人は一人一人、顔や身体が違う。
不思議なくらい異なる。
同じように、五感の感覚も異なる。
臭覚も個人差があり、敏感な人もいれば、鈍感な人もいる。
一般的な健康診断には“臭覚検査”というものがない。
自分の視覚や聴覚の良し悪しはだいたい把握しているものの、臭覚については、一体、自分の感覚がどの程度なのか把握する機会は乏しい。
だから、自分の臭覚に何らかの問題がありながら気づかないままでいることも多いのではないだろうか。
「自分の臭覚は標準的」と思ったら大間違い。
ニオイを感じるレベルや感じ方、また、その好みは十人十色。
仕事柄、臭覚は鋭敏であったほうがいいのだが、私は、自分の臭覚を平均的なものだと思っている。
第三者が感じるニオイを感じなかったり、逆に感じたりすることがあるから、そう判断している。
だから、現場における臭気確認も、依頼者をはじめとする第三者を含めた複数の人間(少なくとも三人)によって行うことが肝要。
自分一人では客観的な判断もできなければ、客観的であることを説得することもできないから。
とにもかくにも、“ニオイ”っておもしろい。
よく「いい匂い」とか「わるい臭い」とか言うけど、判断基準や境界線はかなり曖昧。
同じニオイでも、人によって“いい匂い”にもなり“わるい臭い”にもなる。
顕著な例は食品。
その代表格は、納豆、チーズ、クサヤ等の発酵食品。
これらのニオイは、好む人もいれば嫌う人もいて、賛否両論がある。
また、これらのニオイは、熟成によって変化することも多い。
それによって、悪臭だったものが芳香に感じられることもある。
また、視覚や味覚がニオイの感じ方に影響することもある。
こういったことから、「ニオイは鼻で感じるものだけど、鼻だけで感じるものではない」ということがわかる。
ちなみに、子供の頃の私には、ニオイについて変わった好みがあった。
ひとつは、母親が使っていた除光液のニオイ。
これが好きで、瓶の蓋をとっては、鼻を近づけてウットリしていたものだ。
また、タクシー(ガス燃料)の排気ガス臭も好きだった。
タクシーを見つけると、後ろについてはマフラーから出る排気ガスを嗅いでいた。
しかし、よくもまぁ、そんなバカなことをしていたもの・・・
鼻がどうかしてる前に頭がどうかしていたとしか思えない。
ひょっとして、今の自分がこんななのは、その後遺症なのかも?
「部屋のニオイについて相談にのってもらいたい」
臭気相談の電話が入った。
声の感じは30代~40代くらいの女性。
そのトーンは低く、暗い雰囲気。
なにやら重いものを感じた私は、いつもの事務的(冷淡?)な態度で質疑応答を繰り返した。
現場は、女性名義の一戸建。
構造を聞くと、一般的な二階建。
異臭の原因は腐乱死体。
亡くなったのは、この家に同居していた女性の姉。
私は、同居と腐乱の因果関係に下衆な好奇心を抱きながら、状況確認を進めた。
女性宅は、二世帯住宅ではなく一般の住宅。
一階は故人(姉)が使い、二階を女性(妹)が使用。
トイレは一階と二階にそれぞれあり、それぞれが別使用。
台所、風呂、玄関は共用。
同居といっても普通の同居のようではなく、何かいわくがありげな感じだった。
具体的なことは訊かなかったが、二人の間には過去に相当のことがあったよう。
それを機に、“お互いに干渉しないこと”“お互いの部屋には立ち入らないこと”“お互いをいないものとして生活すること”を取り決め。
更に、家の中で顔を合わせないようにするため、お互いの生活パターンと物音に気を配った。
そうして、一軒家の同居にもかかわらず、お互い、家の中で顔を合わせることのない生活が始まった。
そんな生活がしばらく続いたある日、女性は、一階から物音がしなくなっていることに気づいた。
いつもは、足音やドアを開け閉めする音、TV音などが聞こえてくるはずなのに、何も聞こえず。
「外に出かけたのか?」
はじめの一日・二日はそう考え、たいして気にもとめず。
しかし、3日目くらいになると、ちょっと不審に思うように。
それでも、過去の苦い思い出を甦らせたくなかった女性は、干渉することはせず。
意識して、姉のことは考えないように時を過ごした
しばらくすると、一階には嗅いだことがない異臭が漂うように。
そして、そのニオイは日に日に濃度を上げていった。
同時に、何匹ものハエが出現。
「生ゴミでも腐らせたか?」
当初、女性はそう思った。
しかし、そのニオイは尋常ではなく・・・
悪い予感が脳裏に過ぎった女性は、意を決し、姉の部屋の扉を開けてみた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、床に倒れた姉の姿。
そして、肥え太った無数のハエ。
驚いた女性は、「クサい」なんて感じる余裕もなく、姉に近寄り肩を揺り動かしてみた。
しかし、姉はビクとも動かず。
女性は、慌てて119番へ通報。
救急車のあとにパトカーも来て、大騒ぎになった。
故人(姉)が、亡くなってから発見されるまで数日が経過。
暑い時節で腐敗はハイスピードで進行。
悪臭とともに無数のウジ・ハエが発生。
周囲には腐敗液が流れ出し、皮膚は黒く変色、顔は別人のように。
警察から身元確認を求められても即答しかねるほどの変容ぶりだった。
警察が遺体を運び出してからしばらくの間、部屋は立ち入り禁止に。
同時に、女性自身に対する取り調べも行われた。
しばらくして、事件性がないことが確認されると、立入禁止は解除に。
悪臭が充満する部屋で、女性は姉の死と対峙。
何をどうしていいかわからないまま、とりあえず部屋を掃除することに。
纏わりつく悪臭に侵されながら、涌いたウジ・ハエを始末し、汚物を処分。
そして、多くの汗と涙をともないながら、姉の痕を、何度も何度も繰り返し拭きとった。
しかし、床にはシミが残留。
それは、何度拭いても落とすことができず。
そしてまた、異臭も完全には消えず。
市販の芳香剤をつかっても窓を開けて換気しても、異臭は室内に滞留。
それは、とても我慢しきれるレベルのものではなかった。
一通りの話を聞いた私は、とりあえず、現地に赴くことに。
本件のように、同居している家族が孤独死し、腐乱状態で発見されるケースはままある。
数として多くはないが、「極めて珍しいケース」というほどでもない。
経験が浅い頃は「なんで!?」と怪訝に、ときには腹立たしくも感じたものだが、場数を踏んでくると「人間関係って色々あるよな・・・」と冷静に受け止められるようになって
いる。
私は、「たいした仕事にはならなそうだな・・・」と、お気楽なことを考えつつも、込み入った事情を聞いてしまったことからくる気の重さを抱えながら車を走らせた。
到着した現場は、古い一戸建。
目的の部屋は、リビングにつながった一階の洋室。
一階のドアや戸には南京錠がいくつも取り付けてあり、それは、姉妹が断絶の関係にあったことを証明していた。
ドアを開けると、覚えのあるニオイが鼻を突いた。
更に、床に目をやると汚染痕が残留。
それは、遺体が長期に渡って放置されたためにできた、腐敗液の浸透痕。
ただ、その表面は床板の艶がなくなるほど磨かれており、女性が何度も拭いた苦心の痕でもあった。
通常、このケースなら、原状回復させるにあたってフローリングを張り替える。
ただ、女性には、以降、その部屋は使う予定がないこと、また、“あまり費用がかけられない”という事情があり、床フローリングはそのままにしておくことに。
その上で、汚染痕には相応の処理を施し、その部屋を重点に家中を消臭消毒することに。あれこれを話し合い、女性の要望と私の提案が合致したところで、作業の請負契約は成立となった。
当初の予想通り、作業は難しいものにはならず。
肝心の腐敗体液は女性の手で掃除されていたわけで、あとは、決まりきった手順で作業を進めるのみ。
短い時間で済んだ作業の終盤、私は、室内の換気をこまめに行うことと、必要に応じて市販の消臭芳香剤をつかうことをアドバイス。
そして、
「この床掃除は、感謝されるに値するものだと思いますよ・・・」
「これが“和解”のきっかけになればいいですね・・・」
と、女性の心には届くかどうかわからないクサい気休めを言って作業を終了したのだった。
私は、クサいところに行くことが多い。
そして、自分がクサくなることも多い。
驚くほどクサくなることもしばしば。
しばしば「ウ○コ男」と自称するように、まさに「ウ○コが人間のかたちをして歩いている」と言っても過言ではないくらいの状態になることも珍しくない(※ニオイ自体はウ○コとは異なる)。
さすがに、そこまでいくと、自分の悪臭は自覚できる。
が、往々にして、自分のニオイって自分では感じにくい。
口臭や体臭をはじめ、人柄や性格から醸し出される自分の“ニオイ”ってなかなか自覚できないもの。
他人の悪臭には敏感なのに、自分の悪臭には鈍感・・・これもまた人間の性質なのだ。
私は、クサいことをたくさんやっているし、クサいこと(ウサン臭いこと?)をたくさん言って(書いて)いるだろうと思う。
また、他人には悪臭と感じられても、自分ではクサく感じていないことも多いかもしれない。
芳香のつもりで悪臭を放っていることもあるだろう。
悪臭をごまかすため、腹にもない笑顔をつくり、詭弁を弄し、偽善で覆っていることもあるだろう。
ただ、それもまた人間臭。
まぎれのない自分の人間臭なのである。
私は、欠陥だらけのポンコツおやじ。
現場臭、加齢臭、ダメ人間臭・・・悪臭がプンプンしている。
ただ、この身体・この歳・この頭・この性質を取り替えることはできない。
もはや、そこからでる悪臭は諦めるほかない。
せめてもの術は、「精神の腐乱臭をどれだけ抑えることができるかどうか」「悪臭を熟成させ芳香に近づけることができるかどうか」。
そのためには、謙虚さをもって今に感謝し、向上心をもって今に満足し、誇りをもって今を活き、信頼をもって今に逆らわず、希望をもって今に耐え、勇気をもって今と戦うこと・・・
過ぎゆく今を、ひたむきにガムシャラに生きることが必要なのだろうと思う。
公開コメント版
死臭の処理でお困りの方は
特殊清掃プロセンター
不思議なくらい異なる。
同じように、五感の感覚も異なる。
臭覚も個人差があり、敏感な人もいれば、鈍感な人もいる。
一般的な健康診断には“臭覚検査”というものがない。
自分の視覚や聴覚の良し悪しはだいたい把握しているものの、臭覚については、一体、自分の感覚がどの程度なのか把握する機会は乏しい。
だから、自分の臭覚に何らかの問題がありながら気づかないままでいることも多いのではないだろうか。
「自分の臭覚は標準的」と思ったら大間違い。
ニオイを感じるレベルや感じ方、また、その好みは十人十色。
仕事柄、臭覚は鋭敏であったほうがいいのだが、私は、自分の臭覚を平均的なものだと思っている。
第三者が感じるニオイを感じなかったり、逆に感じたりすることがあるから、そう判断している。
だから、現場における臭気確認も、依頼者をはじめとする第三者を含めた複数の人間(少なくとも三人)によって行うことが肝要。
自分一人では客観的な判断もできなければ、客観的であることを説得することもできないから。
とにもかくにも、“ニオイ”っておもしろい。
よく「いい匂い」とか「わるい臭い」とか言うけど、判断基準や境界線はかなり曖昧。
同じニオイでも、人によって“いい匂い”にもなり“わるい臭い”にもなる。
顕著な例は食品。
その代表格は、納豆、チーズ、クサヤ等の発酵食品。
これらのニオイは、好む人もいれば嫌う人もいて、賛否両論がある。
また、これらのニオイは、熟成によって変化することも多い。
それによって、悪臭だったものが芳香に感じられることもある。
また、視覚や味覚がニオイの感じ方に影響することもある。
こういったことから、「ニオイは鼻で感じるものだけど、鼻だけで感じるものではない」ということがわかる。
ちなみに、子供の頃の私には、ニオイについて変わった好みがあった。
ひとつは、母親が使っていた除光液のニオイ。
これが好きで、瓶の蓋をとっては、鼻を近づけてウットリしていたものだ。
また、タクシー(ガス燃料)の排気ガス臭も好きだった。
タクシーを見つけると、後ろについてはマフラーから出る排気ガスを嗅いでいた。
しかし、よくもまぁ、そんなバカなことをしていたもの・・・
鼻がどうかしてる前に頭がどうかしていたとしか思えない。
ひょっとして、今の自分がこんななのは、その後遺症なのかも?
「部屋のニオイについて相談にのってもらいたい」
臭気相談の電話が入った。
声の感じは30代~40代くらいの女性。
そのトーンは低く、暗い雰囲気。
なにやら重いものを感じた私は、いつもの事務的(冷淡?)な態度で質疑応答を繰り返した。
現場は、女性名義の一戸建。
構造を聞くと、一般的な二階建。
異臭の原因は腐乱死体。
亡くなったのは、この家に同居していた女性の姉。
私は、同居と腐乱の因果関係に下衆な好奇心を抱きながら、状況確認を進めた。
女性宅は、二世帯住宅ではなく一般の住宅。
一階は故人(姉)が使い、二階を女性(妹)が使用。
トイレは一階と二階にそれぞれあり、それぞれが別使用。
台所、風呂、玄関は共用。
同居といっても普通の同居のようではなく、何かいわくがありげな感じだった。
具体的なことは訊かなかったが、二人の間には過去に相当のことがあったよう。
それを機に、“お互いに干渉しないこと”“お互いの部屋には立ち入らないこと”“お互いをいないものとして生活すること”を取り決め。
更に、家の中で顔を合わせないようにするため、お互いの生活パターンと物音に気を配った。
そうして、一軒家の同居にもかかわらず、お互い、家の中で顔を合わせることのない生活が始まった。
そんな生活がしばらく続いたある日、女性は、一階から物音がしなくなっていることに気づいた。
いつもは、足音やドアを開け閉めする音、TV音などが聞こえてくるはずなのに、何も聞こえず。
「外に出かけたのか?」
はじめの一日・二日はそう考え、たいして気にもとめず。
しかし、3日目くらいになると、ちょっと不審に思うように。
それでも、過去の苦い思い出を甦らせたくなかった女性は、干渉することはせず。
意識して、姉のことは考えないように時を過ごした
しばらくすると、一階には嗅いだことがない異臭が漂うように。
そして、そのニオイは日に日に濃度を上げていった。
同時に、何匹ものハエが出現。
「生ゴミでも腐らせたか?」
当初、女性はそう思った。
しかし、そのニオイは尋常ではなく・・・
悪い予感が脳裏に過ぎった女性は、意を決し、姉の部屋の扉を開けてみた。
真っ先に目に飛び込んできたのは、床に倒れた姉の姿。
そして、肥え太った無数のハエ。
驚いた女性は、「クサい」なんて感じる余裕もなく、姉に近寄り肩を揺り動かしてみた。
しかし、姉はビクとも動かず。
女性は、慌てて119番へ通報。
救急車のあとにパトカーも来て、大騒ぎになった。
故人(姉)が、亡くなってから発見されるまで数日が経過。
暑い時節で腐敗はハイスピードで進行。
悪臭とともに無数のウジ・ハエが発生。
周囲には腐敗液が流れ出し、皮膚は黒く変色、顔は別人のように。
警察から身元確認を求められても即答しかねるほどの変容ぶりだった。
警察が遺体を運び出してからしばらくの間、部屋は立ち入り禁止に。
同時に、女性自身に対する取り調べも行われた。
しばらくして、事件性がないことが確認されると、立入禁止は解除に。
悪臭が充満する部屋で、女性は姉の死と対峙。
何をどうしていいかわからないまま、とりあえず部屋を掃除することに。
纏わりつく悪臭に侵されながら、涌いたウジ・ハエを始末し、汚物を処分。
そして、多くの汗と涙をともないながら、姉の痕を、何度も何度も繰り返し拭きとった。
しかし、床にはシミが残留。
それは、何度拭いても落とすことができず。
そしてまた、異臭も完全には消えず。
市販の芳香剤をつかっても窓を開けて換気しても、異臭は室内に滞留。
それは、とても我慢しきれるレベルのものではなかった。
一通りの話を聞いた私は、とりあえず、現地に赴くことに。
本件のように、同居している家族が孤独死し、腐乱状態で発見されるケースはままある。
数として多くはないが、「極めて珍しいケース」というほどでもない。
経験が浅い頃は「なんで!?」と怪訝に、ときには腹立たしくも感じたものだが、場数を踏んでくると「人間関係って色々あるよな・・・」と冷静に受け止められるようになって
いる。
私は、「たいした仕事にはならなそうだな・・・」と、お気楽なことを考えつつも、込み入った事情を聞いてしまったことからくる気の重さを抱えながら車を走らせた。
到着した現場は、古い一戸建。
目的の部屋は、リビングにつながった一階の洋室。
一階のドアや戸には南京錠がいくつも取り付けてあり、それは、姉妹が断絶の関係にあったことを証明していた。
ドアを開けると、覚えのあるニオイが鼻を突いた。
更に、床に目をやると汚染痕が残留。
それは、遺体が長期に渡って放置されたためにできた、腐敗液の浸透痕。
ただ、その表面は床板の艶がなくなるほど磨かれており、女性が何度も拭いた苦心の痕でもあった。
通常、このケースなら、原状回復させるにあたってフローリングを張り替える。
ただ、女性には、以降、その部屋は使う予定がないこと、また、“あまり費用がかけられない”という事情があり、床フローリングはそのままにしておくことに。
その上で、汚染痕には相応の処理を施し、その部屋を重点に家中を消臭消毒することに。あれこれを話し合い、女性の要望と私の提案が合致したところで、作業の請負契約は成立となった。
当初の予想通り、作業は難しいものにはならず。
肝心の腐敗体液は女性の手で掃除されていたわけで、あとは、決まりきった手順で作業を進めるのみ。
短い時間で済んだ作業の終盤、私は、室内の換気をこまめに行うことと、必要に応じて市販の消臭芳香剤をつかうことをアドバイス。
そして、
「この床掃除は、感謝されるに値するものだと思いますよ・・・」
「これが“和解”のきっかけになればいいですね・・・」
と、女性の心には届くかどうかわからないクサい気休めを言って作業を終了したのだった。
私は、クサいところに行くことが多い。
そして、自分がクサくなることも多い。
驚くほどクサくなることもしばしば。
しばしば「ウ○コ男」と自称するように、まさに「ウ○コが人間のかたちをして歩いている」と言っても過言ではないくらいの状態になることも珍しくない(※ニオイ自体はウ○コとは異なる)。
さすがに、そこまでいくと、自分の悪臭は自覚できる。
が、往々にして、自分のニオイって自分では感じにくい。
口臭や体臭をはじめ、人柄や性格から醸し出される自分の“ニオイ”ってなかなか自覚できないもの。
他人の悪臭には敏感なのに、自分の悪臭には鈍感・・・これもまた人間の性質なのだ。
私は、クサいことをたくさんやっているし、クサいこと(ウサン臭いこと?)をたくさん言って(書いて)いるだろうと思う。
また、他人には悪臭と感じられても、自分ではクサく感じていないことも多いかもしれない。
芳香のつもりで悪臭を放っていることもあるだろう。
悪臭をごまかすため、腹にもない笑顔をつくり、詭弁を弄し、偽善で覆っていることもあるだろう。
ただ、それもまた人間臭。
まぎれのない自分の人間臭なのである。
私は、欠陥だらけのポンコツおやじ。
現場臭、加齢臭、ダメ人間臭・・・悪臭がプンプンしている。
ただ、この身体・この歳・この頭・この性質を取り替えることはできない。
もはや、そこからでる悪臭は諦めるほかない。
せめてもの術は、「精神の腐乱臭をどれだけ抑えることができるかどうか」「悪臭を熟成させ芳香に近づけることができるかどうか」。
そのためには、謙虚さをもって今に感謝し、向上心をもって今に満足し、誇りをもって今を活き、信頼をもって今に逆らわず、希望をもって今に耐え、勇気をもって今と戦うこと・・・
過ぎゆく今を、ひたむきにガムシャラに生きることが必要なのだろうと思う。
公開コメント版
死臭の処理でお困りの方は
特殊清掃プロセンター