特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

鼻つき

2023-03-20 07:00:13 | 死臭 消臭
コロナが落ち着いてきたのを機に、「マナー推奨」の条件付きとはいえ、マスク着用が解禁となった。
議論されることは多々あったけど、マスクはウイルスの放出や吸引を抑制し、感染防止に一定の効果があったと思う。
(大金がつぎ込まれた“アベノマスク”は無駄以外の何者でもなかったように思うが。)
功罪は別として、前回書いたとおり“覆面”の効果もある。
これで安心感を得ている人も少なくないだろう。
また、ニオイについても影響がある。
自分の口臭に気づきやすくなったり、外のニオイに気づきにくくなったり。
事実、口臭対策の商品がよく売れているそう。
ただ、一般の不織布マスクでは、常日頃、私が遭遇している鼻を突くような悪臭を防ぐのは無理。
マスク自体が一瞬にしてクサくなって、防塵としての役割しか果たさなくなる。
何はともあれ、マスクの脱着が余計なトラブルを招くようなことがないまま月日が流れていってほしい。
デリケートな領域の事柄につき、誰かのちょっとした行為が鼻につく人も少なくないように思われるから。

しかし、いつの世にもどこの地にも、鼻につく人間っているもの。
良し悪しは別として、合わない人間はどこにでもいる。
ただ、他人の欠点や短所には敏感なクセに、自分のそれには気づかないのが人の性。
“自分が正しい”“自分は良い人間”と思っていたら大間違い。
結局のところ、誰かにとっては、自分も鼻につく人間の一人のはず。
そこのところを充分に弁えておくことが大切だと思う。

SNSを一切やらない私には縁のない世界の話だけど、「炎上」という言葉はよく耳にする。
時折、ニュース等で、ネット上で繰り広げられているヒドい誹謗中傷を目の当たりにすることがある。
人と人との距離が空間を越えているこの時世では、鼻につく人間というのは、身近な現実社会よりもネット社会の方に多いような気がする。
些細な言動や行動が火種となり、顔も名前をわからない“敵”に袋叩きにされる。
「思想・表現の自由」と言ってしまえばそれまでだけど、「よくもまぁ、いちいち難癖をつけられるものだ」「冷酷になれるものだ」「ヒドイ言葉を思いつくものだ」と憤りを通り越して感心してしまうくらい。

利害関係者なら理解できなくもないけど、攻撃する輩の大半は、何の害も被っていない無関係の人間だろう。
それが、どこからか、ウジのように沸いてくる。
ただ、実際のウジとは違って、そういう輩は、ほんの一部の人間、ごく少数だそう。
単に、世間からの注目を浴びやすく目立ってしまうから大勢のように錯覚するのだそう。
あくまで、広いネット世界の一部に存在する狭いコミュニティー内の文字攻撃なのだから、気にしなければいいだけのことかもしれないのだけど、攻撃される当人にとっては、そう簡単に受け流せるものではないのだろう。


意味は変わるが、私も、よく“鼻をつく人間”になってしまう。
想像の通り、仕事で悪臭が身に着くためだ。
「悪臭」の種類は様々あるが、とりわけ、腐乱死体臭は色んな意味で別格。
鼻はもちろん、素人の場合、腹をえぐられることもある。
同様に、メンタルがやられてしまうことも多々。
あまりにショッキングな光景を目の当たりにし、ショッキングなニオイを嗅いでしまったことで、それがトラウマになる。
そして、一般社会に戻ってからも腐乱死体臭が精神から離れなくなり、ノイローゼ状態になってしまうのである。

幸か不幸か、私はとっくに慣れきっている。
かつては重宝していた専用マスクも、近年は、面倒臭くて装着しないことがほとんど。
鼻から入るニオイは防げたとしても、どちらにしろ、身体は悪臭まみれ(ウ〇コ男)になってしまうことに変わりはないから。
ただ、作業服についたニオイは洗濯すれば落ちる。
身体についたニオイも風呂に入れば落ちる(髪は やや落としにくいけど)。
それでも、「身体に着いたニオイは風呂に入っても落ちない」と思っている人がいるよう。
社会の陰に細々と存在する珍業だから都市伝説になるほどではないけど、そう思っている人がいるらしい。

十年余り前のことになるが、仕事の用で とある出版社の女性スタッフと電話やメールでやりとりしたことが何度かあった。
何度かやりとりするうちに、彼女は、私との面談を希望してきた。
まるっきり会わないのも不自然に思われたため私も応じるつもりではあったが、仕事柄、予定を立てにくいのも現実。
現場仕事を優先せざるを得ないため、約束した日時はキャンセル・変更の連続。
で、結局、彼女と顔を合わせることはないまま用件は片付き、そのまま縁もなくなった。

用件が無事に済んだのだから、私にとって、それはそれで何の問題もなかった。
しかし、事はそれで終わらず。
偶然というか必然というか、とあるサイトで、彼女が書いた私に関するコメントを発見。
そこには、
「特掃隊長は、身体に浸みついたニオイを気にして人と会わない」
といった趣旨のことが書かれてあった。
会わなかったのは、あくまで仕事の都合、スケジュールの問題。
彼女にもそう伝えていた。
しかし、彼女が表にしたのは上記のとおり。
おそらく、私に見られることはないだろうと思って書いたのだろうけど、これも、ある種の誹謗中傷。
「随分、失礼なことを書くもんだな」
と、当時は、かなり気分を害したし、少し悲しくもあった。
気分的には文句の一つも言ってやりたかったけど、既に用件は終わり縁を保つ必要もない人物であり、
「文句を言っても自分の口が汚れるだけだから」
と、そのままスルーし、今では忘れかけた想い出として残っているのみである。



消臭についての問い合わせがあった。
電話の相手は、とある内装業者。
現場は、住宅地に建つ一戸建。
そこで暮らしていた住人が孤独死。
住宅密集地で近隣には多くの人が暮らしていたが、直ちにその異変に気づく人はおらず。
結局、季節の暑さも手伝って、遺体は著しく腐敗してしまった。

現場となった家屋は、故人所有。
相続人はいたが、以降、そこに居住する縁者はおらず。
第三者に売却されることになり、とある不動産会社が買い取った。
そして、リフォームを施した上で再販。
私が相談を受けた時点では、既に再販の売買契約は成立しており、当家屋のリフォーム工事も完了。
買主への引渡しを待つばかりの状態だった。

ただ、「亡くなっていた部屋だけ妙な異臭が感じられる」とのこと。
内装がきれいになっているのに異臭が残留しているということは、そもそもの作業内容・工程を間違った可能性が高い。
本来なら異臭をキチンと除去してから内装を仕上げるべきところ、「内装をきれいにすればニオイもなくなるだろう」と、腐乱死体臭の性質を理解していない一般の人は、その辺のところを甘く考えてしまうわけだ。
この内装業者も、同様に甘く考えていたのか・・・
しかし、現実として遺体臭は残留してしまい、工事が終わっても買主に引き渡すことができない事態に陥っていた。

話を聞いただけで、私は“内装工事のやり直しは避けられないだろう”と判断。
「現場を見ないとハッキリしたことは言えませんけど・・・」
と前置きした上でその旨を伝えた。
それでも、内装業者は、
「このまま消臭できると助かるんですけど・・・とりあえず、現地を見てもらえませんか?」と強く要望。
私は、“仕事にならない可能性が大きいかな・・・”と思いながらも、“これも何かの縁”と、同じ肉体労働者である情に後押しされながら現場に出向く約束をした。


訪れた現場は、街中の住宅地に建つ一戸建。
大きな建物ではなかったが、築年数は浅そうで、外観もきれいな状態。
そこには、二人の男性が。
一人は、電話をしてきた内装業者。
作業服姿で四十代くらい。
もう一人は、不動産会社。
スーツ姿で三十代くらい。
私は、それぞれに名刺を渡し、立場に上下はない中でも、礼儀として丁寧に頭を下げた。

問題の部屋に入ると、日常にはない異臭が私の鼻孔に侵入。
低濃度ではあったものの嗅ぎなれたもので、その正体は明らか。
「やっぱ、遺体のニオイですか?」
二人は、緊張の面持ちでそう訊いてきた。
「残念ながら そうですね・・・断言できます」
私は、自信をもってそう返答。
すると、二人は、“マズイなぁ!”と言わんばかりの引きつった表情で顔を見合わせたかと思うと、次第に、不動産会社の表情は怒ったようなものに、内装業者の表情は怯えたようなものに変わっていった。

私は、内装業者のスマホに保存されていた工事前、工事中の画像を確認。
遺体液によりフローリングは腐食し、下地もダメに。
ただ、画像で見るかぎり、床は下地もフローリングも全面交換されており、問題は見受けられず。
次に問題視すべきは天井と壁。
そのクロスはすべて新品に貼り換えられており見た目は新築状態。
ただ、鼻を近づけてみると、微妙は感じ。
明らかにクサくはなかったものの、下地ボードから出ていると思われる異臭をわずかに感知。
また、建具や収納庫などにはハッキリとした異臭が付着。
部屋の異臭は、それら全体から、ジワジワと滲み出ているものと思われた。

「急いで脱臭する必要があるなら、新品のクロスを剥がしてもらうことになると思います」
「もしくは、いずれは生活臭の方が勝るときがくるので、この状態で生活して、自然に中和されていくのを待つか・・・それなりの月日はかかると思いますけど」
私は、そうアドバイス。
もちろん、買主は、当家屋が事故物件であることは承知で購入したはず。
地域相場より割安なわけで、敬遠する人が多い中でも「お買い得」と考えて購入したのかも。
そうは言っても、家屋が原状回復する前提での購入のはずで、遺体臭が残ったままでは暮らしようがないだろう。
契約した価格を更に下げれば話は変わるのかもしれないけど、この状態で買主が納得して入居する可能性は低いと思われた。


私は、部屋に漂うニオイも鼻についたが、それよりも鼻につくことが別にあった。
それは、内装業者に対する不動産会社の態度。
私を含めた三人の中では、明らかに不動産会社の方が一番年下。
にも関わらず、不動産会社は内装業者に対してタメ口。
それにとどまらず、何を勘違いしているのか、初対面の私にまでタメ口。
横柄、偉そう・・・
それが親近感からくるものではなく、上から目線からきているものであることは明白。
「元請→下請→孫請」の構造(上下関係)がハッキリしている製造業や建設業では当り前の慣習なのかもしれないけど、部外者の私にとってそれは、かなり不愉快なものだった。

しかも、両氏の会話からは、本工事は、不動産会社の指示通りに行われたことが伺い知れた。
内装業者は、「内装改修のみでの消臭は無理では?」と不動産会社に進言したようだったが、不動産会社は「内装工事をすればニオイも消えるはず」と安易に考えたよう。
当社のような専門業者を入れれば工期も長くなれば費用も膨らむ。
逆に言えば、ニオイを無視すれば、余計な工期も費用はかからない。
で、結局、内装業者は、不動産会社の指示通りに工事を行ったよう。
しかし、不動産会社は、そういう経緯を無視して妙な理屈をこねくり回し、その責任を丸ごと内装業者に押し付けるような方向で話を進めていった。

とにもかくにも、早急に悪臭を除去するには、一部の内装工事をやり直す必要があった。
となると、追加の工事費用がかかるのはもちろん、買主への引き渡し時期を遅らせる必要もある。
消臭にかかる費用をはじめ追加の工事費は、当然、買主に負担させるわけにはいかない。
ま、それは、内装業者か不動産会社が負えば済む。
問題なのは、買主に事情を説明し納得してもらうこと。

買主は、引っ越しの予定を決め、引越業者の手配も終わっているだろう。
退去日も確定させているはずで、賃貸住宅の場合だったら、問題は尚更大きくなる。
大迷惑をかけてしまうことは明白で、大顰蹙も買ってしまうだろう。
事情を説明したとしても、到底、すんなり了承してもらえるとは思えない状況。
そうは言っても、買主と協議しないまま事が収まるはずはなかった。

内装業者は不動産会社の下請業者だから立場も弱い。
つまり、イヤな役回りを押し付けられやすい立場ということ。
また、追加でかかる費用についても、それなりの負担を強いられる可能性が少なくない。
ひょっとしたら、買主に対して矢面に立たされるかもしれない。
ただ、内装業者としては、現実の力関係と先々の商いを考えると、納得できないことはあっても受け入れるしかないところもある。
元請と下請、この弱肉強食の構図は、この世の中に五万とある。
想像するだけで気の毒に思えたが、内装業者がその役割を担わされることになるのは、他人の私でも容易に想像できた。


その後、当社の提案に沿って再工事。
内装業者とも何度か顔を合わせるうちに、仕事のことはもちろん、他のことも色々と話せる間柄に。
彼は一人親方で、職人仲間と力を合わせて、色々なところからの下請工事をこなしているそう。
本件の不動産会社は大口の取引先の一つ。
ただ、「どの担当者も偉そうで、人使いも荒く、好きになれない取引先」とのこと。
それでも、食べていくために仕事は選べず、儲からない仕事や雑用でもペコペコ・イソイソとやっているそう。
そんな話の中で、
「これからもそうやっていくしかないんですけどね・・・」
と、表情を曇らせた。
その顔からは、不動産会社への不満だけにとどまらず、それまでに味わってきた世の中の理不尽さと資本主義の罪に対する悔しさも滲み出ているような気がした。

結局のところ、泣きをみるのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
いつの世でも、理不尽な目に遭うのは、力のない者、立場の弱い者なのか・・・
私は、その“答”にたどり着けないまま小さな溜め息をついた。
そして、「生きていくって楽じゃないよな・・・」と、曇りがちの空を力なく仰いだのだった。


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