風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

上野の桜 2

2022-04-06 01:59:31 | 日々いろいろ




 戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当り前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。
 焼夷弾の大空襲は三月十日からはじまり、ちょうど桜の満開のころが、東京がバタバタと焼け野原になって行く最中であった。
 私の住んでるあたりではちょうど桜の咲いてるときに空襲があって、一晩で焼け野原になったあと、三十軒ばかり焼け残ったところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやっぱり焼け残っていたのが異様であった。
(中略)
 三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。
 まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風がヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。
 我々は桜の森に花がさけば、いつも賑やかな花見の風景を考えなれている。そのときの桜の花は陽気千万で、夜桜などと電燈で照して人が集れば、これはまたなまめかしいものである。
 けれども花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。
 ある謡曲に子を失って発狂した母が子をたずねて旅にでて、満開の桜の下でわが子の幻を見て狂い死する物語があるが、まさに花見の人の姿のない桜の花ざかりの下というものは、その物語にふさわしい狂的な冷たさがみなぎっているような感にうたれた。
 あのころ、焼死者と焼鳥とに区別をつけがたいほど無関心な悟りにおちこんでいた私の心に今もしみついている風景である。

(坂口安吾『明日は天気になれ  ~桜の花ざかり』昭和28年)


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