製作は1972年だが、当時まだベトナム戦争のさなかであり、ニューヨークで1日だけ公開されベルリンやカンヌ映画祭で高評価を得たもののアメリカのマスコミからは抹殺された作品。その後2005年にアメリカでリバイバル上映され、日本でも2010年に公開された。
1971年、戦争に反対するベトナム戦争帰還兵の会が行った公聴会。元兵士たちが集まって自分たちが実際に行ったり、目撃した残虐行為を告白した。
ヘリコプターから捕虜を落とすゲームをするため、乗せるときには捕虜の数は数えない。降ろす時に数えれば良いと上官から言われる。途中で何人も落として遊ぶから乗せるときに数を数えても無駄だと言う。
ベトコンか民間人かの区別がまったくつかなかったが、殺してしまえば、それはもうベトコンということで処理された。死んでいるベトナム人はみなベトコン。ベトコンだから殺されたのだからという理屈がまかり通る。
殺した人数を競うため、その証拠に殺した人たちの耳を削いで集める。その勝負に勝てば一日の終わりにビールをいっぱいもらえる。
ベトコンを匿っている疑いのある村を焼き払う。本当に匿っているかどうかはこの際問題ではない。
少女を家族の前で輪姦し、体を引き裂いて殺し焼き払う。
ここに挙げた以上のたくさんの証言が記録されている。
次々に暴露される残虐行為。彼らはベトナム人を差別していたのではないと言う。差別というところにさえいかない、ベトナム人のことは同じ人間ではない。特に価値のないものとして気にもかけない。そんな心情だったそうだ。
彼らをそうさせたものは戦場の狂気と、軍隊方式の訓練&洗脳だと彼らは言う。まだベトナム戦争が続く中での実名&顔出しの告白だから、相当の勇気がいったと思う。それでも彼らにそうさせたのはやはりこんなことを二度と繰り返してはならないという気持ちからだろう。
あれから40年以上。彼らが勇気を出してしてくれたことはなんだっただろうという歴史を世界は繰り返している。アメリカだけではない。この不毛さ。ベトナム帰還兵たちが勇気を持って証言してくれたことをアメリカ人だけではなく世界中の人たちが無駄にしてはいけないはずなのに、実際にはどうだ。
ここのところ、日本でもきな臭い動きが起こっているが、戦争と聞くと自分の息子が死ぬかもしれない、とか自分の家が爆撃されるかもしれない、とかそういう発想にすぐ行きつくと思うのだけど、それだけではない。もし自分の息子が戦争に行けば、戦争に参加していない敵地の民間人を虐殺し、そこにいる女性をレイプして帰ってくる。そういう発想にはなかなか行きつきにくいと思うけど、それが戦争の事実だということを認識しておかないといけない。
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