風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

茨木のり子さん

2006-02-20 23:51:41 | 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄 

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

~茨木のり子『自分の感受性くらい』より



昨日、詩人の茨木のリ子さんが79歳で亡くなりました。
上の詩は茨木さんの詩の中でも、私が最も好きなものの一つです。

心が弱っているときは、自分の思い通りにならないあれこれに苛立ち、そのすべての原因が他人にあるように思われて、さらに惨めな気持ちになる。
自分は本当はこうしたかったわけじゃないのに、あの時親が(友人が、世間が)こうした方がいいと言ったからしたのに、結局うまくいかなくて、こんなことなら自分の思ったとおりにすればよかった・・・・・・うんぬん。
順調な時にはそんなこと思いもしないくせに、ほんと勝手ですよね。

でも、本当はちゃんとわかっているの。「そもそもが ひよわな志にすぎなかった」のだと。周りが何て言おうと拒否することはできたはずで、結局最後に決めたのは自分自身、その責任も全て自分にあるのだと。
だからこそ胸をはって「自分の人生」といえるのだから。
この詩はとても厳しいけれど、「あなたの不幸を、誰かのせいにしてしまいなさい」と言われるよりも、ずっと私を幸せにしてくれる。
だって、もし自分の抱える不幸を他人のせいにばかりして、その人達を恨み続けるとしたら、それは他人の人生を生きていることになってしまう。そんな不幸なことってない。

世の中とは本当にいい加減なもの。でも一方でその世の中から色々な刺激を受けて自分が成長していけるのも、また事実。
自分の感性を信じて、素直に、しなやかに、このいい加減な世の中を生きてゆけたらと、いつもそう思います。

人生の時々で心の支えとなってくれた人達が去ってゆくのを見送るとき、最初は、もう彼らから励ましてはもらえないんだな、って無性に寂しくなる。でも、少しすると、彼らが「あとは自分の力でがんばりなさい」って微笑っているように感じるのです。
そして心から思う。
沢山の元気を本当にどうもありがとうございました。どうか、ゆっくりと休んでくださいね。

茨木のり子さんインタビュー「二十歳のころ」:
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/ibaragi.html

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