風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

セリーヌ・ディオン、レイクテカポ、寺田寅彦

2020-04-25 21:20:45 | 日々いろいろ




GWが始まりましたね。皆さまいかがお過ごしですか?
私はおうち生活を快適に過ごすべく、掃除をしたり、作ったことのないレシピに挑戦してみたり、録りだめていた番組を見たりと色々やっておりますが、昨夜から新たに始めたのは高級美白クリームを使うこと
考えてみてくださいまし。公園のお散歩もスーパーの買い物も控えてステイホームな今、こんなに長く家の中にい続けることってそうそうないですよ。これまでの人生で初めてかもしれない。嫌でも紫外線にあたれない今こそ!高級美白クリームを惜しみなく使って朝昼晩ステイホーム!GW後にどうなっているか楽しみでございます

なんてくだらないことを呟きついでに、もう一つくだらない話を。くだらないから書くのも迷ったのですが、でも意外にくだらなくもないのかもしれない、とも思ったので。
先日セリーヌ・ディオンが歌うブラームスの子守歌の動画をご紹介したじゃないですか。あの後youtubeの関連動画にセリーヌの動画が色々表示されるようになったのですが、最新動画がセリーヌからのメッセージだったので見てみたのです
その内容自体は医療従事者や運送業者への感謝とかステイホームのお願いとか、そういうよくあるメッセージだったのですが。その割に低評価が多いな?と思いコメント欄を読んでみたところ、そこに並んでいるのは「Satan」「Devil」「Adrenochrome」といった不穏な単語の数々・・・。
一体何事とググってみたところ、こんな記事が(英語で読むのが面倒な方は、日本語のこちらの記事をどうぞ)。
「ユニセックスの子ども服を発表したセリーヌ・ディオンが悪魔崇拝で糾弾される」というタイトルで、ペンシルベニア州の教会で司祭を務めるエクソシストの方が「セリーヌ・ディオンが立ち上げた子供服ブランドには悪魔崇拝的なメッセージが暗示されている」と警告しているという記事です(エクソシストという職業が現在でも存在していることにまず驚いた・・・)。
これ自体は2018年11月の記事なので少し前なのですが、youtubeのコメントの数々はここ一週間以内のもの。

で、「Satan」「Devil」についてはわかったけれど、「Adrenochrome」って?とググってみたところ、今年3月のこんな記事が。
ニュージーランドのマガジンで、記事のタイトルは「Down the rabbit hole with the Covid-19 conspiracy theorists(Covid-19陰謀論者と迷宮に迷い込む、といった感じでしょうか)」。
ハリウッドセレブ達がトランプ支持派によるCovid-19陰謀論に巻き込まれている、という内容です。
その陰謀論の一つが「アドレノクロム中毒のトム・ハンクスは、サタン教会の高位に就いているセリーヌ・ディオンからアドレノクロムを入手したことによりCovid-19に罹患した。トム・ハンクスはハリウッドのリベラルエリートの秘密結社にゴールデングローブ賞の受賞スピーチで暗号を送り…」云々というものだそうで
この記事の著者はCovid-19に関係する陰謀論の数々を羅列し、今このような陰謀論が広まっている理由として、2018年にラデン博士という心理学者が書いた「Why Do People Believe in Conspiracy Theories?(なぜ人々は陰謀論を信じるのか?)」という文章を引用しています。これがなるほどなあ、という内容で面白かったのでご紹介。例によってワタクシによる訳なので、間違っていたらゴメンナサイ。
博士曰く、人が陰謀論を信じる理由は主に3つあり、それは①理解と確実性への欲求②コントロールと安心感への欲求、そして③ポジティブな自己イメージを維持したいという欲求であると。
そしてこう続けます。
「ある出来事に対して説明を求めるのは、人間の自然な欲求です。だから私達は質問をし、また質問をするだけでなく、その答えをすばやく見つけます。それは本当の答えである必要はなく、自分を慰める、または自分の世界観に合う答えです。殆どの人は自分が信じていたものが真実ではなかったとわかると、ただそれを受け入れて次に進みます。しかし陰謀論者は偽りの信念を簡単に放棄することができません。彼らは午前4時まで起きていて、トムハンクスが異星人の血を持っていることについて読み、それを理解できる賢い人間は自分だけだと思っています。不確実性は不愉快な状態であり、陰謀論は理解しているという感覚と安心感を提供します」

新型コロナウィルスによる現在のような状況においては、私達は自身の生活をコントロールできているという感覚を持てず、周囲を恐れ、未来も不透明な非常に不安定な状態に置かれています。そういうときに何を信じればよいのか。この記事は言います。「実際のところ、Covid-19はウィルスです。私達はただウィルスが蔓延しないよう努めている専門家を信頼し、彼らに従えばよいのです。真実はそれだけです。でも、それは決して刺激的ではありません。」だから陰謀論は消えないのだ、と。

以上です。
くだらないと思いつつこんなに長く書いてしまったのは、youtubeのコメントが冗談を冗談として楽しんでいる状態を超えているように感じられたからです。実際のところ真実がどうであるかは誰にもわかりません。トム・ハンクスは本当に秘密結社の会員なのかもしれないし、セリーヌ・ディオンはサタン教会に属しているのかもしれない。しかし、その証拠も根拠もどこにもないのです。あくまで想像の域を超えていないのに、人を傷つけうることを公言して楽しんでいい権利は誰にもありません。初めは冗談でも、それが冗談では済まなくなる状況というのは実際に存在します。まあ上記記事によれば、この陰謀論はトランプ支持派により故意に流されているものとのことですが(真偽は不明)。

さて。
こういう不安定なときに私達は何を拠り所として生きればいいのか?ですが。
私は答えはシンプルだと思うんですよね。
世界に対する謙虚さ、柔軟さ、そしてバランス感覚を持つこと、ではないでしょうか。
科学の専門家の最新の意見に従うことはもちろん大切で、それは大前提。そしてそれは当然日々変わっていきますから、柔軟な頭で従う。
その上で私達人間に大切なことは、人間が出す答えを信じすぎないこと、だと私は思います。人間の脳が出せる答えには限界があります。これは悲観的な意味で言っているのではなく、むしろ肯定的な意味で、どんな答えも人間の脳が出した答えに過ぎないということです。科学の役割はこの世界の仕組みを解明し尽くすことにあるのではなく、そんなことは不可能であること、この世界は決して科学では解明しきれるものではないということを知ったうえで、そこから始まるのだと私は思っています。私は完全文系人間ですが、自然科学の世界が大好きです。だからずっとそういう職場で働いてきました。そして科学は人間が自然を支配するためにあるのではなく、人間が自然と共に、自然の一部としてよりよく生きていくためにある。そう思っています。
ベランダからでもなんでもいいのです。空や雲や木々や雨や風や星といった自然をじっと感じ、私達もそれらの一部であるということを肌で感じる。そうすると世界に対する謙虚さが生まれます。世界に対する謙虚さを持っていれば、世界に対する柔軟さ、バランス感覚は自然に身につきます。私達は人間世界の中だけで自分の立ち位置を探そうとするとどうしても不安定になってしまうけれど、それより遥かに大きな世界(自然界)の中での自分の立ち位置を実感できれば、ちょっとやそっとでは揺らがない安心感を手に入れることができます。この世界はちょっとやそっとでは揺らがないものだからです。

科学と人間と自然と世界の関係について考えながら、寺田寅彦のことを思い出したので、以前もご紹介した文章を以下に再掲したいと思います。寺田寅彦が亡くなった後に、和辻哲郎が彼との思い出を書いたものです。
亡くなった友人(彼女はリケジョでした)が寺田寅彦が好きで、よく話をしたなあ。もっともっと色んな話をしたかったです。私にとっての彼女は、ここに書かれている和辻にとっての寅彦のような人でした。

寺田さんは最も日常的な事柄のうちに無限に多くの不思議を見出した。我々は寺田さんの随筆を読むことにより寺田さんの目をもって身辺を見廻すことができる。そのとき我々の世界は実に不思議に充ちた世界になる。
 夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。あるいは鳶が空を舞いながら餌を探している。我々はその鳶がどうして餌を探し得るかを疑問としたことがない。寺田さんはそこにも問題の在り場所を教え、その解き方を暗示してくれる。そういう仕方で目の錯覚、物忌み、嗜虐性、喫煙欲というような事柄へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れていながら、それを全然感得しないでいたのである。寺田さんはこの色盲、この不感症を療治してくれる。この療治を受けたものにとっては、日常身辺の世界が全然新しい光をもって輝き出すであろう。
 この寺田さんから次のような言葉を聞くと、まことにもっともに思われるのである。

「西洋の学者の掘り散らした跡へ遙々(はるばる)遅ればせに鉱石のかけらを捜しに行くのもいいが、我々の脚元に埋もれてゐる宝を忘れてはならないと思ふ。」

 寺田さんはその「我々の脚元に埋もれてゐる宝」を幾つか掘り出してくれた人である。
(和辻哲郎 昭和十一年 『寺田寅彦』)

寺田さんと話しているうちにこのような偶然よりも一層強く自分を驚かせるものがあった。何か植物のことをたずねた時に、寺田さんは袖珍(しゅうちん)の植物図鑑をポケットから取り出したのである。山を歩くといろんな植物が眼につく、それでこういうものを持って歩いている、というのである。この成熟した物理学者は、ちょうど初めて自然界の現象に眼が開けて来た少年のように新鮮な興味で自然をながめている。植物にいろんな種類、いろんな形のあることが、実に不思議でたまらないといった調子である。その話を聞いていると自分の方へもひしひしとその興味が伝わってくる。人間の作る機械よりもはるかに精巧な機構を持った植物が、しかも実に豊富な変様をもって眼の前に展開されている。自分たちが今いるのはわびしい小さな電車の中ではなくして、実ににぎやかな、驚くべき見世物の充満した、アリスの鏡の国よりももっと不思議な世界である。我々は驚異の海のただ中に浮かんでいる。山川草木はことごとく浄光を発して光り輝く。そういったような気持ちを寺田さんは我々に伝えてくれるのである。こうしてあの小さい電車のなかの一時間は自分には実に楽しいものになった。
 あの日は寺田さんは非常に元気であった。電車へ飛び込んで来られる時などはまるで青年のようであった。自分などよりもよほど若々しさがあると思った。その後一月たたない内に死の床に就かれる人だなどとはどうしても見えなかった。これから後にも時々ああいう楽しい時を持つことができると思うと、寺田さんの存在そのものが自分には非常に楽しいものに思われた。それが最後になったのである。
(同 『寺田さんに最後に逢った時』)


※先ほどご紹介したニュージーランドのマガジンに、テカポの街についての記事が載っていました。やはりロックダウン中なんですね。
以下は、数年前の9月に行ったときの写真です。ステイホーム中の皆さまにも早春のテカポの風を感じていただければ
そういえばニュージーランドは友人が学生時代に留学していた国で、私が旅行に行く前に色々話をしたものでした。ロードオブザリングのロケ地のこととかですけど笑。























Comments (2)
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