特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

残された時間 ~後編~

2021-02-03 08:17:05 | 遺品整理
女性の両親は共に聾唖者で、父親は幼少期に、母親もだいぶ前に亡くなり、兄弟姉妹もおらず、女性自身、結婚歴もなし。
父が亡くなって以降、将来を悲観した母親から心中を持ちかけられたりと、悲しく悔しい思いをしたことも少なくなかった。
生前の母親との関係も良好ではなく、手話をおぼえる気も起きず、血縁的には孤独な身の上だった。
苦難の多い少女期を過ごして後、大人になると誰を頼ることもなく懸命に働き、駅近の好立地にマンションを購入、四匹の愛猫との幸せな暮らしを手に入れた。
また、その人柄から、親しく付き合える友達が何人も与えられた。

女性が癌を患ったのは十年以上も前、それから長い闘病生活がはじまり、再発・転移を繰り返し、徐々に悪化。
しかし、悪いことは重なるもの、癌を患っただけでも充分なのに、勤務先の倒産・失業・・・災難が女性に襲いかかった。
多くの苦難に遭遇、ツラいことばかりが起こり、辛酸という辛酸を舐めつくし、自殺を考えた時期もあった。
癌の悪化で働くこともままならなくなり、貯えは底を尽き、生活のために借金。
ようやくありつけた正社員の仕事も5日でクビになり、闘病しながらの生活はどうにも回らなくなってしまった。

最後のトドメは、借金苦のまま仕事も見つからず、身動きがとれなくなった二年前。
癌が悪化する中、とうとう破産、やむなく生活保護を申請・・・
家族だった愛猫とも引き離され、一生住み続けたいと思っていたマンションも取り上げられ・・・
女性に幸せをくれていたもの、すべてを失ってしまった。
ただ、唯一、もともと猫をくれた友人が愛猫を再び引き取ってくれたことのみが救いだった。

新しく暮らす家が必要になっても、女性のような境遇の人を入居させてくれるところはなかなか見つからず。
病身を押しての家探しは、惨めなものだったかもしれない・・・やっとの思いで見つけたのは、小さな賃貸マンション。
どうしても手放したくない最低限の物と一緒に そこへ越し、部屋の大きさに合う小さな家電を揃えて、新しい生活をスタート。
そのとき、女性は、「自分の人生で本当にツラいことは、やっと、やっと全部終わった・・・」「これ以上、苦しまなくてすむ・・・」と悟った。
そこには、諦念を超えた安堵感があった・・・もっと言うと、その時、女性は、絶望感を超えた希望のようなものを抱いたのではないかと私は思った。


女性が余命宣告を受けたのは、昨年12月3日のこと。
その日、女性が訊ねたわけでもないのに、主治医は、「これ以上、やれる治療はなくなりました」「余命二カ月、ですね」と、淡々と告げたそう。
医師と女性の間には信頼関係ができており、医師は、女性の性質をわかったうえで告げたのだった。
それは、女性にとって最悪のシナリオだったが、その可能性があることも充分に覚悟しており、“仕方ないな・・・”と素直に受け入れた。
そして、淡々とした心持ちで、「あ~・・・そ~ですか・・・」とだけ返した。

「医者も用心して、余命は“最短”を言うでしょうから、“桜が見れるかどうか・・・”ってところでしょうかね・・・」
「部屋で倒れてもすぐ発見してもらえるように、看護ヘルパーに来てもらっています」
女性は、さすがに、私のブログをよく読んでくれている。
孤独死して放置されるとどうなるか、よく理解。
まるで他人のことを話すかのように、軽々とそう言った。

「多くの人は、“明日がある”“次の季節がある”“来年がある”と思っている・・・そのことが何だか不思議に思える」
「自分には“次”がないという感覚が、何とも新鮮」
一般の人に比べると、はるかに“死”というものを意識して生きてきたつもりの私だけど、その「不思議」「新鮮」といった言葉は、到底、私の口からは発し得ないもの。
私の中では、“そういうものなのか・・・”といった思いと、“なるほど・・・”といった思いが複雑に交錯。
そこは、まったく未知の境地・・・それこそ、私にとっては“不思議”で“新鮮”な感覚だった。

確かに、平均寿命を、漠然と自分の寿命のように思っている人は多いだろう。
何の保証もなく、何の確証もないまま、勝手に。
また、そう思わないと自分の人生をプランニングできないし、まともに生きられない。
しかし、残された時間は自分が思っているほど長くはなく、現実的には、いつ どこで この人生が終わるかわからない。
平均寿命まで生きるつもりでいながらも、残された時間が少ないことを知って生きることが賢い生き方なのだろうと、あらためて気づかされた私だった。

相手に精神的な重荷を負わせることになりかねないから、女性は、一時、「余命二カ月」と告げられたことを親しい人に伝えることを躊躇った。
それに対する応えとして、私は、「麦は、生きているうちは一粒のままだが、死ねば多くの実をむすぶ」という聖書の言葉を引用し、同時に、2011年4月1日のブログ「一粒の麦」を紹介しながら、冷たい人間に似合わない熱量をもって持論を展開。
女性の最期の生き様と、その死は、私を含めた周囲の人の心に、“大切な気づき”を必ず与えること・・・
生活に追われる毎日から、一旦 目を離し、立ち止まって、静かに命や人生を見つめ直すチャンスをもたらすこと・・・
それが、人の心に“よい実”を実らせること、決して“無”ではないことを伝えると、「心に刺さりました・・・」と、それまでの様子とはうってかわって、女性は、ポロポロと涙をこぼした。


話が尽きない中 ダラダラと居座るわけにもいかず、夕方には帰社する必要もあったので、女性との面談は二時間余で終えた。
ただ、その後も、女性に訊きたいことが次々にでてきて、女性も私に話したいことがでてきて(?)、その関係性に釣り合わないくらい頻繁にメールでやりとりしている。
別れた直後には、本気なのか冗談なのか、ジョークを飛ばすように「冥土の土産になりました」とメールが入った。
また、その後にも、私と会えたことについて「やってまいりました、千載一遇のチャンスが!」「“余命二カ月も悪くないな”と本気で思いました」との言葉(文字)が出てきた。
「何が何でも長生きすることが、命の価値を高めたり、人生に意味を持たせたりするものだとは思っていませんけど、せっかく知り合いになれたのですから、粘り強く生きて下さい」と送ると、「“余命?なんだっけソレ?”という感じで元気でやってます」と返ってきた。

女性は、私と会ったのを機に、650編を超えるこのブログを、はじめから再び読み直し始めたそう。
また、 “みき さえ”さんという漫画家が、何年も前から、このブログを原案に描いておられる「命の足あと」という作品があるのだが、それを紹介したら、早速、電子コミックで読み始めてくれた。
もともと漫画は好きなようで、「読者に伝わるように構成がよく考えられている」「絵もコマ割りもとても上手」とプロっぽいコメントで作品の出来ばえを褒めてくれた。
とは言え、私は、作者から質問があったときに応答しているだけで、制作に細かく携わっているわけではない。
とにかく、女性は、私に関わることは何でもかんでも褒めてくれ、楽しげに喜んでくれた。

そんな具合に、女性は、病んだ肉体とは裏腹に、内面は、とにかく明るくて元気!
深く落ち込んだり、気分が沈んだりすることも、ほとんどないよう。
ウィットに富んだ表現もとても上手で、いい意味で、「どういう神経してるんだ?」と笑ってしまうくらい。
しかし、そんな女性だって、これまで何度となく鬱状態に陥ったことがあり、自殺を考えた時期もあったわけで、“強い人間”というわけでもなかった。
「人それぞれ」と言えばそれまでだけど、とにかく女性は、弱くて脆く、ネクラな私とは まったく異なるタイプで、私は、そこのところに、憧れに近い疑問(興味)を覚え、同時に、その理由を探って、そこから、楽に生きるためのコツ・ヒントを学び取りたいと思った。

女性が人生を楽に生きられるようになったのは、ここ数年のこと。
何もかも失って以降は尚更。
もう、死ぬことも恐くなく、生きることへ執着もなく、ただ、残された一日一日を大切に、楽しんで生きたいのだそう。
そんな女性の明るさは、絶望や諦念の反動からくるものではないことはハッキリしている。
それは、打ちのめされた弱い自分から錬りだされた強さと、守るべき人も 守るべきものもない身軽さと、すべてを失うことの達観からきているもの・・・
しかし、それだけではなく、私には、女性自身も気づいていない深層心理の部分に、一つの信念、ある種の信仰心のようなものがあるように思えた。

そんな元気な様子が伺えても、身体は、容赦なく癌が蝕み続けている・・・特に、1月28日からは深刻な状態に陥っている・・・
まだ何とか一人での生活を営めているものの、腹部を中心に身体には鈍い痛みがあり、少し前までは、鎮痛剤“ロキソニン”が飲むと痛みが引いていたのだけど、今では、もうそれも効かなくなっている。
で、この頃は、イザというときの“御守”として処方してもらっていた、麻薬系の鎮痛剤“オキノーム”を服用。
それも、はじめは一日一回で抑えられていたのが、今では一日三回にまで増量せざるを得ない状況で、それでも、痛みは治まりきらず、更に、記憶がとんだり、意識が朦朧としたりするときもあるよう。
その苦痛を想うと、こんな私の心でもシクシクと痛んでくる・・・女性の心身が癒されるよう、祈らずにはいられない。


私が、このブログ「特殊清掃 戦う男たち」を始めたのは、2006年5月17日・・・もう15年近く前のこと。
650編を超える中で、色んなことを書いてきた。
経験したこと、想ったこと、考えていること、愚痴や弱音や泣き言も。
できるかぎり自分と正直に向き合い、できるかぎり自分の心の声に耳を傾けながら。
そしてまた、自分から出る言葉だけではなく、僭越ながらも、故人の声を代弁するようなエピソードもしたためてきた。

当初は、自分なりに精一杯 女性を癒し、励ますことが自分の役目だと考えていた私。
しかし、前述のとおり、私には、女性を癒し励ますことができるほどの見識はない。
勇気や希望を与えることができるほどの力量もない。
それでも、できることはある・・・私は、とにかく、自分ができることをしようと思った。
独善でも、独断でも、偏見でもいい、私は、女性の心の声をきいて、それを特掃隊長というフィルター通して核心を洗い出し、ダメ人間なりに研磨して代弁することが、“特掃隊長ができること”ということに行きついた。

で、この経験をブログに書こうと思い立った。
この経験を自分に刻み、また読者に伝えて、そこから何か大切なものを得よう、得てもらおうと考えた。
しかし、困った・・・悩んだ・・・
起こった出来事だけを新聞記事のように書くのは簡単なのだけど、それだけでは何かが足りない・・・
“何かが足りない”のはわかっていながらも“何が足りないのか”、考えても考えても、それがわからなかった。

一般の世では、現実的な“死”を語ることはタブー視されやすい。
とりわけ、リアルに該当する当人の前では。
しかし、女性に そのタブーはなかった。
“女性の心の声をきく力”が不足していることに気づいた私は、“無神経”を承知で女性へ質問を投げかけた。
一方の女性は、「今は何でもオープンですので、何でも訊いて下さい!」と、大らかな姿勢で応じてくれた。

「仮に、愛猫と一緒に、マンションで平和に暮らしていたとしても、その精神状態は変わらなかったでしょうか?」
「それに答えるのは、ちょっと難しいです・・・それを現実に想像するのが難しいです・・・“何もかも失った今の私には想像かつかない”というのが正直なところです」
「切ない質問をしてゴメンナサイ・・・」
「大好きだった猫達と 大事にしていたマンションを失った悲しみが通り過ぎたら、もう何にも恐いものがなくなりました」
この他にも、私は、ビジネスライクなお願いや酷な質問を連発した。

そして、女性からも、たくさんの言葉を送って(贈って)もらった。
「フツーに生きてるだけでめっけもん!」
「自分が好きなように過ごしたのだから、何もしなくても、充分、幸せな一日」
「自分がツラいだけで誰の得にもならないから、自分を責めることを一切やめた」
「親身になってくれる友人はもちろん、この世の ありとあらゆるものに対して感謝が止まらない」等々・・・


当初、私は、この経験をここに書くにあたって、おさまりのよい一つの着地点をつくろうとしていた。
女性とのやりとりを通して、その“大切な想い”を探り出し、多くの人に共感してもらえるようなゴールを目指そうとした
打算癖のある頭に頼った、変な計算が働いていた。
しかし、悲しいかな、女性の心の声をきく力だけではなく、その深層心理を探りきる力、それをキチンと文章にまとめる力までも不足。
結局、悩んでいるうちに 時間は足早に過ぎていき、ゴールにたどり着くことはおろか、メッセージらしいメッセージをかたち造ることさえできなかった。

ただ、もっと もっと時間をかければ、自分を錬ることができ、思慮を深めることができ、納得のいくゴールが見えてきたかもしれない。
しかし、女性が「余命二カ月」と告げられて、今日が その二カ月・・・もう時間がない。
もたもた悩んでいるうちに、時間は“酷”一刻と過ぎていく。
私は、女性が自分の目で読めるうちにこれを書くことが、自分に課された“務め”のような、“使命”のような、“責任”のような・・・私を必要としてくれ、私を呼んでくれた、女性に対する“こたえ”のような気がしている。
だから、私は、ひとしきり悩んだ末、想いが伝わらなくても、想いが届かなくても、女性のために・・・結局は自分のためにも、“二カ月以内”に書きあげることに渾身の力を注ぐことにした。


もともと、私は、薄情な人間、いちいち感傷に浸るクセは強いけど、だいたい一過性のもの。
いよいよになって、悲しむかどうかわからない。
目に涙が滲むかどうかも、心が痛むかどうかも、喪失感に襲われるかどうかもわからない。
仮に、涙を流したとしても、多分、それは自分の偽善性をごまかすための感傷、自分の悪性と折り合いをつけるためのパフォーマンス。
ただ、しかし、そのことで、何か 自分のためになるものがこの胸に刻まれること・・・この胸に蒔かれた“一粒の麦”が芽吹くことは間違いない。

女性との出逢いによって蒔かれた種が、その別れによって芽をだし、その先、何日、何ヶ月、何年かかるかわからないけど、自分の生き方によって実をつける・・・
いずれ、私にも死が訪れる。
それまでには実をつけ、そのときは、私も誰かの・・・欲を言えば、一人でも多くの誰かの“一粒の麦”となりたい。
そのためにも、私は、自分に残された時間を大切に、精一杯生きたいと思う。
ボロボロの身体でも、クタクタの心でも、ヘトヘトの人生でも・・・それでも、女性のように、明るく、元気よく。


『 K子さん
私は、この経験を、これから生きていく日々の・・・私に残された時間の糧にします。
やりとりしたメッセージも、消さないで残しておきます。
そして、何よりも、貴女のことを生涯忘れません。        
2021年2月3日  特掃隊長 』


特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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