう人、どっちが幸せなんだろう。

この「ぬるま湯の幸せ」って、なんとなく谷川さんに対して佐野さんが仰りそうな言葉だな。
佐野さんから「どういうときが幸せ?」と聞かれて「ニュートラルな状態」と答えたら、「信じられない」と驚かれたと以前インタビューで仰っていたし(『考える人2016年夏号』)。
なんて書きながら、実は私、佐野さんについては谷川さんを通してしか知らず、その著作を殆ど読んだことがないんです。『100万回生きたねこ』を子供の頃に読んだきり。
佐野さんが幸せについて書いた『神も仏もありませぬ』、今度読んでみよう

鍵をあける幸せがあれば、鍵をかける幸せもある。訳ありの部屋のドアの話ととってもいいし、自分のココロの話ととってもいいよ。

私は鍵をかける幸せはもう十分に味わったし、これからも味わうことができると思うので、鍵をあける幸せを死ぬまでに少しずつでも増やしていけたらいいなと思っています。無理はしすぎずに。
最後に、1990年の谷川さんの詩集『魂のいちばんおいしいところ』から「やわらかいいのち」(抜粋)を。

・・・
どこへ帰ろうというのか
帰るところがあるのかあなたには
あなたはあなたの体にとらえられ
あなたはあなたの心に閉じこめられ
どこへいこうとも
あなたはあなたに帰るしかない

だがあなたの中に
あなたの知らないあなたがいる
あなたの中で海がとどろく
あなたの中で木々が芽ぶく
あなたの中で人々が笑いさざめく
あなたの中で星が爆発する
あなたこそ
あなたの宇宙
あなたのふるさと

あなたは愛される
愛されることから逃れられない
たとえあなたがすべての人を憎むとしても
たとえあなたが人生を憎むとしても
自分自身を憎むとしても
あなたは降りしきる雨に愛される
微風にゆれる野花に
えたいの知れぬ恐ろしい夢に
柱のかげのあなたの知らない誰かに愛される
なぜならあなたはひとつのいのち
どんなに否定しようと思っても
生きようともがきつづけるひとつのいのち
すべての硬く冷たいものの中で
なおにじみなおあふれなお流れやまぬ
やわらかいいのちだからだ

(谷川俊太郎『やわらかいいのち』より)

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