風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

京極夏彦 『(続・後)巷説百物語』

2007-04-10 00:22:29 | 



「この世は悲しいぜ。・・・お前も奴も、人間は皆一緒だ。自分を騙し、世間を騙してようやっと生きてるのよ。それでなくっちゃ生きられねェのよ。汚くて臭ェ己の本性を知り乍ら、騙して賺して生きているのよ。だからよ――」
 俺達の人生は夢みてェなものじゃねえか。
 又市はそう言った。

(『巷説百物語』 p464)

幸せなんてものはね先生、どっかにぽっかり浮かんでるものじゃねェや。今ここにあるもンでやす。ただ、それを幸せと思えるかどうか――ってことでしょうよ。人は皆夢ン中で生きてるんです。それなら悪い夢ばかり見るこたアねェと――奴はそう思う。凡て夢なら嘘も嘘と知れるまでは真実なんで。
(『続巷説百物語』 p217)

化物っていうのはつくりものですよ。江戸の人は知っておりました。皆、知っておりましたよ。信じておりませんよ。誰も。
・・・居ないことを承知で居ると謂う。・・・
又市さんがね、その昔、こんなことを申しておりました。
この世はね、悲しいんだ、辛いんだとね。
だから人は、自分を騙し、世間を騙して、ようやっと生きているんだと。
つまりこの世は嘘ッ八。その嘘を真と信じ込むなら、そりゃいずれ破綻する。
かといって、嘘を嘘だとしてしまえばね、悲しくて辛くッて生きて行けない。
ええ。だからこそ――嘘をね、嘘と承知で信じ込むしか健やかに生きる術はないんだと、又市さんはそう言っていましたよ。煙に巻かれて霞に眩まされてね、それでもいいと夢を見る。これは夢だと知り乍ら、知ってい乍ら信じ込む、夢の中で生きる――。
だから、お化けは嘘だけれども、居るのです。
(『後巷説百物語』 p715)

仕事を辞めてまとまった時間がとれたので、ずっと読めないでいた巷説シリーズをついに読みましたですよー。
三冊まとめて読んだのは正解でした。数日間で江戸後期から明治までの数十年間を一気に駆け抜けたような、なんとも不思議な切ない気分を味わわせていただきました。まさに、本は心の旅路。
本ってほんとうに良いものですねぇ。毎回そんな風に思わせてくれる京極氏に感謝!

※以下、ネタバレ含みます

京極堂シリーズで世間の常識とは全く逆の「幸福」の形を描く京極氏。その魅力はここでも健在でした。「夢ばかり見ていないで現実をみろ」と世間では言うけれど、果たしてほんとうにそうなのか。夢も見つづければそれは真実。辛く悲しいこの世の中で、そんな生き方を否定する必要がどこにある。
これは夢だと知り乍ら、知ってい乍ら信じ込む、夢の中で生きる――。
大切なのは、「夢だと知り乍ら」というところでしょう。
彼岸と此岸の境界線はきっちりひく。そのうえで、物事を一番いい状態へおさめようとするのが又市と京極堂。方法は逆だけれど、やっていることは同じ。
又市が化物を操り夢をみせるのも全て、今此処で生きている人々のため。
どんなに辛く悲しくても、人々が彼岸へ行くことなく、此岸で生きてゆけるように。
誰よりも彼岸に近い場所にいるくせに、彼岸にある「幸福」を知っているくせに、決してそれを選ぼうとはしない2人が大好きです。

「又市達と過ごした数年間だけ、自分は生きていると感じられた」という百介の人生は、その殆どの時間はやはり「幸福」とはいえないのだろう。
彼は結局又市達の世界で生きる覚悟を持てなかったのだし、又市も八咫烏になって以降はこれまでどおりの関係を続けることはできなかったようだから、新しい人生をみつけることができなかった百介はああ生きる以外になかったのだけれど、切ないなあ・・・。又市のいうように、この世は悲しいものですね・・・。

百物語で始まったこの物語は、百物語で幕を閉じる。
いいラストだと思いました。
百物語とは、現実そのものを向こう側へ移したり戻したり自在に操れる呪術でなければならない。そういう意味で、又市達が行っていたものこそ、百物語なのだろう。けれど、又市達と過ごしていた頃の百介は、彼自身が百物語だった。彼岸と此岸の間を何度も揺れ動き、結果此岸へ残されたがそこで生きる決心もできなかった彼に、百物語を開板することはできなかった。それまでの百介はそこで一度死に、その後再生することはなかった。そして数十年がたち、死んだように生き永らえてきた百介が、(彼自身による仕掛けとはいえ)怪談会において百話目の物語を語る役目を担ったところに、なんともいえない切なさを感じました。

百物語を語り終えたとき、与次郎達の仕掛けは狙いどおり公房卿に夢を見せ、はからずも慧嶽に絶望を見せた。けれどそれだけでなく、彼らの仕掛けは百介にもまた怪異(夢)を見せたのだろう。
自分の仕掛けとは全く異なる予想外の展開となり、からくりの解けないその仕掛けに呆然としつつ、きっと百介は嬉しかったのではないだろうか。又市達との別離から数十年、彼の耳はその夜、又市の声と鈴の音を確かに聞いたのだ。又市の鮮やかな仕掛けにもう一度立ち会えたような夢をみながら、彼は書物と一番楽しかった頃の思い出に囲まれて、子供のような笑顔でその人生を終えた。白い幻もまた、突然吹き込んだ風とともに消え去った。
切ない余韻の残るラストに、しばらくこっちの世界へ戻ってこられなかったですよ。。。

はからずも百介に最後の夢を見させた仕掛けを作ったのが与次郎や小夜のような若者達だった、というのも爽やかでいいです。百介は江戸という時代が遠ざかってゆくことを寂しく感じつつも、彼ら若者達が担う明治以降の日本へ明るい眼差しをむけていたのですから。
ちなみに文机の上の鈴と札を置いたのは誰か?について追究するのは野暮なのでしょうが、私はふつーに百介の持ち物だと思ってます(札はともかく鈴まで持ってるのはちょっと不思議だけど)。でももし又市が生きていたのだとしたらそれも素敵だなーという気持ちも残しつつ。

以上、私なりの巷説シリーズ解釈・感想でした。
前巷説も早く読みたいです。4月下旬に刊行されるって本当ですかね。うれしー。あと、とりあえず伊右衛門を読み返そうかと思っておりまする。

最後に、内容の素晴らしさに比べれば大した問題ではないですが、作中の登場人物の年齢、かなり矛盾が起きてますよね・・・?特に百介とおぎんさん。一体いつの時点で何歳なんだ・・・。明らかに変・・・と思いネットで調べたら、みなさん同じことを言ってた。だよねぇ。読んでて結構気になってしまったよー。
ちなみにネット上で色々な方が作られてる巷説年表は、大変参考になりましたー。時系列が、あり得ないくらい複雑でしたから・・・。

インタヴュー等:
nikkansports.com(言葉を幻惑し続ける言葉の妖怪)
R24.jp(面白くない本はない。人生もそう)
tae's page(京極夏彦さんの書斎を訪問)
※京極氏って19で結婚されてるんですねー。意外なようなそうでないような。

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