シネマ日記

超映画オタクによるオタク的になり過ぎないシネマ日記。基本的にネタバレありですのでご注意ください。

ドリーム

2017-10-11 | シネマ た行

これは絶対に見に行くと決めていた作品です。

1960年代、宇宙への有人飛行をソ連と競っていたアメリカ。その輝かしい実績の陰に活躍を隠されていた人々がいた。「Hidden Figures」それが彼女たち、黒人女性の計算係たちだ。人種隔離政策がまかり通っていた時代。彼女たちの西計算室はメインの建物から遥か遠い場所の地下に設けられていた。

天才的な計算頭脳を持つキャサリンタラジP.ヘンソン、管理職的な役割を果たしているのに黒人女性ということで管理職にしてもらえないドロシーオクタヴィアスペンサー、エンジニア志望だが同じく黒人女性ということでエンジニアになれないメアリージャネールモネイ。この3人がお話の中心だが、西計算室には他にもたくさんの黒人女性たちが働いている。

ある日ソ連に先を越されてばかりのアメリカは計算に長けた人物が必要だと、人種を越えてキャサリンを計算室からメインの作戦室へ呼び寄せる。しかし、そこでは白人たちに冷たくあしらわれ、有色人種用のトイレに行くために西計算室までの片道800メートルの道を一日数回往復しなければならず、コーヒーポットも同じものは使わせてもらえない。この部署の誰よりも優秀なのに。そのキャサリンの優秀さがハリソン部長ケヴィンコスナーに買われ、NASAでは人種隔離などやめるよう働きかけてもらえたり少しずつキャサリンにとっての状況は良くなる。

ドロシーは管理職にはしてもらえないが、新しく来たIBMコンピュータの言語を覚えることで新しいポジションをゲットしていく。彼女は自分だけではなく西計算室にいる全員にコンピュータ言語を教え、みながIBMの部屋へ上がれるようになる。キャサリンが毎日苦労してトイレに駆けていた800メートルを今度は西計算室から黒人女性たち全員が隊列をなして行進していく姿が圧巻だった。

最終的にドロシーは管理職に格上げされる。彼女に辞令を渡すのは東計算室(白人女性たちの計算室)の管理職ヴィヴィアンミッチェルキルステンダンスト。ヴィヴィアンがドロシーに「私は偏見などないわ」と言うとドロシーが「知っています。あなたがそう思いこんでいることは」と言うシーンが非常に印象的に胸にどすんと来る。ヴィヴィアンはそう言われて、きちんと考え方を改めた。

エンジニアになるためには白人オンリーの高校で授業を受けないといけないという規則を知ったメアリーは、そこに通えるように裁判所に訴え出る。到底認めてくれそうにない白人男性の裁判官に向かって「今日あなたが出す判決で100年後も意味のあるものはどれ?あなたが“初めて”黒人女性に白人の高校に通う許可を出した裁判官と言われるのよ」と言って説得するシーンもめちゃくちゃ気持ちがいい。

彼女たち3人の私生活もほどよい配分で描かれ、すべてにおいて気持ちのいい作品。もちろん、テーマは重いし、現実にはもっと苦しいこともたくさんあったとは思いますが。映画作品としては素晴らしい出来栄えで、昨年アカデミー賞作品賞にノミネートされた作品の中でワタクシは見たものの中ではこれが一番良かったです。


ランスアームストロング~ツールドフランス7冠の真実

2017-10-04 | シネマ ら行

このドキュメンタリー、2009年のランスアームストロングの自転車競技への復活、ツールドフランスでの活躍を映画にすべくアレックスギブニー監督が撮り始めたところ、ツールドフランスでは負け、彼のドーピング疑惑が取り沙汰され、彼自身が初めてドーピングについて洗いざらい告白するという事態となってしまい、ヒーローの復活劇を記録するはずだった作品は「The Armstrong Lie」というこのドキュメンタリーに化けた。

ワタクシは2016年に「疑惑のチャンピオン」という映画が公開され、2013年にすでに作られていたこのドキュメンタリーよりも先に見てしまっていたので、アームストロングが行ったドーピングに関してはだいたい知っていました。

映画で知っていたとは言え、アームストロングの発言などを実際の映像で見るのはかなりインパクトがありました。自転車競技界は長年ドーピングの疑惑を常にかけられてきていました。その中でアームストロングは何度でも平気な顔で堂々とドーピング疑惑を否定してみせました。「私はドーピング検査に一度も引っかかったはない。疑惑の目を向けるなら証拠を持ってこい」彼は何度でも平然とそう言ってのけました。微量の違反薬物が出たときも、チームメイトが検査に引っかかった時も。

彼は自分がドーピングをしただけではなく、それをチームメイトにもやらせ、それを告発した者たちには徹底的に権力を使って排除しました。親友だった夫婦も裁判で彼が医者にドーピングの経験を話しているのを聞いたと証言したことから、自転車業界で働けないようにまで追いやったのです。

彼を取り巻くスポンサーも自転車業界もみな彼の味方でした。お金が儲かるから。そして、彼はガンを克服した英雄としてガンサバイバーの希望の星でもあり、ガンと闘うチャリティのシンボル的存在でした。そのこともあってみな声をあげることはできなかった。

後半で彼は自らのドーピングを認め、話をしていますが、なんかふてぶてしいというかあんまり悪いことしたとは思ってない感じはしたかなぁ。みんなやってたし、それで能力を高めただけって感じなのかも。でも話し方とか堂々としていて、聞いていると取り込まれそうな雰囲気があるんですよね。変な魅力があるというか悪魔的な魅力なのかもしれません。「数十年後にはツールドフランスを7連覇したランスアームストロングと再び言われることになっているかもしれない」と本人も言っていたように、ドーピングに対する罪の意識はあまりないのかも。

やっぱりでもなぁドーピングそのものよりも、親友だった人への仕打ちが酷すぎて、自分を倒そうとする者にはどんな汚い手を使ってでもやり返すっていう人なんだろうなと感じました。

ドーピングの内容についてはこの作品では言葉で語られるだけなので、実際にどんなふうだったかを見たい方は「疑惑のチャンピオン」を見るといいと思います。ドキュメンタリーの中でチームメイトが「気持ち悪い」と言ったようなことをガンガンやってます。


ザ・ウォーク

2017-09-29 | シネマ さ行

1974年ワールドトレードセンターツインタワーの間にロープをかけて命綱なしで綱渡りをしたフィリッププティジョセフゴードン=レヴィットの話。

幼い彼が綱渡りに魅了され、パリでの大道芸人生活、ノートルダム大聖堂に無断で綱をかけての綱渡りを経て、仲間たちといざニューヨークヘ。とお話はテンポよく進んでいく。この辺りの展開はロバートゼメキス監督らしくそつがない。

面白いのはこのテンポの良さとフィリップのクレイジーっぷり。そりゃそうだ。地上411メートルを命綱なしで綱渡りをしようなんて人なんだから、クレイジーに決まっている。彼の綱渡りの師匠ルディベンキングスレーでさえ、命綱をつけろ、地上からは見えやしないとアドバイスしたが、もちろんそんなこと聞き入れるフィリップではない。そもそもそこで命綱をつけようと思う人間はこんなクレイジーは挑戦をしてみようとも思わないだろう。

彼がどのようにしてニューヨーク入りしたあとに、これを実現まで持っていったかというところもユーモラスに描かれていて飽きがこない。彼が実際に渡り始めてからもかなりハラハラしながら見られるのだけど、警察が屋上までやってきて南棟と北棟の両方で待ち構えていたからって彼があんなに何回も綱の上を行ったり来たりしたとは思ってなかったので、いつか落ちるのではと怖くなって「もうええってー。早よ降りてー」と思った。しかも、彼は行ったり来たりするだけでなく、綱の上で座ったり寝転んでみたり。もうお前ほんまにバカかーーーー!って思いました。

でもやっぱり彼が綱渡りしている姿って本当に美しくて、彼が「綱渡りはアート」と言っていた意味が分かった。彼は自分がやっている姿は見られないわけだから、彼自身が言っているアートの意味とは厳密には違うのかもしれないけど。

作品の冒頭からフィリップが自由の女神の上で、このお話をナビゲートしているのだけど、「え、それってまさか綱から落ちて死んでいま自由の女神の上に立ってるとかいうオチじゃないやろなぁ」と思って怖かった。実際には彼は無事(?)警察に捕まるのだが。

彼が綱渡りをしている間だけじゃなくて準備中なんかにも簡単にツインタワーの屋上の端っこに立ったり、突き出た鉄筋にヒョイ乗ったりするだけでこちらは身のすくむ思いだったので、これ劇場で3Dで見た人はすごい迫力だっただろうなと思います。身がすくむっていうかお尻がきゅーーーーってなります。

このツインタワーはもうないんだなと思うと妙にセンチメンタルな気分になったりもしました。


ヘイトフルエイト

2017-09-28 | シネマ は行

南北戦争後のアメリカ。町へ向かう途中激しい吹雪のため山小屋へ避難し、居合わせた男7人+女1人。

賞金稼ぎのマーキスサミュエルL.ジャクソン
同じく賞金稼ぎのジョンカートラッセル
ジョンが捕らえて連行中のデイジージェニファージェイソンリー
保安官のクリスウォルトンゴギンズ
山小屋の店番ボブデミアンビチル
絞首刑執行人オズワルドティムロス
カウボーイジョーゲイジマイケルマドセン
南軍の元将軍サンディスミザーズブルースダーン

これで8人なんだけど、実はチャニングテイタムもクレジットされていて、彼はクレジットしとかないほうが良かったんじゃないの?と思った。

荒くれ者たちに加えて女1人が人殺しでクビに賞金がかかっているような面子なもんだから、穏やかに済むはずはない。

「レザボアドッグス」やら「パルプフィクション」やらのようにまーもうずーーーっと登場人物の与太話というか無駄話が多いのがいかにもクエンティンタランティーノ監督作品。そういう与太話の中にそれぞれの性格やら思惑やらを入れ込んでくるのが彼のスタイルですね。だから、実際にストーリーがぐわーーーっと動き出すのは結構後半なのでそこまでは慣れていない人はちょっと我慢が必要かも。

まぁしかし今回タラちゃん、よくもここに書いた全員をキレイに殺しきれるような脚本を考えたねって感じ。とにかく全員をキレイに殺しきるっていうのもある意味では彼のスタイルなんだけど、今回はなんか最後に妙な爽やかさまで感じてしまったわ。あれだけ人がエグい方法で死んでいくのに不謹慎だけど、タランティーノ作品なんて不謹慎の塊のようなものですから。それを楽しめるかどうかはあなた次第です。


AMY エイミー

2017-09-26 | シネマ あ行

2011年に27歳で亡くなった歌手エイミーワインハウスの生涯を描くドキュメンタリー。

小さいころから歌が好きでジャズシンガーになったエイミーは、離婚家庭で母親に育てられ、たまにしか会わない父親の愛情に飢え、過食症になり、酒に溺れ、クズみたいな男に出会い、ドラッグに溺れ、27歳の若さで死んでしまった。

こうして並べて書いてみると、なんと典型的な事柄に溢れていることか。波乱万丈の人生と言われているけど、若くして世界的な人気に押し潰されたスターたち、まさに27クラブの典型のようだ。

彼女はただ歌いたかっただけだった。それもジャズを。劇中でも言われるが、ジャズは大きな会場で歌うのに向いていない。小さな舞台でやるセッションが本来なのだろう。しかし、「Rehab」の世界的ヒットは彼女にそれを許さなかった。

常々思っていることなのだけど、ただ歌いたい、ただ演じたいという人たちがどうしてそれをしたいなら私生活の暴露と引き換えだよ。という悪魔の交換条件を出されなくてはいけないのだろう。日本の芸能界も同じだが、欧米のパパラッチはそれ以上にスターのプライバシーの侵害がひどい。あそこまでされたら暴言を吐きたくもなるし、暴れたくもなるだろうと思う。

たらればを言ってもしょうがないけど、昔からの親友や元マネージャーが最初に彼女をアルコールのリハビリ施設に入れようとしたとき、現マネージャーとあの父親が止めなければ。もしかしたら何かが変わっていたかもしれない。彼女を金ズルとしか見なかった人たちのせいで彼女はどんどん追い詰められていった。

そして、もうひとつのたらればは、やはりブレイクフィールダーというダメ男を好きにならなければ。ですね。こいつがエイミーにドラッグを教え、2人でハイになっていたみたいですね。

まぁでもそれもこれも全部彼女の選んだ道、なんですけどね。もう少し周りに彼女をサポートしてやってブレインになってやれる人がいたら何かが違っていたのかな、という気はしました。

この作品で散々悪者にされたお父さんはこの映画は嘘っぱちだーと言っているらしいのですが、本当のとこはどうなんでしょうねぇ。


ノックノック

2017-09-25 | シネマ な行

まぁなんとくだらない作品なんでしょう(笑)

家族思いの男エヴァンキアヌリーブス。妻子は週末旅行に出かけ自分は仕事の都合で家に残ることに。そこへやってきた若い女の子2人。ジェネシスロレンツァイッツォとベルアナデアルマス。友達の家のパーティに来たが場所が分からず大雨の中タクシーもつかまらず、携帯も水没したのでネットを貸してほしいとやってくる。親切心から2人を家にいれてあげたエヴァンはそこから地獄を見ることに。

なんだかんだ手を変え品を変えエヴァンを誘惑してくる2人。こいつらおかしいぞと誘惑をかわしつつも若い女の子2人にきついことも言えないエヴァン。長い間誘惑を突っぱねていたエヴァンだったが最後は2人に屈服し・・・ていうかあれはもうレイプです。

翌朝起きてみると2人が家のキッチンを無茶苦茶にして朝ごはん中。「もう帰りなさい。送っていくから」というエヴァンに「ヤダねー」と2人。自分たちは15歳なのにエヴァンが犯しただの、性犯罪者は警察に捕まるだの言ってくる。

最終的にエヴァンは縛り上げられ、ベッドにくくりつけられてまた犯されそこを動画に撮られSNSにアップされちゃう。家の中はぐちゃぐちゃにされるし、お金あげるからとか言っても2人は聞き入れず結局一体何が目的なのかさっぱり分からない。

まーーーーーほんっとーーーーにくだらない映画です。でもなんかおもろかった。バカバカし過ぎてというところかな。何も残らないけど、途中は大笑いしながら見ちゃいました。それをキアヌが大真面目にやっちゃうもんだから余計に。これ、全然無名の人がやってたら全然ダメやったと思うんですけどね。キアヌだからこそおもろい。キアヌって名作にも出てるけど、こういうくだらんのも好きよねぇ。

この2人をただ娯楽のためにやってると見ると「ファニーゲーム」の劣化版か?と見ることもできるけど、女の子2人があそこまで体張ってってとこがなぁ。「ファニーゲーム」の男たちより自分にふりかかるリスクが大きいよね。それも彼女たちにとってはゲームのうちかもしれませんが。ベルが最後にエヴァンに「結局私たちを断る男はいままで一人もいない。あなたは言うかと思ったのに」なんて言いますが、それで世の男性の道徳観を正そうとしているのか???

とまぁあんまり真剣に分析することもないか。「くっだらねー」と言いつつ最後まで見るもよし、途中でやめるもよしです(笑)途中でやめても特に損はないと思います。


キャプテンフィリップス

2017-09-22 | シネマ か行

2009年ソマリア海域を航行していたアメリカのコンテナ船が武装した4人の海賊に乗っ取られ、フィリップス船長トムハンクスは乗組員を守るため自らが人質となり、海賊と一緒に救命艇に乗り込む。アメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズは船長救出に乗り出す。

たった4人とは言え、こちらはただの民間のコンテナ船で向こうはマシンガンを持っている。巨大なホースで放水し対抗するが、乗り込んで来られればそれ以上対抗する策はない。船長は船員をエンジン室に隠し、自分は海賊の対応に当たった。3万ドル現金であるからそれを持って帰れと言うとそんなはした金ではダメだと言う。そこで海賊たちは船長を人質に救命艇に乗ってソマリアへ向かってしまった。

トムハンクス演じるフィリップ船長の人柄が非常ににじみ出た物語だった。冒頭の妻キャサリンキーナーとの会話で自分たちの世代は真面目にさえやっていれば上に行けたが現代はそうはいかないと子どもたちの心配をしていて、簡単に今時の若者はなどと言わない明晰さを示していたし、仕事には厳しいようだったけど、それは船長として当たり前で、その当たり前の延長として、船長として彼は体を張って船員を守った。海賊たちにもあくまでも毅然とした態度で接し、ある種同情もしていたようだった。しかし、それでもやはり彼は訓練された軍人でもなんでもなかったから、何度かの抵抗は失敗に終わり自分を余計に窮地に追いやってしまったりもした。

そして、救出されたあとの震えて泣いていた姿は、真に迫っていてとても良かったと思う。あの状況で船長があまりにもしっかりした態度だったらちょっと嘘っぽくなった気がする。

被害者である船長を描く一方、加害者側である海賊たちのこともきちんと描かれていた。彼らは貧しい漁村の漁師だが、村を仕切るギャングたちに収める上納金のために海賊行為をせざるを得ないのだ。「ギリシャの船を襲ったときはかなり儲けたぜ」という海賊に「では君はいまここで何をしているんだ?そんなに儲けたのに、そのお金はいまどこに?」と聞かれ黙りこくってしまうシーンが印象的だった。虚勢を張ってはいても、彼もただ生きるためにそうしているに過ぎない。

だからと言って海賊行為が許されるわけはなく、アメリカは国の威信をかけて船長救助に全力を尽くす。シールズが本気になって海賊が勝てるわけはないんだろうけど、やはり人質がいるので下手に手を出すわけにもいかず救出までには日にちがかかってしまうが、最終的には海賊のリーダー・ムセバーカッドアブディ以外は射殺され、ムセは逮捕される。まぁこの結末は仕方ないところだろう。

こんな怖い思いをした船長も数か月休んだのちまた海に戻っています。もちろん生活のためというのもあるだろうけど、強い人だなぁ。




ニュースの真相

2017-09-20 | シネマ な行

2004年ブッシュ大統領の軍歴詐称を指摘したCBSニュースだったが、その証拠の文書が捏造だと指摘され…

CBSの報道プロデューサーだったメアリーメイプスケイトブランシェットの自伝を映画化。アブグレイブ刑務所での米軍による受刑者虐待をスクープした人。しかしブッシュの軍歴詐称では文書の捏造を裏を取らずに報道したことで彼女のチームの首が飛んだ。

「質問することをやめればこの国は終わり」彼女の報道姿勢はその信念に基づいていた。その信念に間違いはないし、その姿勢は素晴らしいものだったが、大統領選の時期もあってスクープを焦り過ぎたか、左翼的な思想がブッシュ失脚を望み過ぎたか、とにかく彼女は道を誤った。

確かにこの一件に関しては、勇み足だったと思う。映画の中で指摘されているように情報源に対して「ちゃんと守る」と言っていたのに、体の調子が悪い老人を表舞台に引きずり出すことになってしまったこともどこかで尊い仕事をしている自分は特別だと感じていたことも否定できないと思う。

最後にメイプスが調査会でぶちまけたように、実際にあのキリアンメモがワードで書かれたかどうかという議論に終始してしまい、ブッシュの軍歴詐称の話はどこかに吹き飛んでしまった。現代の日本でもよくあることだが、議論の中心であるべきことがいつのまにか隅に追いやられて、「そこ?」みたいな議論が延々と続き人々の関心もそちらに移ってしまう。そうなると元の議論に戻すことはほぼ不可能であったりする。

もちろん、メイプスのチームが道を誤ったことは認めるし、「そのせいで」と言われてしまえばそれまでだけど、元の議論が吹っ飛んでしまったことは非常に残念だし、局は結局そこを追及せずに人の首を切って終わりにしてしまったことも残念でならない。

それにしても、ヤフーのこの作品のレビューがそれぞれの政治的な考えの違いで大幅に振れていることが興味深い。

映画的に言うと、ケイトブランシェットもキャスターのダンラザーを演じるロバートレッドフォードもいつも通りやたらとカッコ良かったんだけど、メイプスが集めた優秀そうなリサーチチームの面々の動きがいまいち分からずせっかく集めたチームを活用しきれていないように見えたのが残念だった。


葛城事件

2017-09-11 | シネマ か行

WOWOWで見ました。短めの感想を書きます。

理屈っぽくで独善的で暴力的な父親三浦友和が君臨する家庭。母親南果歩は父親には逆らえず、徐々に精神を病みつつあるように見える。長男・保新井浩文は昔から良い子で父親には可愛がられていたが、気が弱く仕事はうまく行かず妻子を置いて自殺。次男・稔若葉竜也はデキが悪く父親には嫌われ、母親には甘やかされて育つ。一発逆転を狙って通り魔的に8人を殺傷し死刑宣告を受ける。死刑制度に反対する女性・星野順子田中麗奈は自分の信念を実践するためそんな稔と獄中結婚する。

家という名の小さな密室の地獄。家族の絆という名の鎖。その象徴のような出来事の積み重ね。

みんな「家族、家族」うるさい。「家族」というものに過大な期待をかけ過ぎだと思う。

しかしある意味で特に珍しくもない家族でもあるように思える。これくらいの家庭ならごろごろあるんじゃないかな。そのすべての家庭が殺人犯を出すわけではないのはもちろんだけど。

ターニングポイントはいくつかあったと思うが、稔がお兄ちゃんの子どもを殴ってケガをさせたと告白した時にお兄ちゃんがちゃんと稔を叱り飛ばしていたら、お母さんと稔が実家を出たときにお兄ちゃんがお父さんに2人の居場所をばらさなければ。でもそれができないのがこの家庭で育ったお兄ちゃんという人だったのだと思う。

星野順子が最後にこの父親に「あなたそれでも人間ですか?」と言ってしまう。星野順子の信念など、簡単に吹き飛ぶくらい寒気のするような人間性や相互の関係がそこにはある。


奇跡の教室~受け継ぐ者たちへ

2017-08-30 | シネマ か行

人種、宗教が入り乱れるパリの公立高校。アンヌゲゲン先生アリアンヌアスカリッドのクラスは落ちこぼれがほとんどで学級崩壊状態。教師を20年やってきたゲゲン先生の前ではそれもなんとか抑えられているが、ゲゲン先生が家庭の事情で休んだ日の代理教師の前ではひどかった。そんな態度に怒ったゲゲン先生、何をするのかと思いきやこんな落ちこぼれクラスをとあるコンクールに出場させることにした。

生徒の一人として出演しているアハメッドデュラメが実際に高校時代体験したことを脚本に書いて映画会社に持ち込んだ作品だという。

さて、そのコンクール、テーマは「アウシュビッツの若者と子どもたち」
はぁ?なんだよそれーと反抗してみせるクラスだったが、参加は自由よと言われてなんとなくほとんどが参加することに。

フランスというお国柄、子供のころからナチスの蛮行は学んでいるのかと思いきや高校一年生の彼らはアウシュビッツについてほとんど何も知らないっぽい。むかーしむかしお隣のドイツであった酷いお話でしょ、くらいの感覚らしい。だってフランス人は善良な国民だろ。普段多人種多宗教の地域にいて差別、被差別をひしひしと肌で感じているはずの彼らでさえ、ナチスのことなんて俺らには関係ねぇくらいにしか感じていないようだった。

数班に分かれてさらにテーマを絞り込み研究を始める彼ら。最初は嫌々やらされてる感の彼らもアウシュビッツという現実の重さに次第に真剣になっていく。バラバラだったクラスのみんなとも協力して研究するうちに結束を深めていく。人種的なことでもめていた連中もそんな偏見を軽々と越えていく。

マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール監督の演出と演者たちの瑞々しい演技でドキュメンタリーなんじゃないかと錯覚を起こしそうだ。生徒たちだけではなくて、ゲゲン先生も本物の先生かと思った。アリアンヌアスカリッドという役者さんは「キリマンジャロの雪」という作品で見たことがあったにも関わらず。

最初はひねくれて参加してこなかった子が少しずつ自分から参加し始める姿、実際にアウシュビッツの生存者を呼んで講演してもらったときの生徒たちの涙、「買い物のついでに近くだから虐殺資料館に行くわ」と言っていた女生徒が、「そろそろ買い物に行かなくていいの?」という先生の言葉に「買い物は別の日にします」と被害者の写真に見入る横顔にこちらも胸が熱くなります。

落ちこぼれ高校生たちが与えられたテーマに沿って、どんどん自主的に学んでいこうとする姿勢とそれをまっすぐにサポートする教師の真摯な姿が素晴らしいです。ゲゲン先生は校長先生から「あんな落ちこぼれたちに時間を割かずに、優秀な生徒に割け」と言われますが、それを無視して信念を貫きます。彼らの姿とナチスのユダヤ人他虐殺を学ぶという2つの視点から見ることができる作品です。

彼らの純粋な学ぼうとする姿を日本の歴史修正主義者たちに見習ってもらいたい。