シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

サラエボの花

2008-01-21 | シネマ さ行
ボスニア紛争が残した傷痕は紛争が終結して10年いまだ生々しい。紛争で心身ともに傷ついた市民たち。いまだに普通の生活を維持するのも難しい現実が続き、心の傷が癒えない者も多い。シングルマザーのエスマミリャナカラノヴィッチは生意気ざかりの12歳の娘サラルナミヨヴィッチを養うために、ナイトクラブでウェイトレスの仕事をしている。サラの学校の修学旅行が近づいており、その費用を稼がなければならない。サラには父親は紛争で殉死したと話しており、殉死者の子供たちは旅行代が免除されるというのだが、、、

エスマがなぜ父親が殉死した証明書を学校に提出しないで旅費を稼ごうとしているのか、あの紛争を知っている人間ならば、すぐに察しがつく。この作品は特にその秘密が暴かれることが観客にとって物語の中で盛り上がりを期待するところではない。エスマが受けた傷はみなが知っている。その中で必死に生きるエスマを観客は見守る。そして、その事実を娘にどう打ち明けるのか、そしてそれを娘はどう受け止めるのか。ここが、観客が固唾を飲んで見守るところである。

その秘密を知ったとき、サラは父親似だと母が(ウソで)教えてくれた髪を全部剃り落としてしまう。12歳の女の子がだ。自らのけがらわしい部分をそぎ落とすように。エスマはやっと重い口を開いて語る。自分が妊娠していると分かった時、殺そうと何度も何度もお腹を叩いても生き延びた子供が生まれてしまう。あっちへやってと言ったものの、体からは乳があふれる。初めて授乳した時こんなに美しいものがこの世にあるとは知らなかったと。憎しみの象徴である赤ちゃんをそれでも美しいと感じる心がそこにある。自分でもそう思う心が憎らしいと思うだろう。それでも、愛おしいわが子がそこにいる。そこに母としての決心がある。
最後に静かに母と子が分かり合う。人間の残酷さの反対にある強さをそこに見ることができる。観客はサラの笑顔につらいつらいお話の中に一筋の光を見る。そして、まだ15歳くらいであろうルナミヨヴィッチの演技がとても素晴らしく、目だけでサラの感情のすべてを物語っている。 

エスマだけではなく、グルバヴィッツァの市民がなんとか生きようとがんばっている姿が映し出される。サラの学校にも紛争で父親を亡くした子供たちがたくさんいる。エスマが恋心を抱くナイトクラブの用心棒ペルダレオンルチェフは紛争前は大学に通っていたが、紛争が終わって用心棒として食べていくしかなくなってしまった。あの紛争が残した傷は小さなものから大きなものまで本当に計り知れない。

10代のころを紛争中のボスニアで過ごしたというヤスミラジュバニッチという若い女性が監督をしている。ただ、いまのあるがままのグルバヴィッツァの街を映し出す実直な演出が好印象だ。この作品に参加している役者たちはみなボスニア人、セルビア人、クロアチア人といろんな民族の出身である。10年前までは敵同士だった者たち。いや、その前は普通のご近所さん同士だったんだよね。ボスニア紛争を考えると、本当にどうしてあんなことになってしまったのかと思う。ほんのささいなボタンの掛け違いだったんじゃないかとさえ思える。これを語り始めると長くなるのでやめておきますが。

ベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、各国の映画祭で絶賛された作品です。映画を見慣れていない方には少し退屈な展開に思えるかもしれませんが、一見の価値はものすごくあります。